2013年12月31日火曜日

今年も大晦日になりました

       早くも大晦日が来てしまいました。皆様には今年1年はどういう年でしたでしょうか。社会的には安倍政権の実質的なスタートの年で、アベノミクスによる景気回復や、東京オリンピック開催決定、楽天の日本一など、元気が出る年になったかの印象です。といっても、消費税増税前でかつ円安ということで経済的には何か落ち着かない気配のなかで、特定秘密保護法の強行採決あり、外交では近隣諸国との関係は先の首相の靖国参拝で一層悪化し、国内では食材偽装、徳洲会病院選挙違反、そして東京都知事の辞任、など内外の心配事も少なくなかったようです。以下、私なりにこの1年を、といってもこのブログを始めた4月からのことですが、まとめてみようと思います。

   まずは6年の学長職から解放されて、心臓血管外科の臨床に戻れたのが何といっても大きなことでした。陸に上がったカッパから水を得た何とかではなくても、本職に戻ったというのが実感です。といっても学長職は自分にとっても大変大きな挑戦もありました。支えて頂いた方々には本当に感謝しています。ではその社会にどう貢献できたかたですが、これは後の人たちが評価してくれるでしょう。とはいえ、チーム医療やボーダレスで旗を振りながらいろんな意味での異文化コミュニケーションの難しさも経験し、さて医療現場に帰ってみて改めて多職種連携・チーム医療とは何か、何がバリアーか、等々現場で再認識をした年でもあります。勿論、大学病院と第一線病院との違いも大きいのですが、基本は変わりないことも実感しました。

   さて臨床に戻ったとは何をもって言うのか、です。白衣を着ただけではなく、外来診察をするだけではなく、私の場合は何といても手術室で何が出来るかです。当然ながら術者でどうこうするのはさすがに控え、若手と一緒に手術するのがせいぜいですが、まずは手術から離れない様にしてきました。一方では手術症例検討会は長年とった何とかで結構気合を入れています。専門性が進んで今の若い人は自分の担当する病気にしか目が届かず、患者さん全体を見る視点がともすれば薄れるところを、カンファレンスなどで補っています。
  
   このブログも名前を改めて再開し、9ヶ月、毎月3ー4件ほどで、全部で33件になりました。最近は閲覧数が急に増えて何事かと思ったら、例のリファラスパムでした。無視に徹しています。皆様にご迷惑にならないよう願っています。肝心の内容では、教育現場から離れたことや私が関係する学会や研究会、そして委員会などに限られていることもあり、ごく狭い領域での医療事情になっています。カテゴリーでは、やはり臓器移植が多くなるのは仕方がないとしても、小児の臓器提供がゆっくりではりますが歩みだしたことが印象的でした。後は、日本移植学会や心臓移植研究会の記事を書きながら何が課題かも触れてきました。臓器提供が法改正後急増したとは言え、とりあえずの(最低限)目標である年間50例はもう少しですがまだ達していません。この12月になって5例の提供があり、今日現在で47例になったことは注目していいと思いまます。心臓移植も37例とこれまでの年間数の最大まで増えていますし、心肺同時移植も2例目が行われ、岡山大学でも小児の心臓移植が実施され、施設言うと後は北海道大学で行われれば9施設全てで実施というひとつの節目になります。もう一息です。
  
   医療問題では医師不足、医師偏在、地域医療崩壊、などが依然として懸案事項であり、その解決策の一つが専門医制度と個人的には捉えている訳です。総合診療専門医のことはその後触れずじまいでしたが、またなにか展開があれば紹介したいと思っています。さて、その専門制度改革も大詰めに来ていますが、最後の段階になり第三者機関とは何かで釈然としない状況があり、私見としてを述べさせてもらいました。日本はなぜか後になって偉いさん達が出てきて仕切る、という構図が多いようです。米国では専門医制度は医師の卒後教育の最初の段階としてほぼ義務化し、かつ保健機構が資金を出しています。制度は標準化とピアレビュー制を取り入れ、80%以上の卒後医師がこれを乗り切って医療現場で活躍していますが、わが国ではそこまで踏み込めないのは何か、を考えさせられた1年でした。文科省と厚労省、医師会と学会、といった対立構造は何とかこれを機会に解消しないと、医師偏在も何ら改善しないでしょう。

  多職種連携では、特定医療行為をあるきまった教育を受けた看護師ができる制度(以前特定看護師と言われていたもの)が来年の通常国会で提案される予定です。看護系の中でもいろいろ意見がありますが、まずはしっかり制度を作り、現場でその真価を問いながら育てて行くべきものと思って、法律制定(保助看法一部改正)に期待しています。関連して、薬剤師やリハビリテーション分野でも専門資格の制度作りが進むと思いますが、医師の制度作りを参考にされるものと思います。その中でも触れましたが、米国での専門職の教育や評価制度での特徴はコンピテンシーという概念の登場です。その中核をコアコンピテンシーとして、目標設定を行うものです。わが国の新た専門医制度作りの中で、年末には基本となる制度整備指針がまとまってきましたが、その中の専門とは何かのところで、このコアコンピテンシーを採用してもらいました。グルーバル化の点からもいいステップだと自負しています。どう活用されるか注目です。国際移植学会は学長ブログ時代に触れましたが、来年4月に再度サンディエゴで開催されます。その案内を見ると、学会前の教育セッションでは 幾つかのテーマがあり、そのサブタイトルが、コアコンピテンシー、となっています。どう言う意味でこうなったのか、出来れば参加して実感してみたいと思います。

   その他には、三浦雄一郎さんの80歳でのエベレスト登頂もありました。といったことでこの1年(9ヶ月)が済んだ訳ですが、幾つか簡単に補足します。学長退任後、神戸新聞から6月の1ヶ月だけの紙面批評コーナの担当を任され、ブログ並みに5本を頑張って書きましたが、いい経験をさせてもらいました。もう一つの仕事の神戸国際医療交流財団のことは触れずに来ましたが、なかなか紹介する話もなく、正直いろいろ迷いながらの1年でありました。来年春には新たな出発になるかと思いますので、また紹介させてもらいます。一方では、神戸市の医療機器開発のプラットフォームは何とか滑り出していて、来年は実際のモノ作りの活動が始まると思っています。

   趣味では、アウトドアースポーツに限ると、大きな節目(?)の年でもありました。スキーのオフシーズンは自転車になって長いのですうが、ロードバイクを楽しみ出して4年が経ちました。週末に近場を走るという程度ですが、心臓血管外科の自転車組に刺激され、日曜の午前中に何とか50キロくらいは走れるようになってきました。スピードは上がらず、坂上りはほぼ無理、という状況から、今年は長距離(ロングライドといいます)への挑戦でした。まずは5月の大阪での学会の後に淡島へ出かけ、一周ではなく南側の坂をショートカットした90キロを何とか走り切りました。途中でステーキ屋での一服というのんびりしたものですが(左写真)、これで少し自信がついて、思い切って秋の大きなイベント、淡路島一周ロングライド150に登録しました。2000人からの参加がある“あわいち“と呼ばれているもので、海岸沿いの一周が丁度150キロになります。923日、前日から泊まり込んで、朝6時に夢舞台のあたりから出発、途中で4箇所の補給処があるのですが、南の坂登は予想以上にきつく、押して歩く始末(たくさん歩いています)。エネルギーの補給が大事ですが、そのコツも分からないまま前半で体力消耗。でも午後4時までにゴールという時間制限に少し遅れましたが、何とか完走できました。休憩を挟んで8時間あまりの死闘でした。途中で低血糖、筋痙攣などもありましたが、何とか完走、写真の証明書をもらいました。その後は、もう自転車は結構と、という雰囲気でしたが、何とか続けています。有酸素運動で心肺機能維持にいい運動です。ただ、体重を減らさないと坂上りは難しく、来年の課題です。 ”あわいち“に再挑戦するかは未定としておきます。




  さて、年末になり雪情報も来る中、もう初滑りも済ませています。写真は、大雪の山陰地方の中で大山から日本海方面を見たものです。米子市内が真っ白です。左遠くに中海も見えます。体ですが、関節の手術をしたのが嘘のようで、整形の主治医に感謝です。
 
 
では、皆様良いお年をお迎えください。また、この身勝手なブログにも変わらずお付き合いください。改めてこの1年、有難う御座いました。

2013年12月24日火曜日

 本邦2例目の心肺同時移植実施

 本日朝の新聞に、本邦2例目の心肺同時移植が阪大病院で成功裏に行われたというニュースが出ました。昨夜にA紙の記者から電話があり、コメントを求められ少々びっくりしました。いくつかのポイントの中から、技術的には難しい移植で、肺の癒着があれば特に大変であることや、臓器の虚血時間が長くなること、拒絶反応の診断が難しくなること、そして移植手術自体から後の管理で心臓と肺の移植チームの連携が問われる、という内容を話し、要点が紹介されていました。心肺移植は癒着剥離が大変で、大量出血や大量輸血は予後に影響するのですが、病気が第1例のような先天性心臓病に伴う肺高血圧ではないので今回は癒着剥離はそう問題ではないと思うとも伝えていました。かっては気管吻合が上手く (縫合不全が起こらない)行くかが成功へのキーでしたが、今は技術的にこの問題は克服されていると思います。臓器虚血は実際どのくらいになったのか分かりませんが、多分そう問題にはならなかったと思います。岡山大学の佐野教授もコメントしていたように、拒絶反応は心臓と肺で別々に起こるので、診断や治療が難しくなります。阪大チームもこれからが正念場ですからしっかり頑張って欲しいと思います。
心肺同時移植は世界で最初に成功したのが1981年(心臓に遅れること14年)で、その後これまで世界では約4、300例に行われています。当初は年間300例近く行われていましたが、ドナー不足や成績があまり良くないことで、最近は年間6-70例減ってきています。また、移植後の合併症が多く、世界の統計では1年3年7年の生存率はそれぞれ60%、50%、40%と、心臓や肺単独に比べ劣っています。ただ、日本では最初の例が既に移植後4年近くなります大変元気にされていますし、心臓や肺と同様に世界の成績より優れた成果を今後も上げてくれると期待しています。
心肺移植に使われなかったら、別の3人への移植が出来た(心臓、片肺x2例)ということにもなり、ドナー不足のなかでは厳しい患者選択になりますが、我が国の心肺移植の患者選定基準はかなり厳しくなっていて、周囲の納得が得られるものと思います。何れにせよ、臓器提供されたドナーの尊いご遺志と家族の活断に敬意を表します。また提供病院の方々も大変だったと思いますが、ネットワークや他の臓器の関係者に移植医療の素晴らしさを示して頂き、僭越ながら感謝申し上げたいとます。改めて臓器提供の尊さを思い,ドナーのご冥福をお祈りいたします。

2013年12月20日金曜日

第三者機関


 最近、第三者機関という言葉がしばしば新聞紙上に出てくる。スポーツでの暴力的指導の問題や学術研究での不正防止などが話題になった。直近では、先般の国家で紛糾した特別秘密保護法に関して出てきている。国会や官僚が暴走しないようにお目付け役をおいて客観性を保つ、安倍首相が後付けのように出してきているようだ。その他、医療に関することでは、医療事故調と最近の専門制度改革である。医療事故の第三者的調査機関の必要性は日本外科学会が音頭をとって10年以上前に提案し、その後、国がこれを受け継いで行った経緯がある。自民党時代に出たものが、民主党政権になって内容の修正があり、それに医療界からの反発があって今まだ店晒し状態となっている。そのうち国会で法案がでることになっているが、医療事故の第三者機関は立ち上がっていない。

第三者機関とは、当事者の利害関係の外にあって、客観的に(第三者的)に物事を公平校生に判断して、適切な対応をする役割がある。しかし、この第三者機関は現実にはなかなか曲者であり、お題目どおりには行かないことも多い。というのは、医療事故でもそうであるが、全くの部外者だけでは対応出来ないのが現実であり、何らかのその分野の関係者の代表が入ってこないとことは進まない。医療には不確定要素があり、不測の事態も発生するから、全くの第三者だけでは対応できない。その分野の専門家がはいってうえで、客観的な判断をすることで役割が果たせるものである。

もう一つの第三者機関は、専門医制度での話である。これまでも概要は紹介しているが、従来の専門医制度ではその領域の学会が自分たちで基準を決めてその上で認定していた。そこを取り仕切っていたのが社団法人日本専門医評価・認定機構である。この機構は当事者である学会の集まりであって、そこが物事を決めて専門医を認定しているので社会的に評価されないのでは、となってきた。そこで、新たな仕組みが作られつつあるが、今までの機構は解散し、新たに第三者機関を作り、そこが管轄する、ということがこの4月の厚労省からの専門医の在り方の基本として出された。

現在、専門医制度の第三者機関の立ち上げの準備委員会が動き出していて、金澤一郎先生が委員長である。その案を見ると、名称は日本専門医機構(仮称)となっていて、議決権のある構成員(社員)には日本医学会と日本医師会、四病院団体協議会、全国医学部長病院長会議、日本専門医制度評価・認定機構5団体が挙げられている。これまでの機構の役割的な継続はなんとか繋がるようだが、そもそも今のこの機構は解散することになっているからここがどうなるのか。それにしううても新たな第三者機関は何とも頭でっかちで、どう動くのが見えてこない。実際の管理運営や付帯的な作業は各学会がやらないとだれもしてくれないのである。上記の社員の組織からはお金も出ないし人も出ない。第三者という葵の御紋のシンボル的な役割に見える。では誰が実際担当するのか。先般の今の機構の社員総会では、この新たな組織案について侃々諤々の議論,というか手厳しい質問がでた。学会のまとめ役である今の機構を残して新たな組織に入らないと何も出来ないのでは、なぜ遠慮しているのか、という意見である。

学会主体の構造が悪い(語弊があるが)とされたのは、専門医認定基準や研修施設認定で,制度間の基準の標準化が出来ていなかったことと、外部調査(ピアレビュー)制度がなかったことに集約されると思っている。今、第三者機関と言ってもそれをやってくれる実働の第三者は誰もいないし、肝心のお金もない(米国は保健機構がレジデントのサラリーを出している)。学会などの当事者が運営する見かけだけの第三者機関でもこまるが、私は上記の標準化とピアレビュー制度を組見込めば、今の機構の主要部分が入って主体的に動いても対社会的に十分納得してもらえると信じている。

専門制度改革においても、第三者というイルージョンに惑わされるのではなく、本質は何かを良くわきまえての制度改革が必要である。そうでないとこれまでの長年の関係者の努力が報われないし、う危険があると思う。専門医制度が変わろうとしているなかで、第三者機関の内容が少しずつ見てきているが、要フォローである。

2013年12月5日木曜日

小児心臓移植の抱える問題


 先週の心臓移植研究会の最後は、特別セッションとして「明日へのメッセージ、小児の心臓辞職」があった。現在、小児(11歳以下)の実施認定施設は、阪大、国立循環器、そして東大であり、それぞれから重要な発表があった。その概要を紹介し、課題をまとめるが、同時に産経新聞が先月から連続して臓器移植の問題を取り上げていて、最後に示唆に富む内容があったので触れておきたい。

まず、国立循環器病研究センターの市川肇先生(私が阪大在職中の小児心臓外科手術のパートナー)は、当該施設が小児用人工心臓の治験参加施設であるが、その候補者の治療経験を述べた。即ち、補助人工心臓が要りそうでも内科治療をきちんとやってみるとでも結構効果があり、人工心臓装着を回避できる症例も少なくないとの意見であった。人工心臓をつけても国内での移植という行く先がない状況を考えて、保存的治療の最後の砦として頑張っている気概を感じた。それでも今後は人工心臓が必要となる症例も出てくるのではと思う。

東京大学心臓外科からは小野教授が最近導入されたドイツ製の小児体外式補助人工心臓(ベルリンハート)の成績が報告された。これまで4例が治験で治療を受けている。1例が米国で移植を受け、残3例が待機中とのことで、我が国でもやっと小児用の人工心臓が使えるようになった。とはいえ、その先の移植がむつかしい状況は変わりなく、海外に依存しているのは何とも歯がゆいことである。募金の額も上がっているようだ。

阪大病院の福島先生が小児の心臓移植に伴うあまり表に出ない課題と対策についての発表であった。それは、子供さんの移植は単にその子供さんが移植を受けるかどうかだけではなく、親はもちろんのこと兄弟へも配慮し、家族ぐるみのケアが必要であることである。そのため、移植外科医や小児循環器医だけではなく、心のケア(心理支援)が出来るスタッフが必要であるということであった。阪大病院小児病棟ではチャイルドライフスペシャリスト、child life specialist (CLS)  がおられて、医師や看護師、そして臨床心理士とともに大事な役割を果たしているということでした。米国の試験と小児病院での実地研修を終えてこの資格を取った方が日本でも働いていることで注目されているそうです。CSLは日本では20数名がおられ、大学病院小児科病棟や小児病院で頑張っているようです。
チャイルド・ライフ・スペシャリスト協会のHP:http://childlifespecialist.jp/

恥ずかしながらそういう職種があることも知らなかったのですが、米国でその資格を取って日本で小児医療の中での心のケアや心理面でのサポートをしていることにも驚きました。看護師がなるというものでもないようです。移植や小児がんの患者さんを支援するこういう方がどんどん現れて、小児病院や移植病棟で活躍して欲しいと思います。海外に任せないで日本版CLS認定が欲しいです。

最後は東京女子医大東医療センター布田先生がこれまでの多数の海外での移植例を見た経験からの提言でした。即ち、小児心臓移植の定着;それは我が国の医療の試金石、というタイトルでした。小児の心臓移植が進まないのは大人も含め臓器提供全体が伸びないことの表れであり、臓器移植や臓器提供について原点に帰って関係者は社会啓発に努力しないといけないし、移植に限らない医療の本質の問題である、というメッセージでした。社会の関心が薄れているのが問題で、我々は機会あるごとにドナー不足と移植医療の素晴らしさを訴えて行かねばならないと感じました。ドナーが足らない、とばかり言うのも問題であることも理解し、社会に命のリレーをもっと知ってもらうため、どうするかが問われているようです。このシンポジウムのことが後日マスコミにどう出るのか、期待しています。

さて、産経新聞の記事を紹介します。それは、心臓病の子供を援助する「明美ちゃん基金」の話でした。この基金は昭和41年に出来たもので、心臓手術を受ける明美ちゃんを経済的に助けようと産経新聞が始めたものです。これまで心臓病の子供さんへの手術などへの経済的援助が行われてきましたが、今年になって初めて国内で心臓移植を受ける子供さんへの支援がされたということです。10歳代の子供さんへで、この8月に東京大学で2年以上の補助人工心臓をつけた後、無事に移植を終えています。心臓移植は保険適応になっていますが、ドナー病院への摘出チームの医師の派遣(交通費)、摘出された心臓を移植病院へ運ぶ費用(チャータージェット代)、そして移植を受けた子供さんの家族の滞在費、が保険外なので基金の対象としたということです。
この自費負担を支援するもので、金額は明らかにされていませんが、数百万では済まない額でしょう。何故そういう費用が要るのかですが、臓器の搬送やチームの交通費は保険対象外で、特に臓器の搬送費用は患者さん負担です。かって阪大でも経験したのですが、移植が決まって承諾書をもらうとき、搬送にかかる費用(チャータージェット機代で距離によっては100万近い)は自己負担であるということを病院長に認める書類に印鑑を押さなければ、日本臓器移植ネットワークはレシピエントの最終決定をしない、ということでした。払えるかどうかの話はしないで(事前には説明している)最終的には病院がかぶる覚悟で進めたとこを思い出します。この基金の支援の話が、小児心臓移植の発展につながればいいと思います。

この記事では患者さんや家族は匿名で、居住地も明記していません、と書かれています。写真は斜め後ろからのものでした。なぜ名前も出さないのか、という疑問に対しての説明でしょうが、臓器移植法のガイドラインのことが記されています。即ち、「臓器提供者の情報と移植患者の情報がお互いに伝わらないように細心の注意を払う」ことが求められている、という内容です。これはかって米国でもそうでしたが、お互いが分からにようにするのが原則でした。しかし、今はドナー家族とレシピエント(家族)が面会することも多くなっていますし、日本でもドナー家族の集まりも行われていいます。私は以前から、移植を受けた患者さんはもっと顔を見せて欲しい、それが社会への感謝であり、次に繋がることになる、と思っています。強制はできないのですが、そうして欲しいと思います。何も互いに面会するのではなく、移植を受けた方が顔を見せ、表に出るということが何故できないのか。それを妨げるのがこのガイドラインの趣旨という記事です。以前、日本臓器移植ネットワークの方に聞くと、それは強制する(患者情報を公表してはいけない)ものではなく、移植の現場の方々が決めていい、という話でした。ガイドラインの趣旨も変わりつつあると思うので、産経新聞の記者の方と一度話をしたいと思います。再開から15年近くなっているのですから。

ということで小児心臓移植の話題を紹介しましたが、小さな子供さんの脳死での臓器提供がどうしたら増えるのか、改めて考えたいと思います。同時に開いた、日本心臓移植研究会幹事会で、今後の学会の活動方針として小児心臓移植の推進を最重要課題としてみんなで努力をしようということになりました。

産経新聞から(11月30日朝刊から転用です)

 

2013年12月2日月曜日

心臓移植研究会報告

   先週の土曜日、さいたま市の大宮で第32回の日本心臓移植研究会が開かれました。前日に東京大学で心臓移植が行われたということで、本年は計32例で、これまでの年間最多数を記録しました。50例までもう少しというところです。実施施設では、国立循環器センターと阪大が累計50例を超えましたが、東京大学も今年は施設としては最多で、先行の2施設を追い越そうとしています。北海道大学と岡山大学ももうすぐ仲間入りでしょう。

さて、先日紹介しましたが、今回の研究会では植込み型補助人工心臓の適応拡大と小児の心臓移植、の二つメインテーマで熱い議論が行われました。前者では、植込み型が急速に増加していますが、移植適応判定の手続きが完了しないと保険償還が出来ないという縛りがあり、現場では移植の適応にはまず間違いないないが、手続きが済まない段階での装着が求められ、見切り発車もある程度容認さているようです。とはいえ、此処をしっかり押さえておかないと、保険償還で問題を起こしたら今後の適応拡大の話も無くなるので、お互い注意しないといけません。ただ、適応のお付きを絶対とすると、本来植込み型を入れたいが合併症の多い体外式や他の一時的補助を敢えてして後から植込み型にするという遠回りをしいといけないジレンマが生じます。患者さん第一ではなくなるのです。

この辺りの判断の仕方について、東大内科の絹川先生がうまく整理されていた。

即ち、BTT(心臓移植へのブリッジ)の予備候補として、装着して死亡を回避しながら移植適応があるかをその後で考えるbridge to decision、最終判断の為のブリッジ、あるいはほとんど移植適応と言って良いが保険適応の手順が完全でなく植込み型が使えないという BTT-likely(ほとんどBTT)の二つがあり、植込み型の保険適応上の拡大のステップとして使えるのでは、という内容でした。今後の関係学会での議論(12月末開催予定)のたたき台になると思われた。 植込み型に直接行くについては後者はいいと思われるが、前者は植込み型を付けても肝不全とか感染とかの臓器不全が起こり易いので、臓器障害の上限のレベルの設定が必要という議論であった。

一方、移植への橋渡しでない、いわゆる永久使用(海外ではDestination Therapy)についても盛んに議論されたが、永久使用はそもそも移植適応外の高年齢(60とか65歳以上)の患者さんが主な対象となると思われるので、今の移植対象者での各施設の経験からの永久使用の議論は適切ではなく、別の対象について議論がいると思っている。そこで、例えば心不全学会主導で対象者の調査をして決めて行くのが筋ではないかと提案させて貰った。このことは前日の心不全学会総会でも学術活動で進めて欲しいと理事長に要望しておいた。

  小児のことについては別に書かせてもらいます。

2013年11月28日木曜日

心臓移植研究会が大宮で開催されます


明日の土曜日は表記研究会の年次集会が大宮ソニックシティで開催されます。この研究会は今年で32回になりますが、心臓移植や他の脳死からの臓器移植についての社会的関心がまだまだ熟していない時期に始まっているわけです。当初は基礎研究や海外での移植の経験等が限られた施設から発表されていましたが、現在は年間30例を超えるようになり、実施施設も9施設に増え、また補助人工心臓の進歩もあって、活気ある研究会になってきています。

この研究会は、心不全を扱う内科の理解と協力が不可欠であることから、日本心不全学会のサテライトとして開催されるようになってもう何年も経ちます。今回は大宮で東京女子医大心臓外科の山崎健二教授が会長で開催されます。シンポジュームとして植込み型補助人工心臓の適応拡大が取り上げられ、さらに特別セッションで、明日へのメッセージ、小児心臓移植、が企画されています。

前日、明日の29日には研究会の幹事会が開かれますが、今年は大事な議題があり、代表幹事としても気の抜けいない会議です。というのは、研究会として熱い議論を続けている事項が幾つかあるからです。この研究会は学術面での発展だけでなく、心臓移植を医療として定着させるという社会的使命をもって誕生した背景があります。後者については、この研究会は今では関連する学会や研究会で構成する協議会の一メンバーではありますが、心臓移植を担当する大学や研究施設が集まり、代表幹事としてはまだまだその役割は大事と思っています。

最近の議論なかで大事なものは、テキストブックの編纂、心臓移植適応年齢の変更、小児の心臓移植施設追加認定、移植適応判定手順の簡素化、そして小児心臓移植の普及、などがあります。最初の既に3つは済んでいることで、小児施設では阪大、国循、東大について東京女子医大が加わっています。残る適応判定の簡素化と小児心臓移植の推進が残っています。前者は再開時から続いている適応判定の手順の改訂です。心臓移植は実施施設での適応判定の後は日本循環器学会の適応に関する委員会のお墨付きがないとネットワークには登録できない決まりになっています。しかし、もう総数が180例にもなって成長した時期なので、各施設の判断を尊重して循環器学会は事後検証の役割に移行して行こうというものです。その始めのステップとして、実績のあるハイボリュームセンターから、例えば心臓移植数が50例を超え他施設、適応判定はその施設に任してもいいのではないか、ということです。かなりの時間と議論を経て実施側は了解しているのですが、行政にどうオーソライズしてもらう、最後の詰の段階です。50例でいいとする理論武装が出来るかどうかです。

小児心臓移植の推進はこの研究会の大事な仕事として、関係する学会と連携して進めないといけない重要と考えています。どうしたらいいか、その方策等の議論が出来ればと思っています。小児心臓移植は大人も当然ですが、脳死のドナーでないと出来ない唯一の臓器移植ですから、この研究会が頑張らないといけないと思います。

もう一つは、研究会の学会への移行です。なんでも学会にすればいいというものではなく、また学会が多過ぎるなかで逆行する話であります。日本には別に肺移植の研究会もあります。日本肺および心肺移植研究会です。両者は胸部の臓器で共通することや、心肺同時移植は心臓も関わります。阪大では心臓と肺のグループが緊密に連携して成果を上げてきました。海外では国際心肺移植学会(ISHLT)があってレジストリーでも大きな役割を果たしています。日本は二つの別の研究会となってこれまで実績を上げてきましたが、そろそろ一緒になって活動することも大事な時期になってきたと思われます。今回、その方向性を議論したいと思っています。ということで、今日午後から大宮行きです。大分寒くなりそうですので、暖かくして行こうと思います。では、また報告します。
 

2013年11月24日日曜日

外科医の偏在

  昨日は名古屋で臨床外科学会というのがあり、座長もあったので一日だけ出かけてきました。朝8時前に新大阪に行ったら大変な混雑。普段の土曜とは随分違うと思ったら祭日でした。この学会は、幅広く外科の実際の臨床について発表するところで、大学主体ではなく最前線で日々外科の臨床で頑張っている若い人が多く集まります。私の出番は慈恵会医科大の大木教授(大動脈ステントの大家)の司会でした。会長は藤田保健衛生大学の前田耕一郎教授で、特別企画にいくつか面白いものがありました。その中の一つを紹介したいと思います。表題のものです。

 ここ10年近く医師の偏在が地域医療を破綻させ医療崩壊をもたらしていると言われていて、いつもいろんな学会で取り上げられます。ここは外科医の集まりなので、外科医の偏在で、それが是正できるか、という企画でした。まず厚労省から地域医療対策室の佐々木室長が行政の立場から現状分析とこれからの方針を述べられ、ついで国立病院機構の桐野理事長がご自分の脳外科の話を含めて、これからどうしたらいいかを話され、現場からは高知県、大分県、そして最後に岩手県から医師確保に頑張っておられる方々の苦労話が紹介されました。この3県とも若手医師確保でなんとか頑張っているが、限界もあることが述べられました。途中で、患者・国民目線での意見として、読売新聞の本田さんも登場しました。

 この医師の偏在は、外科ではそもそも大学の外科講座が其々の中域の外科医の配置(派遣)の大きな役割を果たしてきたのですが、2004年に始まった初期臨書研修制度でこの構図が崩れ、卒業した医師が大学に残らす、環境の良い都会に多く集まって行って今の姿になっていることは明らかです。行政の資料では、確かに医師の偏在は人口当たりの医師数や外科医数でかなりの差があり、これからどうしたいいのかが議論の焦点でした。

医師配置は欧州では国が強制(公的)しているが、米国は市場主義(私的)、日本は折中的なものでありますが、桐野先生はやるなら国が強制力でやらないと実現は無理、というちょっと過激な発言でした。医師会や医学会、大学に任せてもこれまで出来ていないし、初期研修制度で厚労省は半強制を目指したが、返って混乱を招いているのですから、思い切った施策がいることは皆さん了解の雰囲気でした。出来るか出来ないかは別ですが。ここで、議論に登場するのはやはり専門医制度でした。新しい制度では、各領域の専門医の定数をおき、専門医研修施設を病院郡プログラムで認定するので、地域性も配慮できるからです。ここで、本田さんは医師の計画配置、という言葉でその必要性を訴えられました。国民目線で専門医制度の進め方に期待し、注目する、という話でした。

フロアーからの意見の中で、私も本田さんの発表に発言しましたが、それは新しい専門医制度で基本設計で地域性を考慮しても、各学会がどう対応するかによるので、マスコミとして注目し評価して欲しいと言いました。専門医とは何か分かりにくいということもあり、これからは社会との対話が必要であることを再認識しました。

後で関係の方々と少し話をしましたが、私の感想は、今度の専門医制度改革を絵にかいた餅に終わらせないようにしないいけない、ということでした。それと、最初に戻って医師の偏在是正対策ですが、特に地域医療の破綻を食い止めるのは、桐野先生が言われた、思い切った国の措置がないと進まない、とも感じました。医師集団は国の管理は嫌がりますが、地域医療で困っている分野、いわゆる初期治療、救急医療、に限るとすれば皆さん賛成するのではないでしょうか。兵庫県もそうですが、都道府県という自治体任せには限界があることは明白なのですから。

というのが、このセッションの私のまとめでした。

以下は、厚労省調べ(2010)の標榜している医師の専門科別推移。平成6年を基準にした%推移。最上段の麻酔科が急に増えているが、もともと少なかったので、実数はこれほど増えていない。外科と産婦人科が最下位を競っている。共に最近少しは増えているが。

 

2013年11月8日金曜日

 米国医療保険制度改革  オバマケアと患者第一

今日は再び抄読会で、米国の医療保険事情です。読んだものは New England Journal of Medicine の直近号、11月7日号にあった、Perspective (展望)コーナーのもの。ウエブで送られてくる最新版を表紙を見ていて目に留まったものです。これは最近始まったオバマ大統領の医療保険改革政策についての二人の意見です。原著論文というより寄稿と言ったほうが良いでしょう。拾い読み見たいですが、面白かったので紹介します。

     ご承知のように米国では政府管掌の医療保険として、高齢者(65歳以上)対象のMedicareメディケア、と低所得者対象のMedicaidメディケイド、の二つがあり、それ以外は全て個人や雇用者が加入する私的保険であります。米国は国民皆保険ではなく、自由意思でどれかに加入するのですが、公的な二つも自己負担があり、全てが入れるわけではなく、まして一般保険は高額の保険料がかります。ということで、低所得者の多く、5,000万人(最近は8,000万人を超えている)が何ら医療保険を持っていないという、長らく米国の深刻な社会的問題であるわけです。また65歳以下でみると保険未加入者は低所得者の40%を超えるという状況だそうです。

  一方、医療費高騰で州や国の財政状況も悪化し、このままでは公的保険はそのうち崩壊するであろうと危惧されるなかで、オバマ大統領は国民皆保険目指す新たな法律を作ったのです。ヘルスケア改革法(オバマケア法)と言われるものです。実際は二つのパートからなり、その一つが、Affordable Care Actと言われるものです。何のことかと言いますと、医療を受けられ易くする、というもので、手ごろな価格の医療保険を提供する、という趣旨の様です。面白い表現の法律ですが、問題点の解決を端的に表していると感心します。その具体的な方法は、Medicaidのカバーする範囲を拡大するというものであり、同時にエクスチェンジという州単位での医療保険取引制度ができています。これは分かり難いのですが、公的及び私的保険を含め何らかの保険に入れるよう斡旋する機関ではないかと思います。こういう施策でもって、州でかなり違うようですが、例えばMedicaid対象者を増やそう、医療保険拡張、をスローガンとしています。 その法律は来年から実行されるのですが、既にMedicaidカバーは7,300万人(国民の五分の一)に達し、新法によってさらに何百万人が増加すると見込まれています。そうなると、これまで私的保険患者しか見ていなかった開業医は、Medicaidの患者さんもある程度診なくてはならなくなるようです。しかし、支払いの制約があるMedicaidでは十分な医療が出来ないケースも出てくるし、最善の治療を提供すれば赤字診療になる、ということのようです。こういうことは日本から見ると信じられないような、差別医療が存在するということです。

     このようななかで、Ayanian 博士はミシガン州方式を解説し、もう一つのCasalino 博士はMedicaid患者さんへの開業医のジレンマをプロフェッショナルとしてどう対応するか、を述べています。後者論文についてもう少し紹介しますと、何と開業医の30%は新たなMedicaid患者は受けつけないと言っています。専門分野別での非受け入れ医師の率は、整形外科40%、総合内科で44%、皮膚科45%、そして精神科56%となっているとのことです。また、高収入の医師は受け入れをしたくない傾向にあるということです。しかし一方では、受け入れるとしても何とかその数を減らそうと、予約してから診察までが長くするようなことも考えられているようです。要するに、かかる患者を新たに受け入れれば、保険点数が低くコストが見合わないとか、十分な医療が提供できないとか、IT面での煩雑さや費用負担、などが挙げられています。一方、このような患者さんは病気自体が複雑で手間も費用もかかるという背景もあり、新たなMedicaid 診療に参加しない医師が多いようです。再度、日本では考えられない状況です。

    投稿のタイトルがプロフェッショナリズム、であります。医師は学生の時から医師のあるべき倫理指針(かってはヒポクラテス、今はWHOのジュネーブ宣言)を教えられ、患者の経済的背景や疾病やもろもろの背景で診療を差別しない、病める人を平等に診療する、というのが基本であるプロフェッションとしての基本倫理はどうなるのか、という問いかけでもあります。そして、その対応策の一つとして、5%コミットメントキャンペーンが紹介されています。タイトルにもありますが、これは各開業医は自分の診療活動(患者さんの数)の少なくとも5%はMedicaid患者に充てようではないか、というものです。実際5%というと、せいぜい一日一人という予想であるとのことです。一日20人程度を見ている勘定になります。日本と違って一人の診察時間は長く、密度の濃い診療なのでしょうか。 この投稿者の言いたいことは、医師のプロフェッションとしての対応をこの際にしっかり考えるべきではないか、経済的な市場支配的な医療を行うのは本来の姿ではない、という風に捉えられます。

   そして最後に、Patients First、 患者が第一、ということばで締めくくられています。米国でもやっとこういう言葉が出てくること、しかも世界をリードするトップジャーナルであることに驚きを覚えてしましました。補足ですが、この米国の医療保険制度改革は州単位で違うというか、州に任されていて、その対応にはかなりの温度差があるようです。もう一つのミシガン州の取り組み紹介は、我々の参考にして下さい、という趣旨ですが、詳細は複雑なのでタイトルだけの紹介にさせて貰いました。

   読み終わって、日本の健康保険制度も経済的に破綻しつつありますが、国民皆保険という点では素晴らしいことを改めて実感しました。そして、米国の医療が経済優先で患者は後回しになっていたことがオバマ大統領の新法でどう変わるか、対岸の火事(?)ではなく、わが身と思って参考にすべきと思います。最後までお付き合い下さり有難うございました。 なお、私の誤解や認識不足もあると思いますが、ご容赦下されば有難いです。
  11月に入り、関西も大分寒くなって来ました。今度の日曜から一泊で札幌行です。スキーではないですが雪見になりそうです。

  JZ Ayanian. Michigan’s Approach to Medicaid Expansion and Reform. NEJM 2013: 369; 19 ( November 7), 1773-5
    LP Casalino. Professionalism and Care for Medicaid patients – The 5% Commitment? NEJM 2013: 369; 19 (November 7,) 1775—7
    参考資料:日本貿易振興機構(ジェトロ)。 医療保険制度(ヘルスケア)改革法が産業界に与える影響 (2011年10月)

2013年10月24日木曜日

 受動喫煙禁止法、予算委員会質疑から

  先日より車の運転中にNHKの国会予算員会中継を聞いているが、今日は受動喫煙についての質疑が耳に飛び込んできた。質問者はかなり突っ込んで安倍首相に日本の対応が遅れていることを追及していた。誰かというと、前神奈川県知事、参議院議員の松沢成文人さんです。スモークフリー協会代表理事であり、県知事の時に我が国で初めての受動喫煙禁止条例を成立させた方である。熱のこもった納得のいく追及であった。 この件では昨年4月に兵庫県が健康増進法成立後初めて自治体で受動喫煙に関する条例を出したが、その時の議論はワイガンド博士と再会、という題で以前の学長ブログに書かせてもらっている(平成24年9月17日)。

   FTCTと呼ばれるWHOが2005年に発効したタバコ規制枠組み条約があって、日本も批准しながら生ぬるい対応が続いている。兵庫県も分煙を積極的に容認する腰砕けの条例となったことは周知のことでもある。松沢議員は、世界的にも恥ずかしい位の政府の対応を非難し、特にオリンピックの招致とからめてWHOのオリンピック開催においての条件であるたばこ規制(受動喫防止の法的整備)をしないでどうするのだ、そんな「おもてなし」はないからと、首相の決断を促した。努力義務ではなく罰則を作っての対応が世界標準であり、少なくとも東京都はこれを実行しないといけない立場にある、という論点であった。    

   松沢議員は、JTの存在もちょっと指摘し、財務省は及び腰で厚労省は財務省に頭が上がらない、と責めていた。肝心の安倍総理は暖簾に腕押しで、正面からやる気配はうかがえず、総論的答弁であった。広い国民の意見を集めて云々であり、要はタバコを吸う人や、お客さん商売の方々の意見を聞くということのようにも取れる。まあ、首相が、ハイ、ではやります、とは言えないにしろ、もうひとつ前向きな答弁が出なかったのは残念である。 なお、この質疑をマスコミがどう取り扱うか見ものである。

   追伸: 夜になってネットで調べると、時事通信ウエブ版で紹介されていた。首相が自分の経験から、受動喫煙を不快、ということで捉えておられるようで、失礼ながら本質をよく理解されていないのか、あるいは分かっていて避けておられるのか。
   以下参照 「24〜25歳までたばこを吸っていたが、受動喫煙がいかに不愉快かは、やめた途端によく分かる」。安倍晋三首相は24日の参院予算委員会で、自らの喫煙歴を明かし、受動喫煙への不快さを訴える人に理解を示した。みんなの党の松沢成文氏への答弁。

2013年10月20日日曜日

仙台で日本胸部外科学会開催

  先週は仙台で日本胸部外科学会があり(平成25年10月17-19日)、前日の16日に台風の後を追う格好で出かけてきました。水曜日には評議員会なるものがあり、それに間に合うよう予約していた午後の伊丹―仙台便が無事予定通り運航で、ラッキーでした。土曜の昼まで、ほぼ3日間仙台国際センターでセッションを選んで参加してきました。もうシニア―メンバーですから座長とかの出番もなく、気ままに、のんびり仙台を楽しんできました。といっても、街に出たのは二日目の夜だけで、大学の現役若手リーダーと寿司屋さんに行ったくらいです。台風であまり漁に出られなかったとか、三陸の牡蠣は夏が暑かったのでまだ出回っていないとかありましたが、おいしい寿司とお酒で楽しいひと時でした。
     日本胸部外科学会はもう66回を迎える歴史ある学会で、心臓外科、呼吸器外科、そして食道外科の3つの分野をカバーする外科の中の伝統ある基幹学会です。一方で、米国の胸部外科学会(AATS)は世界をリードするこの分野のリーダー格です。若手医師の教育にも確固たる制度を作っています。外科医の卒後教育(専門医制度、レジデント制度)を3つの分野がまとまって一つの専門医の資格にしています。胸部外科、と言う名称が公的に確立されています。日本では、診療科(標榜出来る)としてはその名前はありません。患者さんに分かり難い、ということで心臓血管外科、呼吸器外科、と分けられました。その結果、かって胸部外科講座(教室)という名称で歴史を築いてきた幾つかの大学の講座は、今は心臓血管外科と呼吸器外科に分けられています。今回の主催大学である東北大学も胸部外科講座でしたが、心臓と呼吸に分かれ、呼吸器外科講座の近藤丘教授が会長であります。
  学会前日の評議員会では専門医制度の委員会報告もありました。新たな制度作りが進む中で、総合学会である日本胸部外科学会の役割が大事であることをお願いしてきました。色々誤解もあって、会員にも不安があったようですが、坂田理事長も学会(理事会)の役割の中の最重要事項として取り上げられたのは収穫でした。胸部外科学会が3分野の専門医制度でのイニシァティブを是非とって欲しいと思っています。この辺りのことは、学会の英文誌、General Thoracic and Cardiovascular Surgery、の最新版に私のレビューが出ていますので、興味ある方はご覧いただければと思います。タイトルは、Where does the new regime of medical specialty certification go? です。
    さて、この学会も最近は3つの統合学会としての役割は何かが模索されてきました。各分野の専門的な研究成果はそれぞれに任せて、分野横断的な研究成果を発表できる、各分野の医師が別々ではなく一堂に会して議論する、そういう機会を増やそうと傾向がみられた学会でした。その中で今回期待したのは、心臓と肺の移植に関する合同企画でした。近藤会長が肺移植のリーダーであることから私たち心臓移植組がお願いし、会長の裁量で実現したものです。具体的には、日本移植研究会と日本肺および心肺移植研究会の合同シンポ、でありました。二つの研究会はほとんど接点がなく、別々に運営され、学術集会も冬と秋に分かれて行われています。海外では米国が主体となって国際心肺移植学会が組織され、世界をリードしています。日本もそろそろ一緒になったら、という事もあって今回合同シンポが実現しました。テーマは共通するものとして、ドナーコンディションと移植成績、と言うものでした。限られたドナーからの貴重な臓器をどうしたら最大限活用できるか、大事なテーマで、臓器提供現場で活動する移植医たちの努力と苦悩がよく分かり、有意義なセッションでした。
   来年は福岡での開催ですが、継続してもらえるよう次期会長にお願いしておきました。臓器移植は内科医との連携が大事で,内科医が来ない外科系学会でこういうことをするのは問題があるのですが、両分野の移植外科医が集まって考えることも沢山あるので、意味はあると思っています。近い将来、心臓移植と肺移植が同じ土俵に上がって会議や議論が出来るようになることを願いながらの参加でした。
   仙台と言えば牛タンではなく、2年半前の大震災を考えないわけにはいきません。学会会長や東北大学の方々も、仙台に来られた機会に海岸の方に行って津波の被災地にも是非見に行って欲しいというお話もありました。仙台はもう震災のダメージが見られない活気のある街ですが、津波の被災地の復興はまだまだなので、東北の人たちに元気付を付けてもらう意味でも足を延ばしてほしいということでした。私は残念でしたがそういう行動は出来ず、せめて地元の特産物を少しでも多くお土産に買って帰る、と言うことにさせてもらいました。
    また次の台風が近づいていますが、伊豆大島の皆さんの安全を願いながら仙台行の話をここで一旦置いておきます。急に寒くなってきましたので、皆様風邪をひかないようご注意を。写真はホテルから市街の様子です。学会会場の方向と思います。

2013年10月11日金曜日

コンビニで健康診断 全国初、尼崎市

「身近なコンビニエンスストアで健康診断を受けてもらおうと尼崎市は、大手コンビニのローソンと協定を結んだ。国民健康保険加入者が対象で、今月20日~12月15日の期間中に市内6店舗の駐車場に、市の健診車が巡回し健康診断を実施する。コンビニで健診が受けられるのは全国初という」 数日前、上記にニュースがTVや新聞で流れた。尼崎市では市民の健康診断受診率が低いということで、市とローソンが提携したという。正直、なぜコンビニか、ということである。尼崎市医師会はどう思っているのか聞きたい。尼崎には市立病院がないからなのか。 さて、違和感を覚える方も多いと思うが、私も同じで、ここで取り上げるということにした。その理由は、駐車場を使うというが受け付けはそのコンビニ内で行うということや、なぜR社だけなのか、かかる事業の公共性からいって市はCOI(利益相反)をどう考えているのか、疑問に思ってしまう。この尼崎方式が受け入れられるなら、コンビニは献血にも協力して欲しいと思うし、R社はコンビニでの煙草とお酒の販売をこの機会にやめてはどうか。 携帯やスマートフォーンと共にコンビニ依存が社会現象であるなかで、健康維持という面で一石を投じたのか、コンビニ理論が勝つのか、要フォローです。

2013年10月3日木曜日

医療費の無駄と質

       昨日のNHKクローズアップ現代は、「ムダの見える化 医療の質を上げろ」で、岐阜大学医学部付属病院が取り組んでいるビッグデーター事業の紹介であった。医科歯科大の川渕孝一教授が開設で登場していた。詳細は他に譲るが、幾つか論点が浮かび上がってきたので書かせ頂く。

まず、冒頭に医療費が高騰して年間総医療費は37兆円に達していることが協調されている。10年位前は30兆円であったから、確かに急速な上昇ではある。そういう背景で、医療費の使い方にムダがあるはずで、ここを漠然とした考えでなく、データーで攻めて行こうというのが最近の世界の傾向で、岐阜大は率先してこの事業を専任の教授のもとで進めている。ここで、ムダという表現は単純に無駄なものとして切り捨てていいかはまず議論が要る。何の研究でも主たるテーマの定義がはっきりしないと結論は甘くなる。という事はさておいて、大学病院は多くの患者さんが来られ、多様な診療科があって高度医療も行われている。また、医師は自分の領域で専門性の高い先端的な医療を積極的に進めているが、診療科間の横の連絡は乏しい。従って、薬の過剰投与など、最適な治療が総合的に行われ難い状況がある。そこの調整役はいままで誰もしなかったし、しようと思っても適切な人材もそれを受け入れるポジションもなかった。そこ膨大な臨床データーを一括して管理し、そこから出てくる情報を使って医療の質の改善を目指しているのが、岐阜大である。

外科医については手術時間のことが紹介された。予定時間を延長した手術が多いのがまずやり玉に挙がってきた。そこには、手術が長くなると再手術が多いというデーターが出ていて、術前検査や手術計画をもっと適切にやったら改善する、という話であった。手術時間の延長は思ったより重症であったとうこともあるが、外科医側は手術を多くこなしたいので決められた時間枠の中に無理に予定を入れるという現実もあると思う。これは麻酔科の陣容や考え方に大きく左右される。

我が国では手術室の使用に時間当たりいくらかかっているかの基準が現実離れの安さで計算されているうえに、医師や患者さんもそうであるが、高額な医療資源(設備と人)を使って医療をしているという感覚に乏しい。ICUもしかりである。これまで医師側には周りはあまり意見がしにくかったが、データーを見せて納得させる、という方式になりつつある。

医療費の無駄と再手術については、結論の導き方に疑問がでる。とはいえ、この事業の結果、入院期間が減り、再手術率が少なくなり、手術件数も増えたのか、病院全体の利益が大幅に増加したという。素晴らしい、結果でありほかの大学病院への影響も大きいのではないか。今回の紹介は、医療費の無駄を少なくすると言う視点ではあるが、表題の質を上げる、とは直結しない危険もある。医療費削減、無駄を省け、というこことは以前から言われて実行していることであるが、返って質の低下やリスクを高める結果にもなる。そうしないためには、岐阜大のよう医療の適正化を病院全体で共有し、その基盤にビッグデーターを使うことも大事であるが、それを担当する責任ある人材の登用である。川渕教授も言われていたが、そういう人材が日本では育っていないし、一般病院では採用予算もない。診療報酬での対応も提案されていたが、大いに期待したいが、それを整備できる病院がどれだけあるのか、疑問である。また、データーベース至上主義になると種々の弊害も出てくる。管理医療、データー医療、電子カルテ医療、など患者さんの顔をも見ながらの丁寧な医療が損なわれないか。

最後ですが以下のコメントが大事です。医療費高騰と言う強力な出だしのメッセージは社会にどういう印象を与えるであろうかも考えるべきである。高騰している医療費は何処で増加しているのか、どこが無駄なのか、そこの分析を紹介しないで、一大学病院の事例から、医療費はムダが多いという印象を与えるのは本質を見損ねる恐れがある。医療不信にならないよう注意がいる。総医療費とGDP比率はどうなったのか、大学病院の医療費は全体のどの位を占めるのか、入院期間短縮は医療削減にはいいが患者さんには本当にいいのか、などなどで論点が多いテーマである。岐阜大学の外科の先生の意見を聞きたくなった。
補足:2011年のもこの番組は、「医療費のムダを減らせ、国民皆保険50年」を放送している。NHKの影響は大きいので要注意か。

2013年9月29日日曜日

産科医不足

    先日の新聞で兵庫県伊丹市の市立伊丹病院が来年4月からお産(分娩)を扱わないことになった、という記事があった。これまで年間300件のお産を扱っていた地域の中核病院であるが、4人いる産婦人科の当直できるスタッフの一人が退職するが後任のめどがつかない、と言うことである。一人減るだけでどうしてと思われるが、緊急対応もあり当直体制が組めなくなる。伊丹市の近くでは西宮市立中央病院、宝塚市民病院もこの6年位の間にお産を扱わなくなり、市立芦屋病院も既に産科は休止している。阪神間には市民病院以外に県立病院や半公的病院が幾つかあり、個人病院もあることから、産科の地域医療崩壊にはならないであろう。とはいえ産科医不足というより地方自治体病院の医師不足は依然として厳しいことを物語っている。

医師不足や地域医療の崩壊、という記事が最近は少なくなったとはいえ、産科では救急対応が遅れて救命出来なかった事例もまだ記憶に新しい。救急医療に限ると、小児科の夜間診療では大学病院や関連の自治体病院の小児科医が連携して1か所に集約して医師不足に対応している所もある。一般救急でも、断らない病院の整備が行政の主導で進みつつあるようだ。産科については、嘗て隠岐の島の一人医長であった産科医が撤退して、島ではお産ができなくなったということもあったが、今回は都市部での話でありその背景には大学病院での産科医の確保が出来なくなっているのではないかと想像される。産科はハイリスク診療であり、関係学会では、最低3名の産婦人科常勤医師がいないと公的病院では安全に運営できないとしているようだが、それもぎりぎりで、10名近くの常勤医がいる病院にお産は集約しないといけないという意見もある。

自治体病院の多くは大学医学部からの医師派遣に頼っている。大学の医局(古い言葉であるが、まだ現実的に残っている)が若い医師を集めていた時代は良かったが、2004年の臨床研修制度開始でもって卒後2年間は厚労省主導で各地の指定病院に勤務することが義務付けられた。その結果、それまで卒業したらほとんどが大学のどこかの医局に入っていた構図が崩れ、大学医局から若い医師がいなくなってしまったのがきっかけである。地域の第一線病院や自治体病院から医師の大学医局への引き上げ現象が起こり、その構図がまだ続いている。その中で、産婦人科は医師不足が厳しい状況が続いている。

医師不足については全体数と偏在の二つの問題が背景にあるといえる。また、偏在といっても、専門性での偏りと地域の問題、さらに勤務医と開業医のバランスもある。専門性では、労働環境や医療訴訟リスクなどが若い医師が将来の専門分野を選択する上で影響し、外科や産科が敬遠される原因となっている。Quality of Lifeは患者さんに対する医療上の言葉であるが、最近は医師にも当てはめられている。自分の生活を犠牲にして献身的に患者さんを診なさい、といっても通らない時代となった。労働環境が悪いと医療ミスも起こり易いことも理解されてきた。米国でも医学部卒業生が将来の専門分野を選ぶ時に、自分の生活がコントロールできる科とそうでない科に分けて、前者への希望者が多いという結果を10年位前であるが学術誌に出ていた。外科や産科はコントロールできない代表である。

さて、産科については医師数がどんどん減っているというわけではなく(補足で説明します)、恐らく勤務医がなかなか増えないことが問題であると思われる。勤務医が個人病院やクリニックの産科に移っている数と、大学の産科医局に入ってくる数の均衡が崩れているのではと想像される。先の市民病院でも4-5人の医師で当直やお産の緊急対応をすることに限界があり、何年かは(10年とかそれ以上)使命感を持って、家庭を犠牲にして頑張っているうちに「燃え尽き症候群」になっていくのではないか。

日本産科婦人科学会は卒後3年目からの4-5年間の専門医の研修を行い、優れた若い産婦人科医を育ててきている。毎年の専門医資格取得者の数をみると、ここ何年かは年300人位(昨年は400名位)である。専門医資格をとらないで病院や大学で診療をするのは難しいことから、毎年の新人は300人程度という事になる。因みに外科専門医は毎年800人程でありまだ多いようであるが、その先に幾つかの専門分野に分かれるので決して十分ではない。産婦人科でも将来は産科と婦人科に分かれるから、毎年の新人が300人ではとても回らない。80いくつの大学医局に残るのが毎年せいぜい3-4人、あるいはゼロから数人、ではいくつもある関連病院の人事は到底できない計算である。といって、どこの診療科の専門医取得者が多いから、何らかの方法で調整したらというが、そういう仕組みにはならない。其々の診療科や大学医局が若い医師にとって魅力あるものにすること以外には方法はない。

とはいえ、専門医制度の仕組みが新しくなろうとしていて、厚労省は医師の専門性や地域性の偏在をなんとかこの機会に改善してほしいという意向である。しかし、医師側は筋が違うし専門性選択の自由は行政でどうこうするものではないとして、抵抗している。とはいえ、分野毎の専門医数にある程度の適切な数を設定し、トレーニングできる枠を決めてはと言う考えもある。米国では医師の最初の5-6年の研修は国や医療界が面倒見るべきとして、医療費の支払い側(保険機構)がレジデント(日本の後期研修医)のサラリーを負担している。一方我が国ではその病院が若い修練中の医師の給料を勤務医枠内で工面している。仕事をさせながら教育もついでにしている、ということになる。とはいえ、専門分野の選択を医師の好き勝手に任していれば社会は黙っていないであろうし、余り偏れば自己破綻につながるであろう。この辺りをうまくバランスをとりながら新たな専門医制度が進んでいけばいいと思っているがどうなるか。

2004年の新臨床研修制度の話に戻ると、時の厚生省は医師の偏在や地位医療の崩壊は大学医局が若い医師の人事権を持っているからであり、その是正のために医学部卒業生をそれまでの大学医局から離して地域の一般病院に多く行かせるという考えであった。その結果、確かに大学で研修する人数は大幅に減ったが、地域への医師配分には効果はほとんどなく、返って大学が医師引き上げを行って現場の混乱を生じてしまったのである。新たな専門医制度もその二の舞にならないようにしないといけない。

産科医療にせよ、救急医療にせよ、何年経っても問題の解決にはなっていないのは何故なのか。医師側も、開業医主体の日本医師会と大学や病院の勤務医が合いよらないと解決の道も見えて来ないのではないか。日本の医療レベルは素晴らしいが、医療提供体制や若手の教育制度ではかなりの問題がある。この辺りの課題には色々な分析があり、原因や背景ははっきりしているが、どうしたらいいのかの決断が出来ないまま来ているようだ。私立伊丹病院が産科の取り扱いを来年度も継続、というニュースが流れることを願っている。

補足:産科医の数については少し誤解を招くような内容でしたので、修正しまします。千葉大学医学部産婦人科教室生水真紀夫教授のHPでのコラム、2008年ですが、参考になります。雑誌「医学の歩み」( 224(12):942-945, 2008)に投稿されたものですが、厚労省の統計上、平成6年から18年で全体の医師数は15%増加しているのに対し、産婦人科医は12%減でした。平成18年にはそれまでの1万数千人から9500人へとかなり減っています。また、産婦人科学会入会者は平成16年にそれまで約350人程度であったのが18年には280人と減少。これは新臨床研修制度の影響です。この後は、入会者ではなく専門医資格取得者についてですが、300人程度で維持していることは本文で紹介しました。

 

2013年9月22日日曜日

熊本城で中秋の名月鑑賞


ご無沙汰しておりますが、早いもので明日はもう秋分の日です。2週間ほど何とはなしに過ぎてしまったようです。今年は秋の訪れが遅く、まだ結構暑い日が続いています。先週は台風18号が関西にも襲ってきて、京都の桂川の氾濫で嵐山の観光地が水に浸かったり、大雨の被害が各地で発生しています。さらに突風や竜巻などもありました。これまでに経験したことのない大雨といった異常気象警報が少なくありません。昨年、台風21号が和歌山県に甚大な被害をもたらしたのも9月上旬であったと思います。学長ブログに書いたことを思い出しますが、自分が小学校のころには二百十日、91日だったと思いますが、台風シーズでその備えを学校で聞いたことを覚えています。最近は台風も8月中か9月中旬に多いのか、二百十日という言葉は耳にしなくなったようです。今日はまたも3連休の中日ですが、昼間は夏日の様な暑さで、秋の気配はまだまだ感じられません。

とはいえ、先日15日は彼岸の入り、15夜で、熊本城の中で素晴らしい中秋の名月を拝むことが出来ました。日本列島が好天に恵まれ、各地で楽しいお月見ができたのでは思いますが、私は熊本で楽しみました。日本心臓病学会の前夜祭が日が暮れてから熊本城の歴史ある広場、奉行丸広場、で行われました。ライトアップされたお城と名月のコンビネーションが素晴らしかったです。ところで中秋の名月が満月となるのは次回は8年後らしいです。

心臓病学会は心臓内科のドクターや看護師、リハ、超音波検査、などの多職種が集まる学会で、心音図や地超音波診断がメインでしたが、今は広く臨床心臓病に関した現場からの発表や教育講演が多くみられます。Clinical Cardiologyという英文名からもその趣旨が分かります。私は特に約はなかったのですが、数年ぶりに出かけてきました。外科医は少なく、セッションも限られていましたが、心臓移植や補助心臓の特別セッションもあり、また最近注目のカテーテルで大動脈弁を治療する方法のパネルもあったりして、1日半しかいませんでしたが、それなりに楽しんできました。

今日紹介するのは、TAVI とかTAVRと言われる経カテーテル大動脈弁植え込みや置換術です。心臓手術、特に心臓の中の弁を変えたり修復する手術は、人工心肺を使ったり、心臓を止めたり、と多くは侵襲的であり、合併所も少なくないところから、最近は低侵襲アプローチが進んでいます。高齢者や透析患者さんでは心臓の出口にある大動脈弁が石灰化で狭くなり、心不全や突然死をきたします。最近は高齢者でこの病気が見つかることが多いのですが、80歳や90歳となると手術の危険率は高くなります。こういうなかで、胸を開かないで、大腿部や小さな傷で、カテーテルで治す方法が登場し、欧州では大変ない勢いで広まっています。既に7000例*に行われたとも言われています。これはカテーテル(シース)の中に萎めて入れられるステント付の生体弁があって、カテーテルを大動脈弁まで進めてそこで元の狭い弁を風船で広げ、その後に新しい弁をカテーテル(シース)から押し出して置いてくる、というものです。レントゲンの透視下に行います。ハイブリッド手術室という数億円もする設備と場所が要ります。カテーテル技術やいざという時には外科手術に切りかえられるような体制も要りますし、講習を受けた施設と医師でないと出来ないようになっています。何処でもできるものではないのですが、この秋から保険償還されるとのことですから、次第に広まっていくでしょう。

今日の紹介は実はこれからが大事なのですが、長くなってきたので簡単にします。このカテーテルによる大動脈弁置換は大変魅力的で高齢者で手術が困難な方にはいい方法でしょうが、今回の発表で分かったのは結構厳しい合併症があるという事です。高齢者やハイリスクで片づけられないものであるという印象です。大動脈弁を無理に広げることから、外に石灰化した塊が飛び出したり、冠動脈口を塞いだり、出血や緊急に外科手術が必要であったり、10%にはペースメーカーが必要になるなどです。それより、結構な頻度で植えた弁の周りの漏れがあることです。外科手術では到底ほっておけないものが、まあこれくらいなら耐えられるか、という不完全な状態で終わっているケースが結構あるようでした。

長年にわたり外科手術で大動脈弁を手術してきたものとして、大歓迎とは言えないし、低侵襲といえかえってリスクが高くなるのではと、思ったりして帰ってきました。一方では、補助人工心臓は移植適応でない高齢者にも適応するのか、という話題も別のところでありました。補助人工心臓も緩和医療と重なってくる、という話題もありました。心臓病でも高齢者をどうするかがこれからの大きな課題のようでした。
余り推敲できていない荒い内容ですが、お許し下さい.

 下の絵はTAVIのシェーマです。Webからのものです。風船で膨らませた状態の絵で、これから風船を萎ませてカテーテルを抜いてきます。右は左室心尖からの方法。
 * 70,000例でした。




月の写真はぶれていますが、雰囲気だけでも。

2013年9月9日月曜日

日本移植学会で

    先週は京都宝が池の国際会館で、アジア移植学会と日本移植学会が合同開催で行われました。会長はアジアが高原阪大教授(腎移植)後者は澤教授(阪大心臓血管外科)で共に阪大であり、言い換えると阪大の移植関係者の合同開催と言ってもいいでしょう。アジアの方は週の前半で、大雨や天候不順で海外からの出席者には気の毒でしたが、後半は天気も回復し日本移植学会は盛会に終わったことは母教室関係のものとして良かったと思います。アジアかも沢山来られていましたが、各国の臓器移植の現状が良く分かり、どうしたら脳死(死後)の臓器提供が進むかが議論になっていました。といっても、宗教や国民性で欧米に遅れていた脳死臓器提供も、各国は国が制度を作り後押しをして随分成果を上げていました。その中で、我が国は依然として後進国で、ここ数年提供が増えているとはいえ、桁違いの差に改めて根本的な対策が必要と思いました。韓国は宗教的な背景が異なるとはいえ、最近は年間400例に達する脳死での臓器提供があり、心臓移植も年間100例近くまで増やしています。日本がいまだに年間50例弱の臓器提供に比べると大きな差があります。臓器提供の比較では、人口100万人当たりの数が出ますが、世界トップのスペインが約30、欧米では少なくとも10を超えています韓国は数年前の8から今は10に近くなっていますが、日本は1にも満たない状況です(0.3-0.4)。  
   一方、肝臓移植では生体肝移植が米国や海外ではドナーの死亡例があったりして、減少傾向にあることも分かりました。日本は依然として肝移植は生体に依存していますが、生体肝移植数は減少傾向(日本で年間500が400程度)にあることも示されました。心臓移植は脳死移植しかないのですが、我が国の脳死臓器提供は人口や待機者数を考えても、年間500例、少なくとも数百例はあって欲しいと思います。どうしたいいのか、これでいいのか、何故か、など討論が盛んに行われましたが、学会は議論だけではなく具体策を実行をすべきと思います。
     さて、私は今度の日本移植学会で、会長の澤教授の会長講演の司会と、特別企画の「脳死移植の歩み」、という所での出番でした。最初の法律が出来てからの心臓と肝臓の最初の症例の話を紹介しろ、というものです。心臓は私、肝臓は当時信州大、現在は順天堂大の川崎誠冶教授が演者でした。今さら再開例は、という昔話はさておいて、今何をすべきかを主に喋らせてもらいました。今のドナーの数では到底移植医療は成り立たないから、移植学会は奮起してほしい、というメッセージでした。一方、補助人工心臓は心臓移植には無くてはならない存在ですが、その適応や今後の展開についても普段考えていることを述べさせてもらいました。人工臓器も再生医療もこれから大事ですが、共に臓器移植を基盤にして発展するものであり、また存在するものであり、ドナー不足をまず解消する努力をしてほしい、という内容でした。会長の再開例をもう一度若い人に知ってもらうという意向とは異なったかもしれませんが、普段考えていることを聞いていただけたと思っています。 
    この学会は、数年前からですが、看護師の方の参加が増えています。これは移植コーディネーター制度が定着してきた証拠と思います。設立に関与した者として嬉しいことです。学会では看護系セッションも結構あり、その中の一つに阪大関係の発表と心肺移植の術後の患者さんの発表もあったので聞きに行ってきました。ミニ口演で、討論時間はあまりないのですが、フロアーからあまり質問もないので、というか対象が移植施設に限るのでしょうがないところもあるのですが、少しコメントと質問をしてきました。一つは、心臓移植と心臓リハについての東大病院理学療法士の方の発表であり、もうひとつは阪大移植医療部移植コーディネーターの心肺移植待機患者ケアの発表でした。何か、参考というか刺激になればと思ってのコメントでした。まだまだ話題は多いのですが、私の印象に残ったことを主に紹介しました。
     昨日、2020年のオリンピック開催地が東京に決まって日本中が湧いていました。本当に良かったと思います。決まると決まらないでは、日本の国際的信頼、わが国の経済発展、国民生活、そして震災復興、なかでも福島の汚染問題、に大きな影響が及ぶからです。原発汚染問題もオリンピック準備もこれからスタートでしょうが、皆で支えるのが大事でしょう。まあ、これで政治や経済の東京一極集中が益々進むのでしょうが、大阪とか関西はどうなるのか、という思いもあります。科学で頑張りますか。

 図の説明 左は我が国の脳死臓器提供の推移 法律が変わって増えているが年間50例に至ってていない。




  韓国の脳死下臓器提供数の推移 折れ線は提供総数、棒グラフは心臓移植数。

2013年8月30日金曜日

 理学療法士のプロフェッショナル

    最近リハ関係の皆様と懇談する機会が増えています。兵庫医療大学で理学療法士や作業療法士の先生方と一緒に大学作りと学部教育を考えてきたお蔭です。なかでも、心不全と理学療法、運度療法、というテーマは植込み型補助人工心臓が広まってきたせいか旬になってきているようです。先の仙台での心臓リハ学会の話もそうです。

一方では、専門職の生涯教育についても意見交換ができる機会が増えています。それは、私が医師の専門医制度に関わっているからと思います。日本専門医制評価・認定機構の中で、今行われようとしている改革でのプログラム認定についての指針を纏めたりしています。専門医制度も変わりますが、この流れは他の専門職者の国家資格の後の認定や専門認定へ影響を及ぼすのではという事もあると思います。

先週末は奈良県にある畿央大学に行ってきました。この大学は今年で開学10周年を迎え、健康科学部理学療法学科の開設記念講演会があって、そこに呼ばれていました。庄本学科長は住吉高校の同窓の関係でもあります。この学部は、4年生の理学療法学科としては関西初で、兵庫医療大学開設準備では見学させてもらった経緯もあります。記念講演会での基調講演でしたが、タイトルは、「プロフェッショナルとしての理学療法士への処方箋」でした。なかなか難しい要望であったあったのですが、何とか話を纏めてきました。

詳しい内容は省きますが、プロフェッショナルという視点からは、認定制度や専門資格制度への考えを、医師の専門医制度に絡めて提言しました。その骨子は、①認定士にせよ専門士にせよある程度数がないと力にならない、②卒後教育(生涯教育)でのコンピテンシー手法の導入、でありました。後者は、私自身未だ十分理解出来ていないのですが、米国の医師や看護師の生涯教育・認定制度で今や根幹になってきている考えと思われます。もともとコンピテンシー理論や方法は、企業や会社での人事管理や人事考課、採用、評価、で使われてきたもので、成果達成能力、とも言われます。従来の知識や経験でみる通り一遍の能力評価とは次元が違うものであります。ダイナミックな要素が入っています。知っているだけではなく、どう活用し、成果が上げられる能力があるか、doが問われるものであります。米国では医療関係の専門職教育に活用されています。我々は、これまでGIO SBOとして扱ってきたものですが、内容は同じとしても、コンピテンシーは成果主義(outcome-based)とも言えます。

コア・コンピテンシーとサブのコンピテンシーに分かれ、主なドメインと呼ばれるコア・コンピテンシーは5つくらいあっても、サブはそれぞれの場で可成りの数が上げられています。其々についての到達目標があるわけです。従来皆が現場で何となく漠然とした中でやってきたことを、成果がうなる、という視点が整理されてきたようです。システム作りに大事になってくるものでしょう。

米国では、看護師の上級資格取得の制度で盛んに宣伝され、日本の看護の大学院の先生方が取り入れているようです。米国の医師専門医制度は30年かけて素晴らしいものにしていますが、1999年になって、教育の仕組みと評価制度において、以下の6つのコンピテンシーを掲げて成果を上げています。

    1. Patient care                                                       患者のケアー
     2. Medical knowledge                                            医学知識
 
    3.  Practice-based learning and improvement            実務経験
    4. Interpersonal and communication skills         コミュニケーション
          5. Professionalism                                                        専門性

   6. System-based practice                  医療システムの中の活動

さらに今年からは、4つに絞って、Milestoneという名称で、段階的に評価(教育する側とされる側の両方です)する方式が始まっています。我が国の専門医制度改革でも取り入れるべきものではないかと思っています。

このコンピテンシーという考え方を、理学療法士の生涯教育の場でも採用していくのが、プロフェッショナルとして社会から認められる一つの大事な道ではないか、という話をさせてもらいました。処方箋になったどうか分かりませんが、皆さんがどういう反応をされたか、また聞かせてもらうつもりです。

ということで、今日はこの位にします。 8月も終わりですね。体調管理に気を付けてください。私は、熱中症のリスクを避けて、この夏の自転車はほどほどにしていますが、体がなまってきたでそろそろしっかり走ろうかと思っています。

2013年8月21日水曜日

心臓移植 対 長期機械的補助:臨床的均衡?

  関西では連日暑い日が続いています。北海道・東北地方では集中的な雨の被害も出ていますし、鹿児島では桜島の爆発的噴火もあり、夏の終わりといえ落ち着かない毎日です。
 さて、今日は抄読会です。会員になっている内外の学会の学術誌が手元にまだ結構の数が送られてきますが、そのままゴミ箱行きか本棚へとなるのですが、数は少ないですがパラパラと中を見るものもあります。今日は夏休み気分でもあり、珍しく中身を見ていてこれは読まないといけないというものが出てきました。雑誌は欧州心臓胸部外科学会誌(European Journal of Cardio-Thoracic Surgery)です。欧州はかっては其々の臨床分野で各国が雑誌を持ち、自国語で学会をやっていたのですが、今は雑誌も学会も英語で統一し、米国に負けるものかという勢いです。その一つがこの雑誌ですが、Editorial(論説) に心臓移植と補助人工心臓の二つが載っていました。特に前者でびっくりしたのは、著者がSara Shumway(サラ シャムウェイ)とあります。そうです、心臓移植のゴッドファーザーでもあったスタンフォード大学のNorman Shumway教授のお嬢さんです。心臓外科医になっておられ、心臓移植にも関わっておられて、今はミネソタ大学の心臓胸部外科におられます。
さて、タイトルが表題のものです(日本語にしています)。心臓移植対植込み型補助人工心臓(VAD)という議論は最近よく出てきます。植込みVADの進歩、特に米国での永久使用(Destination Therapy) が登場して以来、心臓移植に代わる治療法か、心臓移植はどうなる、といったことが討論のテーマになったりしています。日本では移植が少なく、最近はもうVADが取って代わっていいのでは、という意見を言う方もおられます。米国は心臓移植が年間2000例をコンスタントに実施していながら、VADの登場で心不全治療のパラダイムが変ろうしています。この雑誌のもう一つの論説は人工心臓ですが、今日はシャムウェイ先生の内容を紹介します。
まず、副題の臨床的均衡は英語の元のタイトルでは、clinical equipoise? です。この言葉は実は恥ずかしながら私にはなじみが薄かったのですが、プラセボ(偽薬)を使った臨床試験において、被検者の立場を守りながら科学的データーを作っていくときの倫理の話のようです。プラセボや従来の治療を対照として、新たな治療や薬の効果を調べるには、無作為比較臨床試験(ランダム化臨床試験、RCT)として、被検者に恣意的に一方の選択肢に入れることがないようにしています。ここでプラセボとか古い治療など、被検者にほとんどメリットがない選択肢があるのは倫理的におかしい、という議論が続いています。RCTに参加する方のメリットは個人的にはなく、母団のメリットへの参加にしかならないのです。ということで、対照(コントロール)として何を選ぶかが大事になってきています。被検者の「最善の治療を受ける権利」を守るのか、集団の理論(統計学)が優先するのか、ジレンマが何時も出て来ます。二つの選択肢が倫理的に同等(均衡)であるかは判断が難しいわけです。
これを理論的にサポートしようとしているのが、1987年にFreedmanが提唱した「clinical equipoise」とされています。東京医科歯科大学の津谷先生の解説によれば、臨床試験で二つの新しい治療を比べる場合に、理論上それらが同等であると証明するのは困難であるが、その臨床試験をするコミュにティーの中でどちらが劣っているかの意見が分かれるような場合、臨床上の均衡clinical equipoise があるとして、その場合はRCTを行ってもいい、というものです。そのためには、両者の科学的データーをしっかり漏れなく集めるという、システマティック・レビュー、をして、エビデンスの現状を理解し、正確に評価する必要があり、これをコクラン共同計画、と言うそうです。高いエビデンスを作るためにはまず現状を厳しくレビューして、臨床試験に臨ことが求められて要るわけです。
肝心の論説の内容に行く前に統計学のお勉強をしてしまいしたが、シャムウェイ先生はまさに両者(移植とVAD)の信頼出来るエビデンスを紹介しています。要点のみを紹介します。最近の心臓移植のデーターでは、九万人以上の患者の中間生存年は10年(生存者が半数になるのが10年)で、1年まで生存していれば63%が10年、27%が20年生きるチャンスがある、というデーターも出ています。植込み型VADの成績は向上しているが、長期成績はまだ十分ではなく、安定した状態で植え込んだ場合には1年と2年の生存率はそれぞれ88% 80%であります。移植や植え込み後の年間死亡率は移植で6%以下、VADでは10%以下、とまだまだVADの長期管理は難しい状況に見えます。その他、医療費(費用対効果)の報告も出てきていて、これからより長期で移植とどう違うかが求められるが、両者ともかなりのコストになっているのは事実です。
各々の治療の現在での課題として、移植では悪性腫瘍の発生、慢性拒絶、感染、などまだ克服されていないものが多くあり、一方のVADでは適切な抗凝固療法が課題で、血栓症やドライブラインの感染、脳梗塞などを克服する必要があります。ただ、年齢がいった患者さんは、移植は若い人にチャンスを与え、VADがいいとも言っています。
これ以上の詳細は省きますがclinical equipoiseという視点では、心臓移植は末期的心不全の治療手段としゴールデンスタンダードに変わりはないが、ドナー不足が問題である、と指摘しています。この二つは均衡していないということでしょうか。最後にはドナー不足解消には、mandatory donation(義務的提供)が助けになるであろう、しています。家族の同意が得にくいわが国でも考えないといけないことでありましょう。なお、筆者はこれだけしっかりオーバービューをしながら、両者のRCTをしろとは言っていないのです。これだけデーターがるから、それらをよく見て適応を考えるように、ということでしょうか。
 一人抄読会みたいで、長くなってすいません。暑さが続く中で面白い話題ではなかったかもしれませんが、最後まで読んでいただき、感謝です。 暑い夏ですが、もう少し辛抱して乗り切りましょう。

参考文献 
Shumway S. Heart transplantation vs long-term mechanical assist device: clinical equipoise? European J Cardio-Thoracic Surgery  2013;44:195-197
Freedman B. Equipoise and the ethics of clinical research. N Eng J Med. 1987; 317:141-145
津谷喜一郎. Evidenceと臨床試験 (I. レクチャーシリーズ). 日本産科婦人科學會雜誌 1999; 51(9): "N-223"-"N-227"