2017年9月11日月曜日

旭川にて

皆様、ご機嫌如何でしょうか。こちらは9月に入ってのんびりモードからギヤチェンジというところです。
9月に入ってからは先ず東京での日本人工臓器学会が例年の11月とは違って早く開催されました。法政大学の生命科学部山下明泰教授が会長で、飯田橋近くの法政大学キャンパスで開催され、一日だけ参加してきました。人工臓器学会は多くの体の臓器の代行をする人工的手法の学術を対象にしていて、当初は人工透析が対象の学会ですが、最近は人工心臓関係が幅を利かせているようです。会長が基礎系、理論系ですからいつもと違った雰囲気でしたが、結構盛り上がった学会でした。なかでも補助循環関係が多く、看護師、臨床工学技士の参加も多く、賑わっていました。こういう学会は臨床系だけでなく、機器開発や技術開発に関わる基礎系・技術系の研究者が大いに活躍してもらえる場でないと、国産の技術や機器が出てきません。海外の医療機器の使用経験の話では先が暗いです(自己反省しきりですが)。
補助人工心臓分野では、植込型が普及し心臓移植の34倍の患者さんがこの状態で移植待機中のなか、移植を目指さない永久使用(DT)が学会では最大の関心事です。この臨床治験も症例登録は済んで来年には保険適応にするかどうか検討されるようです。確しかに心臓移植は年間50例とすれば34倍の患者さんが待機するわけで、34年の待機期間は異常です。といって、永久使用(Destination Therapy)は建前上移植適応ではない患者さんが対象ですが、まだまだいろいろ課題はあります。米国ではものすごい勢いで普及していますが、心臓移植も年間2000例は行われるなかで、比較的高齢の方への適応が進んでいるようですが、移植待機とのミックスしたところもあります。柔軟に対応し、患者さんの意思の尊重が優先されます。日本ではどうなるのでしょうか。65歳以上で心臓移植対象外の心不全の方には確かに福音かもしれません。しかし、高齢者医療の社会的基盤や医療現場の理解はまだまだ不十分です。試験的に進めることはあっても健康保険で扱うかは大きな問題でしょう。
補助人工心臓は今の適応とされる移植待機患者さんとこの永久使用の対象患者さんの二つの大きく異なる対象者の間には、どちらとも決めかねる患者さんが結構多くいます。今、保険制度上はこの間にいる方は置きざれにされかねない状況ともいえます。この問題は関係の会議で訴えましたが、放置されています。新しい医療の導入もいいですが、対処患者の背景のしっかりした調査なしにどんどん進める傾向にあるのが問題と思っていますが、少数意見です。
高齢者の医療費が高騰し、しかも海外から医療機器に多額の税金が払われるのですから。まずは心臓移植年間200例を早急に実現することへ最大の努力を図るべきと思います。また植込型補助人工心臓では多くの海外の機器が参入してきていますが、国産の機器の開発への国のスタンスは信じられないくらい弱いのです。
植込型補助人工心臓の永久使用では、先に述べたように幾つかの課題が残ってます。大きなことは、終末期医療です。脳障害に陥った方で、緩和ケアになった時の対応、法整備が十分ではないこと、病院や医療従事者の対応が制度的に出来ていないこと、救急医療体制での対応、など心臓移植へのブリッジでの社会的基盤が未整備の状況をまず解決することが大事と感じた学会でした。先進的医療をすべて健康保険で対応するのは限界があります。再生医療もそうです。未だ効果がはっきりしない、特に費用対効果が悪いものへの早期保険適応には疑問があります。再生医療もそうで、エビデンスがまだ十分でないものは、健康保険とは別の基金のような財源でまず進める方策が必要と感じます。先進医療保険のようなものがどんどん進めといいのですが。先進医療や人工臓器治療で高額になる場合、医療者側にも何か歯止めをつける、DPCもそうですが、といった上限設定でも作らないと、そのうち高齢者の高額医療で社会保険制度は崩壊するのではと危惧します。日本の医療制度の、いつでもどこでも最新の医療が自由に受けられる、という仕組みはそろそろ限界ではないでしょうか。病院の集約化でもって医療費を安くしても乗り切れる仕組みが要ります。韓国、台湾も、病床数が2000を超える病院がどんどん出来ていることに、わが国も目を向けるべきでしょう。次の20年を見越した英断が必要です。
本題ですが、先週は旭川でした。日本移植学会で、旭川医科大外科の古川教授(肝移植)が会長でした。臓器移植法制定20周年にあたって、さらなる臓器提供の増加を目指すなかで、レジェンドに学んで継承する、というテーマでした。特に役割はなかったのですが、先日紹介した院内ドナーコーデイネーターについていろいろ意見交換が出来ました。かなり収穫です。というのは、今回の学会は移植側だけでなく、臓器提供側もたくさん参加され、ホットな議論が交わされました。今までにないことです。この学会に初めて参加したという脳神経外科医、集中治療医、救急センター医、が何人かおられ、臓器提供の現場の生の声を紹介しておられました。また、厚労省の臓器移植推進室の方も参加され、行政の考えも整理することが出来ました。
院内ドナーコーデイネーターの資格化はどう進めるのか、という質問を何度かさせてもらったのですが、現場の方からは、資格化はされても個人につくので病院としては必要ないという意見もありましたが、フロアーでの会話では資格制度は必要との意見も多かったようです。一方、移植学会と行政は臓器提供を終末期医療の中で考えて、総合的に対応できる資格制度を考えているとのことでした。個人的には臓器提供というある意味前向きの面があるものを、終末期というやや反するカテゴリーで括ってしまうのは如何がと感じます。厚労省の室長さんとの話しで、包括的な終末期対応の支援制度つくりといっても、やはりドナーコーデイネーターは少し別で、進めるにせよ今のコーデイネーター育成事業(都道府県)を取り込まないと、という意見には賛成のようでした。 尊厳死には法律がないなかで、終末期のコーデイネーターの役割はどうなるのか。脳死での臓器提供は法律があって行われているのですから、もっと専門化してもいいのではと思います。
それにしても、人口百万人当たりの年間の脳死での臓器提供数は、わが国はまだ1.0以下ですが、韓国はその16倍です。日本では心臓移植は年間50例に達し、これまでの総数は350例ほどです。成績も良好です。しかし、待機中の死亡は移植数とほとんど変わりないのです。3年以上の待機でチャンスは二人に一人、という事実を社会はもっと知ってほしいと思います。脳外科医の方が、心臓移植の素晴らしい成績の陰で多くの方が亡くなられ、また長期に待機を余儀なくされている、ということを脳外科医はほとんど知らない、もっと情報を出したら脳外科医の理解が得られる、という意見がありました。まさに時代が変わってきた、と感じたのは私だけではないでしょう。
そうです、移植医側は移植で元気になった方を、子供さんも、もっと社会に出てもらって、臓器移植が素晴らしい医療で、しかも命のリレーです、というアッピールをもっとすべきでしょう。肉親からの生体臓器移植も必要ですが、亡くなった方からの移植の役割の大きなことを社会はもっと知ってほしいと思います。あるいは、知られているが、仕組みがいけないのかもしれません。法制定20周年の節目に、こんな感想です。脳死で臓器提供が年々増え続けていて、潮目が変わった、もうすぐ100例ですよ、という話に安心せず、日ごろから社会啓発に努めることが大事と思います。

旭川での総会は日本移植学会としても節目であり、さらなる発展のスタートになるもので、参加者としても有意義な学会でした。

2017年8月31日木曜日

8月のまとめ

今日で8月も終わりです。昨日から急に風が涼しくなり、秋の気配を感じつつ、とにかく暑かったこの夏ともお別れです。夏休み(リハビリ)モードから仕事モードへ復帰、明日から東京、その後は北海道シリーズで、前半は旭川、後半は札幌と続きます。旭川は日本移植学会で、特に役割はないのですが、法制定20周年の記念の年ですので、それなりの期待を持って出かけます。また、成人先天性心疾患学会の専門医制度構築の準備会が途中で東京であります。制度のたたき台をこの夏に頑張って作ったので、学会の役員の方に揉んでもらう予定です。混乱している専門医制度のなかで、いいものが出来ればと思っています。
さて、8月の出来ごとでいうと、前回紹介した、1941、決意なき開戦、はやっと完読。無理な戦争に走った日本の指導者の1年間の議事録を振り返って見て、なぜこの国は無謀な勝ち目のない戦争走ったのか考えさせられ、ついでに来栖三郎の「泡沫の三十五年」、も読み始めています。昨日、北朝鮮のミサイルが北海道の上を通り過ぎ太平洋に落下したニュースは、戦争時代に入いるのか、と思わざるを得ません。北朝鮮への圧力強化がどういう結果になるのか、中国、ロシア、米国、の思惑は、など今の北朝鮮と太平洋戦争前の日本とが何かする通じる所があるような感じを持つのは上記の日本開戦史の読みすぎでしょうか。歴史は繰り返す、にならないように願うばかりです。
もう一つの報告は、臓器移植関係です。臓器移植法制定20周年記念の節目に、何か現状を改善させる策はないか、何か後押しできない、ということから、兵庫県の行政への要望書を、臓器移植関連の団体から出しています。6月末に提出したものですが、8月に入って少し動きがあったので紹介します。団体とは、主に腎移植の関係の方々が作っている兵庫県臓器移植推進協議会で、私は役員の一人になっています。市民公開講座の後に、県下での臓器移植の啓発推進のために、課題を絞って行政に要望書を出すことになりました。論点というか要点は、ドナーコーデイネーター、特に院内コーデイネーターの専従を県下の病院に置いてください、というものです。提供病院の負担軽減策の要といえる院内ドナーコーデネーター制度の充実でもって、臓器提供が少しでも増えてほしい、というものです。
少し複雑ですが、臓器提供をサポートするドナーコーデイネーターには、法律の下での臓器の斡旋業務が出来る社団法人臓器移植ネットワークの専従コーデイネーター(中央勤務)、それを支える都道府県に一人は配置しようとしている都道府県コーデイネーターがあり、中央と地方の連携を両者がしています。しかし、都道府県コーデイネーターは国の予算はなく(かってあったのですが)、都道府県とどこかの救急病院が折半している(兵庫県は)状況です。これがない都道府県もあるようです。このシステムに対して、臓器提供病院内でサポートするのが院内ドナーコーデイネーターで、各病院での臓器提供があった時の支援体制つくりには大事ですが、臓器提供の可能性のある場合の家族への対応や医師の支援という、臓器提供予備患者さんからの提供へ進めるという役割は難しいのが現状。職種では看護師さんが多いのですが、殆どが本職(病棟業務など)との兼務であり、コーデイネーター専従はまず病院の体制上難しいのです。ここをどう乗り切るのか、行政に考えてほしい、というのが要望書の趣旨でもあります。
ということで、兵庫県と神戸市に要望書を出し、そして提供病院を訪問してきました。人員配置増は予算の関係で行政側は先ずできない、という話でしたが、何とか道を作れないか、ということで検討してもらえるようです。しかし、問題点も明らかになってきました。それは、院内ドナーコーデイネーター自体の資格認定制度はなく、都道府県が病院からの申請に対し委嘱しているに過ぎないのです。コーデイネーター自身が何か動ける、インフォームドコンセントに参加する、といったことは出来ないわけです。さらに、都道府県コーデイネーターとの連携もそういう背景で、臓器提供支援での連携は実際は出来ていないのではと思われます。
勿論、資格がないからと言っても全国で何百人が院内コーデイネーターとして行政が把握しているのですから、その活用をもっと真剣に考えるべきです。そういう意味で要望書にも書いたように、重点的配置、中核的提供病院での専従者の配置、が大事であり、このことを強調してお願いして来ました。
ということで、来月には日本移植学会もありますが、このドナーコーデイネーターの資格認定制度を救急医学会と連携して構築するのが学会の役割ではないかと考えます。そこの所を抑えないでこれまで来てしまっているのが何とも歯がゆい感じです。ただ、ドナー側のこと、臓器提供のこと、に移植側が口出すことは本来控えるべきという背景があることも事実でしょう。しかし、移植側が待機患者さんのことを慮って意見を言い、制度を作ることに力を貸すことも大事であると思います。20周年のこの時に特に感じることであります。兵庫県と神戸市の対応は何かあれば追って報告します。
ということで、8月シリーズは終了します。皆さん、暑い中、独りよがりの話にお付き合いくださり有難うございました。

写真は、要望書につて神戸新聞が記事にしてくれたものです。

2017年8月21日月曜日

8月に思う

 関西の今年の夏は雨もほとんど降らず、連日の猛暑で終わりそうです。関東は雨の日の連続記録更新中とか、毎年のように夏には異常気象の話が出ます。それにしても、台風、大雨災害、と自然は容赦なくこの国の地形の弱みを突いてきます。人の知恵と力にも限界があるようですが、それに打ち勝つ術はまだまだわが国にはあると信じています。
毎年8月には終戦記念日がやってきて、メディアでも戦争の悲惨さ、太平洋戦争の残したもの、などの歴史を風化させない記事や特集が出ますが、今年は何かしら、とくにNHKですが、力を入れているようです。NHKスペシャル、戦慄の記録、インパール、は繰り返し放映されていますが、今回は新しい証言もあり見応えがありました。太平洋戦争における我が国の軍部(陸軍)の指導者の信じられない行動、無責任さには憤りを感じると共に、東京裁判の国内版がGHQの公職追放処置だけで、本来すべきことが欠如していたことに気が付きました。一方では、新聞などの報道が大本営の思惑通りに動かされていたことも忘れてはいけないことです。我が国今の繁栄は、太平洋戦争の多くのそれこそ無駄な犠牲によってもたらされているのかと感じます。戦争を経験した年代や幼少時に戦後の混乱を経験した世代がどんどんいなくなっていくのですから、戦争の詳細を知らない人々の時代に変わってしまって行くのです。
私は太平洋戦争が始まった年に生まれました。しかし、生地の札幌は空襲には遭わず平穏であり、小学生の途中からの大阪での生活でも悲惨さは感じられず、かえって楽しい学校生活が待っていました。半面、今となって毎年の戦争記念日特集には心が痛みます。それでも世間が振り返るのはその時だけのようです。原爆もそうで、広島は関西の小学生では修学旅行で訪問するようですが、政府要人の形式的な記念式典挨拶をみても、またメディアの世界での過去を振り返ることへの嫌悪感を匂わす記事にわが国の行く先が案じられます。毎年繰り返される政府要人の靖国参拝もしかりです。何故、国立戦没者墓地のような記念施設が出来ないのか、不思議に思っ
終戦記念の新聞記事のなかで紹介されていて読む気になった本があります。堀田江理著(人文書院)、1941決意なき開戦、現代日本の起源、です。1941は開戦の年で、上記のように私の生まれた年でもあり、興味が沸いて手に入れました。400ページになるなかなかのボリュームの本ですが、もとは米国滞在が長い著者が英語で書いたものを、後で日本語版として出されています。そもそも開戦にまつわる政治的な話は米国ではあまり知られていないことを案じて書かれたものを、改めてわが国でも読んでもらうべし、といういきさつが背景にある本です。まだ実は最後まで読みきってはいないのですが、194112月の真珠湾攻撃に至る日本の中枢部の意思決定やその仕組みにおいて、天皇の存在はあるにせよ、如何に無責任な人たちによって日本の運命が決まっていったことに、今更ながら憤りを禁じ得ません。松岡外相、近衛首相の無責任な言動や政策決定、米国との戦争は負けることが分かっていながら、踏みとどまれなかったいきさつが詳細に書かれています。何とか読み切りたいと思います。

太平洋戦争のこと、広島と長崎の原子力爆弾のこと、最近では福島原発事故のこと、欧州での最近も続いているテロ、これらは東京オリンピックを迎える我が国にとって乗り越えなければいけない、無視できない歴史と現実であることを思いながら暑い日を乗り切ろうとしています。



2017年8月10日木曜日

研修医の過労死問題

政府の働き方改革で時間外勤務時間の制限が議論されているが、医療関係の労働環境については別扱いになっている問題が、再び研修医の過労死でクローズアップされている。 そのもとは、東京都内の病院の産婦人科の研修医の自殺が労災認定されたというニュースである。以下、ニュースから転載する。
 労災認定されたのは、都内にある総合病院の産婦人科で勤務し、2015年7月に自殺した30代半ばの男性研修医。遺族の代理人弁護士によると、男性が自殺する前の1か月間の時間外労働は、いわゆる“過労死ライン”の月80時間を大幅に超える約173時間で、200時間を超える月もあった。また、6か月間で5日しか休んでおらず、1日も休みがない月もあったという。
政府の働き方改革実行計画では、残業時間は月80時間が目安で最大100時間とされているが、上記のニュースの記事には、医師の場合はこの制度の運用には5年の猶予がなされているとある。 それは、医師は医師法で応召義務があり、単純に時間制での勤務体制は無理な現状があるため、と解説されている。これがいいのか、問題敵をしている。若手医師の働く環境が悪いと医療の質に低下が生じ、対応が必要である。
医師の過労死が起こった度にかかる議論が出てくるが、その背景は複雑で、単純に労働環境改善といっても解決しない。医師の卒後研修は、最初に2年間は厚労省管轄での義務化研修で、就業時間などは労基法のもとでしっかり管理され、あえて言えば優遇されている。しかし、この後にくる専門分野の研修(修練とか専門医研修と言う)はそれこそ医師としての基礎つくりと自己発展の期間であり、いい加減な研修ではいわゆる立派な医師の仲間入りはできなくなる.研修医間の競争もあり、言われたことはしっかりこなさないと全体に迷惑をかける。また上司は求められる診療をチームで遂行し、また質の担保も維持しなければならない。指導監督とともに、学会活動や管理職としての仕事も多く、指導医の過労は常態しているともいえる。規則どおりの勤務では現場は成り立たないのである。研修医も指導者側も同じ厳しい労働環境にあることの認識も重要である。
勤務時間や時間外労働を労基法でしばって管理するのは確かに医療現場にはそぐわないところも多いが、現実には労基はしっかり調査して、時間外の給与を支払えとか、医師の補充をしろ、という話になる。こういったことは何かおかしいのでは。安全と安心、そして質の担保された医療は、高度の知識と技量、経験を持った医師と医療者が必要である。そこには医師と共に働く専門職が不可欠であるが、わが国では医師にほとんどを頼っている現状がある。法律上医療行為は医師の専権行為ではあるが、医師の指示の下で働く看護師も、特別な教育を受けたものは、特定の医療行為が行える制度も進んでいる。しかし、まだ緒についた所である。病院の産科には助産師がおられるが、医師の長時間勤務との関係ははっきりしていない。要は、若手医師を働き手として数で勘定するのではなく、個人個人の生活も考えて、また全体を見て環境改善をしないといけない時期にあると思う。医師以外の専門職を育て、医師と協同で医療現場を安心安全な環境にしていく努力が不可欠である。私の育った時代はまさに過労死寸前状態の連続であり、それがまた当然のように受け止められていた。精神的に落ちこまれて命を絶った若い医師もおられたが、労働環境という視点は出てこなかった。長い歴史はそう簡単には変わらないのか。小手先では解決されない。病院も医業収入を得るのが至上命令である限り、医療者、特に医師に負担が出てくる構図である。医師の数を増やさないでこのような問題を解決していくことが問われている。
さて、この問題でいつも引用するのは、米国のLibbyである。1984年に起こった医療事故がきっかけでできた法律である。https://en.wikipedia.org/wiki/Libby_Zion_Law

その内容は、このブログの2016621日の投稿を参照して頂きたい。米国で、レジデント(研修医)の過労による判断ミスで医療事故が起こった後、レジデントの勤務時間を週80時間に制限したものであり、現在も続けられている。この80時間は結構長い時間であるが、わが国の時間外との関連で見るとどうなるか。勤務時間と時間外、という括りがそもそも医療現場では馴染まないのではないか。そして、米国では過労による医療事故、わが国では過労による研修医の自殺(医療事故を防いだかもしれない医師が)、何かわが国の医療の縮図を見るような気がする。それにしても我が国は医師については働き改革計画の実行は5年の延期を決めている。それは行政の不作為、あるいは医療側の怠慢かもしれない。そして、その対策は研修医(若手医師)においてまず早急に実施し、それに伴った上級医師の対応も出来てくるのではと思う。単なる時間規制では何ら前進しない医療環境にどういうメスが必要か。一人の死を無駄にしない、医療界、行政の行動が待たれるのではないか、というのが今回の感想である。

2017年8月7日月曜日

臓器移植法制定から20年; 和田移植の呪縛はまだ残っている


暑中お見舞い申し上げます。台風5号で宝塚も雨風が強くなって来ました。
さて、暑くて頭も回らず、7月1日の内容の再掲ですいません。

今年は臓器移植法が制定されて20年の節目を迎える。再開から18年でもある。この節目の年になって我が国の臓器移植の現状を見ながらつくづく思うのは、表題の「和田移植の呪縛」である。こういう表現をするのはあえて今の臓器移植の低迷、私はそう思っている、の原因、そして課題を考え新たなステップを切り開く上では避けて通れない確認事項と考えるからである。
心臓移植の長い歴史ヺ見ると、南ア連邦ケープタウンでバーナード博士が世界初の人から人への心臓移植が行われて50年目である。この記念すべき年に、和田移植のことを半世紀後の今になって話題に上げなくてはいけないことがまずもって情けない。
脳死での臓器提供は法改正後に年間50件を超えるようになった。しかしその数は改正前の心停止での腎臓移植(脳死で心停止まで待つ)の数を超えるどころか減少している。心臓移植も年間50例にならんとしているが、当初からの目標とする心臓移植年間200例には程遠い状況である。
本題に戻ると、まず今の臓器移植の状況には決して満足できない、未だ心臓移植の定着には程御遠いという共通認識がいる。問題は二つある。一つはWHOの提唱する原則、臓器移植は自国内でと死体から、が守られていないことである。心臓以外で生体臓器移植が未だ大きな役割を果たしている現状と、小児心臓移植が海外に頼っていることである。もう一つはシステムの問題である。これには法律が関わる。我が国の臓器移植、こと脳死からとなると法律のもとで全てが行われている。「臓器の移植に関する法律」およびその細則があり、さらに運用のための行政が決めたガイドラインがある。全てこれらに縛られ、硬直化しているのが今の日本の臓器移植と思われる。海外と違ってすべて法律で縛られるようになったのは正に和田移植のせいと言える。

18年前、心臓移植再開でその呪縛が解けた、ということであった。しかし、現実には、その過ちを繰り返させてはいけないという呪縛が隠然と残っている。その代表的な言葉が、「一点の曇りもなく」、である。これは法律の運用においていまだに行政が口にする言葉である。まさに、和田移植の呪縛がこの言葉に代わって生きているし、生かされている。お役人は昔のことはどうこう考えることなく、現法律の適切な運用を監督することは当然のことであるが、移植医療の新たな展開になるのではという場面でこの言葉が使われることが問題なのである。勿論、頻回ではない。しかし、大事な局面で、恰も水戸黄門の印籠のごとく登場する。また医療者側がそれをあたり前と思ってしまっている。
何故これに拘るか、というと、一つは行政が未だに指導監督官庁として現場を監視していることと、医療側(特に移植医)がこれを甘んじて受けていることである。移植現場、加えて患者さん方(ドナー家族)、の地道な努力でもって移植医療の新たな展開が図れる機会があっても、お役人のこの一言でせっかくの機会が無駄になってしまう。これを移植関係者が反論しないで大人しく聞いてしまっている。これは何も法律違反、条例違反、をしろ、勝手にさせろ、とは決して言ってはいない。しかし、此の膠着した移植医療の現場を何とか変えていこうとするならば、此の呪縛的な一言をあえてお役人に言わせない、というのが移植に関わる専門医療者の矜持ではないか

私があえてこういうことを言うのは、もういい加減に医療現場、そしてプロフェッショナル集団を信用してくれ、今や誰も移植医療を曇らせようとは考えていないし、必死で公平、公正、公明、の三原則を守って来ている。しかし、亡霊のごとく折に触れ出て来る。現場を萎縮させる以外何ものでもない。移植医療は性善説が基本であって、そうでないと円滑な進歩は難しくなる。制定後20年を迎えて、日本の移植医療を本来のあるべき姿、プロフェッショナル集団に任せる、という方向付けを打ち出す時期であることを共通認識とする必要がある。臓器斡旋はお役所が管理するが、その他は医療現場のプロフェッションに任せる所まで成長していることを現場はもっと誇りに思い、指導力を発揮すべきである。

臓器提供の低迷のもう一つの背景は情報公開の問題と思う。移植の素晴らしさが社会からは充分見えない、移植を受けた方の喜んだ顔が見えない、陰の医療、と思われても仕方がない。何故か、それは法律の運用に関する指針(ガイドライン)にある、個人情報の保護の部分である。そこには、移植医療関係者が個人情報そのものの保護に努めることは当然のことであるが、移植医療の性格にかんがみ、臓器提供者に関する情報と移植患者に関する情報が相互に伝わることのないよう、細心の注意を払うこと、とある。この細心の注意、はお役人からすれば、これはしっかり守れ、と言っているので、どうこう言うことではない、君はこれが分からないのか、という所である。しかし、ある事例で行政がメデイアに注意勧告めいたことを発表する根拠に使われている。こうなっては注意義務ではなく規則になる。この個人情報保護(相互に伝わる)は、原則であって家族や患者、遺族に、そうすべきと強制するものではない。悪意を持ったことは無論いけないし、無理に伝えることも論外である。また広い意味での個人情報を守るとうことは当然である。しかし、移植で言うこの個人情報扱いにおけるこの原則論が未だ生き続け、浸透し、ある意味独り歩きしていないか。移植を受けた患者も提供した遺族も社会に顔を出せないようになっているではないか。メッセージだけは出るが、それで終わりである。

一方ではドナーファミリーの会も出来てきている。先般、神戸では奥さんが脳死で臓器提供されたご主人が実名で講演を行い、地元新聞ではこれを異例、として紹介している。米国で心臓移植を受けた子供さんの親が、米国のドナー家族とお互いに実名で手紙のやり取りをしている。渡航移植で帰った子供さんは元気な顔を見せ、親と共に感謝の言葉を述べている。自国ではどうか。心臓移植を受けた子供さんは隠れたまま、親もそうである。これでは社会はその医療の素晴らしさ、ドナーと家族への敬意、などが表面的に終わってしまう。勿論、市民公開講座やその他の移植関連の企画で国内レシピエントの顔も出てきていることは、関係者の地道な努力の賜物であることに異論はない。

しかしこのままが良いとは決して思われない。そこは、ガイドラインの文言をどう解釈するのかにかかっている。ドナー家族とともにレシピエント家族(子供の場合)へのこの遵守事項の理念の説明と共に、移植からある程度期間が経った場合は許容される、といったことであろう。ガイドラインはあくまでガイドラインであって規則ではない。ネットワークのコーデイネーターの方も、家族や患者、遺族の考えをまず尊重することが大事で、強制はできない、と言っている。移植の当事者であるドナー家族とレシピエント側のこの情報公開についての考えも機は熟していて何らかの方向で纏める時期ではないか。

学校でも社会でも、心臓移植を受けた子供さんを暖かく受け入れて見守る、元気になったことを見て共に喜ぶ、それが自然と出て来る社会を作るうえで、何が必要か。その視点でこのガイドラインの個人情報項目について再考すべき時期であると思う。再考といっても医療現場がコンセンサスを持って対応することであって、ガイドライン自体をどうこうすることではない。渡航移植と国内移植で情報公開においてこうも違うこと自体に疑問を持つことから始めないといけない。脳死のダブルスタンダードと似て我が国固有の問題である。また、メディアとの連携も当然必要で、一方的な報道は決して許されないことは当然である。

心臓移植担当者も移植医療の素晴らしさを患者さんと共に社会に見せる、というプロフェッションとしての責任がある。社会が尊敬と喜びの共有が出来ないのは本来の移植の姿ではない。呪縛云々はさておいても、一点の曇りもなく、そして個人情報への細心の注意、の二つが少なくとも今の脳死からの臓器移植の停滞の背景に存在している、という私の意見は残念ながら現場で受けいれられているかどうかは分からない。しかし、この認識を移植関係者が共有し、その上で新たな展開を図る努力が求められていると思う。

                       大阪大学心臓血管外科同窓会誌より転載


2017年7月21日金曜日

梅雨明け


関西はあまり雨も降らずに梅雨明けとなり、いよいよ夏到来。と言っても既に猛暑日が続いているので、季節の変わり目を感じることも希薄となっている。蝉の鳴き声にも何かしら元気がないような気もするのは自分の気持ちの表れか。 暫く整形外科医にお世話になっていたが、それも終了で本格的に真夏モードへ。

 
臓器移植法制定から20年の節目に、兵庫県の移植関係者が集まる協議会(兵庫県臓器移植推進協議会)から兵庫県(県知事)と神戸市(市長)へ要望書を出している。内容は、いまだ低迷している脳死での臓器移植の課題解決として、ドナーコーデイネーターの充実と小児からの臓器提供への支援、などである。県立病院や市民病院などの臓器提供施設の負担軽減策を地方行政として取り上げて欲しいというもの。特に、各病院や救命センター内でのドナーコーデイネーターの専従(専任)がキーポイントと思っている。これは人件費がらみであるので行政としてはそう簡単に受け入れることは難しいが、現場からの要望が出るきっかけになればと思う。勿論、かかるコーデイネーターは専門の教育と経験が必要で、予算だけで片付く問題ではないが、そういう人材は育ちつつあることは間違いない。

こういった要望書提出を契機に、行政もこれまでより突っ込んだ実態把握を進めながら対応して欲しいが、行うとしても暫くは臓器提供で実績のある中核施設への重点配備になればと思っている。因みに、都道府県単位でこれまでの脳死での臓器提供数をみると、実数では東京都が突出していて、兵庫県もまあまあの所(15例)であるが、人口単位での提供数をみると和歌山県が突出している。その背景の分析は確認できていないが、おそらく高度の救急医療が大学病院や日赤医療センターなど一部に集約されているのではないかと思われる。集約化で救急救命医療での救命率が上がる中で、脳死となる症例も増えてくる、という背景があるのではないか。和歌山県の対応や施策について、兵庫県も参考にすべきことがあるのではないか。長崎県も臓器提供推進には積極的であり、その報告書は手元にあるが、和歌山県の取り組みについては調べないといけない。

さて、この法制定20周年を迎えながら幾つかのマスメディアの記者さんと話す機会もあり、共同通信の配信で幾つかの地方紙に心臓移植再開時のことが出ている。その中で言わせてもらったのが、20年経っても臓器提供が年間50例程度の状況では個人的には全く満足していない、ということである。自分には再開時にくらべ現状への不満が反って強くなっている。こういう状況について、最近の投稿で書いている幾つかのキーワードがあるので、再度紹介する。

 
① 日本の臓器移植(脳死での)は世界の中でガラパゴス化している。

② 「和田移植の呪縛」はまだ解かれていない。

③ 一点の曇りもなく、の新たな呪縛が続いている。

④ 性善説である臓器移植に性悪説を無理に入れようとしている。

⑤ 小さな子供さんへの心臓移植はいまだに殆どが海外に頼っている。

 

①-④は私特有の独善的な見方かもしれないが、要点は突いていると思っている。 

これらのキーワードで示される特殊な状況を払拭させるのが移植関係者の役割であって、広報にも努めながら移植医療の成果を広くしてもらうことの重要性をこの節目の20年で改めて肝に銘じる必要があるのではないか。

2017年7月13日木曜日

大学設置審査



 7月に入ってから台風3号に続き、九州北部地区は集中豪雨により想像を絶する大きな被害が出ました。尊い命を奪われた方々に心よりご冥福をお祈りし、また甚大な被害にあった多くに方々にお見舞いと一刻も早い安寧、復旧を願わずにはおられません。地震、津波、洪水、土砂災害、と我が国は自然災害から逃れられない宿命的な所もありますが、大災害が予想される時の緊急防災、緊急避難、そしてそのための的確な情報伝達、が改めて重要なことが分かります。情報化時代の中で、SNSの活用も現実となった今回の災害でもあったと思われます。また、今回の九州地区では5年前の水害の経験が生かされての素早い避難が多くの方を救った、という報道もあります。山と川に囲まれた我が国における災害対策において、今回の経験は決して忘れず、今後に生かすことが一人ひとりにとって大事でありますが、やはり国の大きな使命は、救助活動とともに防災へのさらなる取り組みがないと大災害は繰り返すのではと思います。ここで現場から離れた一個人が軽々にこんなことを言うのは憚られますが、阪神淡路大震災を身近に経験したものとして、被災者の方々の苦痛は共有できると思います。安部首相が外遊から帰って来てからのメッセージに、「安倍内閣が一丸となって対応する」と言われていましたが、国の危機管理体制において自分の名前を強調した内閣云々というおっしゃり方に違和感を覚えるのは昨今の政治的問題に洗脳されているのでしょうか。首相が不在の時に、幹事長がいちいち首相の了解やメッセージを披露しながら対応している様は、それこそ官邸の危機管理のお粗末さが露呈した感じです。副総理が率先して陣頭指揮をとるのが普通でしょう。阪神淡路大地震では、地震発生後、政府官邸は情報不足で対応が遅れたことは記憶に新しいです。大災害時には都道府県の長の対応(意見)は最優先され、それを迅速に国が補助する、という構図が今回はやや緩慢ではなかったでしょうか。

 

さて、災害の話はこれ位にして、国会での話題である獣医学部新設について、感じたことを書かせてもらいます。私は、大阪大学退職後、学校法人兵庫医科大学にお世話になり、医科大の懸案であった新たな学部作りに関わりました。兵庫医科大学は医学科だけの単科大学ですが、社会の医療系人材養成の要望もあり、薬学部、看護学部、リハビリテーション学部、の3つの学部新設計画を立てていました。特に薬学部は6年制が始まった所で、チーム医療推進を掲げる大学の方針から加えることになったようです。ただ、6年制薬学部は既に認可作業が進んでいて、老舗の薬科大学が既に開設準備にあり、1年遅れで厳しい学生集めになりますが医科大学を持つ強みで薬学部新設も機関決定されました。因みに、学部新設ではなく新大学として設置申請することになり、学長予定者として2年余りで人集めと申請作業を進めました。ここで出て来るのは、文科省の大学設置・学校法人審議会(設置審)、という許認可権を持っている行政の窓口です。獣医学部新設ではドリルで穴をあけられた所です。あらかじめ何度もお伺いをしながらの申請ですが、6年制薬学部については新制度申請初年度で既に旧薬科大学や新設校が認可され、もはや過剰ではないか、という中での我々の申請でした。この薬学部6年制設置は、文科省の規制改革の路線上にあり、どんどん作りなさい、潰れても知りませんよ、という雰囲気でした。申請最終段階で文科省の高等教育局長に挨拶に行ったら、薬学部新設は自由にどうぞと言ったけど、お宅もですか、これからどうなりますか、と笑われておられたのを思い出します。一方、何しろ一度に3学部を持つ大学の設置申請なので、文科省もずいぶん慎重な対応でした。学部3つも同時に申請なんて何を考えているのか、とも言われました。教官の陣容や実習病院、校舎、採算性(法人財務)となかなか厳しい中、開設1年半前にはもう校舎の建築も始まりました。設置審の現地調査は開設前年の秋ごろだったと思いますが、若い審査担当官が建築現場の視察で、ここまで出来ているのに今更不許可には出来ないですね、とつぶやいておられました。加計学園もそうでしょうね。我々はその後許可され、4月開学を向けることが出来ました。もう開学10年が経ちましたが、昔を思いだしながらの、加計学園劇場の観戦です。

と言ったことを、昨今の獣医学新設での文科省の対応をみて思い出しています。文科省の設置審については、以前田中真貴子議員が文科大臣であったとき(2012)、3つの新設大学認可についての設置審承認を、大学は多すぎるとクレームを入れ、ノー、といって物議を醸したことがあります。結局すぐに撤回したのですが、かっての学長ブログでも取り上げ、設置審の種々の問題に言及したこともあります。膠着した委員体制や考え方は、今の論争にも関係するものかもしれません。

話題は文科省の告示で、医学部、歯学部、獣医学部、もう一つあります、の新規申請は認めないというものですが、今回獣医学部でこの告示を突き崩すため特区制度が活用されていますし、全体の印象は、文科省の古い体質が問われています。今は違っているでしょうが、以前の設置審は決め事が時代に合わなくなっているのにそれを金科玉条のごとく忠実に守る、という印象が強かったのを思い出します。しかし、今回の騒動では、やはり穴のあけ方には問題があったと思われます。無理を通すのが国家戦略特区だ、ではないと思われます。プロセスは大事です。因みに、前回書いた「一点の曇りもない」、ですが、やはりこれは言う側の主観的な表現であると思います。

医学部新設も最近、東北と成田に続いて許可されました。私立医科大学病院が経営危機に陥いっていることも報道されています。質の高い医療の提供が進む中で、医師の働く環境劣化、医療への消費税負荷、高齢者医療での高額医療、そして専門医制度への反発、など、医療を取り巻く環境は決して良くなっていません。獣医師問題は医師の診療科偏在、地域医療崩壊、質の低下、大学教官の処遇、など、我が身を振り返る絶好の機会と思いますが、如何でしょうか。