2013年9月29日日曜日

産科医不足

    先日の新聞で兵庫県伊丹市の市立伊丹病院が来年4月からお産(分娩)を扱わないことになった、という記事があった。これまで年間300件のお産を扱っていた地域の中核病院であるが、4人いる産婦人科の当直できるスタッフの一人が退職するが後任のめどがつかない、と言うことである。一人減るだけでどうしてと思われるが、緊急対応もあり当直体制が組めなくなる。伊丹市の近くでは西宮市立中央病院、宝塚市民病院もこの6年位の間にお産を扱わなくなり、市立芦屋病院も既に産科は休止している。阪神間には市民病院以外に県立病院や半公的病院が幾つかあり、個人病院もあることから、産科の地域医療崩壊にはならないであろう。とはいえ産科医不足というより地方自治体病院の医師不足は依然として厳しいことを物語っている。

医師不足や地域医療の崩壊、という記事が最近は少なくなったとはいえ、産科では救急対応が遅れて救命出来なかった事例もまだ記憶に新しい。救急医療に限ると、小児科の夜間診療では大学病院や関連の自治体病院の小児科医が連携して1か所に集約して医師不足に対応している所もある。一般救急でも、断らない病院の整備が行政の主導で進みつつあるようだ。産科については、嘗て隠岐の島の一人医長であった産科医が撤退して、島ではお産ができなくなったということもあったが、今回は都市部での話でありその背景には大学病院での産科医の確保が出来なくなっているのではないかと想像される。産科はハイリスク診療であり、関係学会では、最低3名の産婦人科常勤医師がいないと公的病院では安全に運営できないとしているようだが、それもぎりぎりで、10名近くの常勤医がいる病院にお産は集約しないといけないという意見もある。

自治体病院の多くは大学医学部からの医師派遣に頼っている。大学の医局(古い言葉であるが、まだ現実的に残っている)が若い医師を集めていた時代は良かったが、2004年の臨床研修制度開始でもって卒後2年間は厚労省主導で各地の指定病院に勤務することが義務付けられた。その結果、それまで卒業したらほとんどが大学のどこかの医局に入っていた構図が崩れ、大学医局から若い医師がいなくなってしまったのがきっかけである。地域の第一線病院や自治体病院から医師の大学医局への引き上げ現象が起こり、その構図がまだ続いている。その中で、産婦人科は医師不足が厳しい状況が続いている。

医師不足については全体数と偏在の二つの問題が背景にあるといえる。また、偏在といっても、専門性での偏りと地域の問題、さらに勤務医と開業医のバランスもある。専門性では、労働環境や医療訴訟リスクなどが若い医師が将来の専門分野を選択する上で影響し、外科や産科が敬遠される原因となっている。Quality of Lifeは患者さんに対する医療上の言葉であるが、最近は医師にも当てはめられている。自分の生活を犠牲にして献身的に患者さんを診なさい、といっても通らない時代となった。労働環境が悪いと医療ミスも起こり易いことも理解されてきた。米国でも医学部卒業生が将来の専門分野を選ぶ時に、自分の生活がコントロールできる科とそうでない科に分けて、前者への希望者が多いという結果を10年位前であるが学術誌に出ていた。外科や産科はコントロールできない代表である。

さて、産科については医師数がどんどん減っているというわけではなく(補足で説明します)、恐らく勤務医がなかなか増えないことが問題であると思われる。勤務医が個人病院やクリニックの産科に移っている数と、大学の産科医局に入ってくる数の均衡が崩れているのではと想像される。先の市民病院でも4-5人の医師で当直やお産の緊急対応をすることに限界があり、何年かは(10年とかそれ以上)使命感を持って、家庭を犠牲にして頑張っているうちに「燃え尽き症候群」になっていくのではないか。

日本産科婦人科学会は卒後3年目からの4-5年間の専門医の研修を行い、優れた若い産婦人科医を育ててきている。毎年の専門医資格取得者の数をみると、ここ何年かは年300人位(昨年は400名位)である。専門医資格をとらないで病院や大学で診療をするのは難しいことから、毎年の新人は300人程度という事になる。因みに外科専門医は毎年800人程でありまだ多いようであるが、その先に幾つかの専門分野に分かれるので決して十分ではない。産婦人科でも将来は産科と婦人科に分かれるから、毎年の新人が300人ではとても回らない。80いくつの大学医局に残るのが毎年せいぜい3-4人、あるいはゼロから数人、ではいくつもある関連病院の人事は到底できない計算である。といって、どこの診療科の専門医取得者が多いから、何らかの方法で調整したらというが、そういう仕組みにはならない。其々の診療科や大学医局が若い医師にとって魅力あるものにすること以外には方法はない。

とはいえ、専門医制度の仕組みが新しくなろうとしていて、厚労省は医師の専門性や地域性の偏在をなんとかこの機会に改善してほしいという意向である。しかし、医師側は筋が違うし専門性選択の自由は行政でどうこうするものではないとして、抵抗している。とはいえ、分野毎の専門医数にある程度の適切な数を設定し、トレーニングできる枠を決めてはと言う考えもある。米国では医師の最初の5-6年の研修は国や医療界が面倒見るべきとして、医療費の支払い側(保険機構)がレジデント(日本の後期研修医)のサラリーを負担している。一方我が国ではその病院が若い修練中の医師の給料を勤務医枠内で工面している。仕事をさせながら教育もついでにしている、ということになる。とはいえ、専門分野の選択を医師の好き勝手に任していれば社会は黙っていないであろうし、余り偏れば自己破綻につながるであろう。この辺りをうまくバランスをとりながら新たな専門医制度が進んでいけばいいと思っているがどうなるか。

2004年の新臨床研修制度の話に戻ると、時の厚生省は医師の偏在や地位医療の崩壊は大学医局が若い医師の人事権を持っているからであり、その是正のために医学部卒業生をそれまでの大学医局から離して地域の一般病院に多く行かせるという考えであった。その結果、確かに大学で研修する人数は大幅に減ったが、地域への医師配分には効果はほとんどなく、返って大学が医師引き上げを行って現場の混乱を生じてしまったのである。新たな専門医制度もその二の舞にならないようにしないといけない。

産科医療にせよ、救急医療にせよ、何年経っても問題の解決にはなっていないのは何故なのか。医師側も、開業医主体の日本医師会と大学や病院の勤務医が合いよらないと解決の道も見えて来ないのではないか。日本の医療レベルは素晴らしいが、医療提供体制や若手の教育制度ではかなりの問題がある。この辺りの課題には色々な分析があり、原因や背景ははっきりしているが、どうしたらいいのかの決断が出来ないまま来ているようだ。私立伊丹病院が産科の取り扱いを来年度も継続、というニュースが流れることを願っている。

補足:産科医の数については少し誤解を招くような内容でしたので、修正しまします。千葉大学医学部産婦人科教室生水真紀夫教授のHPでのコラム、2008年ですが、参考になります。雑誌「医学の歩み」( 224(12):942-945, 2008)に投稿されたものですが、厚労省の統計上、平成6年から18年で全体の医師数は15%増加しているのに対し、産婦人科医は12%減でした。平成18年にはそれまでの1万数千人から9500人へとかなり減っています。また、産婦人科学会入会者は平成16年にそれまで約350人程度であったのが18年には280人と減少。これは新臨床研修制度の影響です。この後は、入会者ではなく専門医資格取得者についてですが、300人程度で維持していることは本文で紹介しました。

 

2013年9月22日日曜日

熊本城で中秋の名月鑑賞


ご無沙汰しておりますが、早いもので明日はもう秋分の日です。2週間ほど何とはなしに過ぎてしまったようです。今年は秋の訪れが遅く、まだ結構暑い日が続いています。先週は台風18号が関西にも襲ってきて、京都の桂川の氾濫で嵐山の観光地が水に浸かったり、大雨の被害が各地で発生しています。さらに突風や竜巻などもありました。これまでに経験したことのない大雨といった異常気象警報が少なくありません。昨年、台風21号が和歌山県に甚大な被害をもたらしたのも9月上旬であったと思います。学長ブログに書いたことを思い出しますが、自分が小学校のころには二百十日、91日だったと思いますが、台風シーズでその備えを学校で聞いたことを覚えています。最近は台風も8月中か9月中旬に多いのか、二百十日という言葉は耳にしなくなったようです。今日はまたも3連休の中日ですが、昼間は夏日の様な暑さで、秋の気配はまだまだ感じられません。

とはいえ、先日15日は彼岸の入り、15夜で、熊本城の中で素晴らしい中秋の名月を拝むことが出来ました。日本列島が好天に恵まれ、各地で楽しいお月見ができたのでは思いますが、私は熊本で楽しみました。日本心臓病学会の前夜祭が日が暮れてから熊本城の歴史ある広場、奉行丸広場、で行われました。ライトアップされたお城と名月のコンビネーションが素晴らしかったです。ところで中秋の名月が満月となるのは次回は8年後らしいです。

心臓病学会は心臓内科のドクターや看護師、リハ、超音波検査、などの多職種が集まる学会で、心音図や地超音波診断がメインでしたが、今は広く臨床心臓病に関した現場からの発表や教育講演が多くみられます。Clinical Cardiologyという英文名からもその趣旨が分かります。私は特に約はなかったのですが、数年ぶりに出かけてきました。外科医は少なく、セッションも限られていましたが、心臓移植や補助心臓の特別セッションもあり、また最近注目のカテーテルで大動脈弁を治療する方法のパネルもあったりして、1日半しかいませんでしたが、それなりに楽しんできました。

今日紹介するのは、TAVI とかTAVRと言われる経カテーテル大動脈弁植え込みや置換術です。心臓手術、特に心臓の中の弁を変えたり修復する手術は、人工心肺を使ったり、心臓を止めたり、と多くは侵襲的であり、合併所も少なくないところから、最近は低侵襲アプローチが進んでいます。高齢者や透析患者さんでは心臓の出口にある大動脈弁が石灰化で狭くなり、心不全や突然死をきたします。最近は高齢者でこの病気が見つかることが多いのですが、80歳や90歳となると手術の危険率は高くなります。こういうなかで、胸を開かないで、大腿部や小さな傷で、カテーテルで治す方法が登場し、欧州では大変ない勢いで広まっています。既に7000例*に行われたとも言われています。これはカテーテル(シース)の中に萎めて入れられるステント付の生体弁があって、カテーテルを大動脈弁まで進めてそこで元の狭い弁を風船で広げ、その後に新しい弁をカテーテル(シース)から押し出して置いてくる、というものです。レントゲンの透視下に行います。ハイブリッド手術室という数億円もする設備と場所が要ります。カテーテル技術やいざという時には外科手術に切りかえられるような体制も要りますし、講習を受けた施設と医師でないと出来ないようになっています。何処でもできるものではないのですが、この秋から保険償還されるとのことですから、次第に広まっていくでしょう。

今日の紹介は実はこれからが大事なのですが、長くなってきたので簡単にします。このカテーテルによる大動脈弁置換は大変魅力的で高齢者で手術が困難な方にはいい方法でしょうが、今回の発表で分かったのは結構厳しい合併症があるという事です。高齢者やハイリスクで片づけられないものであるという印象です。大動脈弁を無理に広げることから、外に石灰化した塊が飛び出したり、冠動脈口を塞いだり、出血や緊急に外科手術が必要であったり、10%にはペースメーカーが必要になるなどです。それより、結構な頻度で植えた弁の周りの漏れがあることです。外科手術では到底ほっておけないものが、まあこれくらいなら耐えられるか、という不完全な状態で終わっているケースが結構あるようでした。

長年にわたり外科手術で大動脈弁を手術してきたものとして、大歓迎とは言えないし、低侵襲といえかえってリスクが高くなるのではと、思ったりして帰ってきました。一方では、補助人工心臓は移植適応でない高齢者にも適応するのか、という話題も別のところでありました。補助人工心臓も緩和医療と重なってくる、という話題もありました。心臓病でも高齢者をどうするかがこれからの大きな課題のようでした。
余り推敲できていない荒い内容ですが、お許し下さい.

 下の絵はTAVIのシェーマです。Webからのものです。風船で膨らませた状態の絵で、これから風船を萎ませてカテーテルを抜いてきます。右は左室心尖からの方法。
 * 70,000例でした。




月の写真はぶれていますが、雰囲気だけでも。

2013年9月9日月曜日

日本移植学会で

    先週は京都宝が池の国際会館で、アジア移植学会と日本移植学会が合同開催で行われました。会長はアジアが高原阪大教授(腎移植)後者は澤教授(阪大心臓血管外科)で共に阪大であり、言い換えると阪大の移植関係者の合同開催と言ってもいいでしょう。アジアの方は週の前半で、大雨や天候不順で海外からの出席者には気の毒でしたが、後半は天気も回復し日本移植学会は盛会に終わったことは母教室関係のものとして良かったと思います。アジアかも沢山来られていましたが、各国の臓器移植の現状が良く分かり、どうしたら脳死(死後)の臓器提供が進むかが議論になっていました。といっても、宗教や国民性で欧米に遅れていた脳死臓器提供も、各国は国が制度を作り後押しをして随分成果を上げていました。その中で、我が国は依然として後進国で、ここ数年提供が増えているとはいえ、桁違いの差に改めて根本的な対策が必要と思いました。韓国は宗教的な背景が異なるとはいえ、最近は年間400例に達する脳死での臓器提供があり、心臓移植も年間100例近くまで増やしています。日本がいまだに年間50例弱の臓器提供に比べると大きな差があります。臓器提供の比較では、人口100万人当たりの数が出ますが、世界トップのスペインが約30、欧米では少なくとも10を超えています韓国は数年前の8から今は10に近くなっていますが、日本は1にも満たない状況です(0.3-0.4)。  
   一方、肝臓移植では生体肝移植が米国や海外ではドナーの死亡例があったりして、減少傾向にあることも分かりました。日本は依然として肝移植は生体に依存していますが、生体肝移植数は減少傾向(日本で年間500が400程度)にあることも示されました。心臓移植は脳死移植しかないのですが、我が国の脳死臓器提供は人口や待機者数を考えても、年間500例、少なくとも数百例はあって欲しいと思います。どうしたいいのか、これでいいのか、何故か、など討論が盛んに行われましたが、学会は議論だけではなく具体策を実行をすべきと思います。
     さて、私は今度の日本移植学会で、会長の澤教授の会長講演の司会と、特別企画の「脳死移植の歩み」、という所での出番でした。最初の法律が出来てからの心臓と肝臓の最初の症例の話を紹介しろ、というものです。心臓は私、肝臓は当時信州大、現在は順天堂大の川崎誠冶教授が演者でした。今さら再開例は、という昔話はさておいて、今何をすべきかを主に喋らせてもらいました。今のドナーの数では到底移植医療は成り立たないから、移植学会は奮起してほしい、というメッセージでした。一方、補助人工心臓は心臓移植には無くてはならない存在ですが、その適応や今後の展開についても普段考えていることを述べさせてもらいました。人工臓器も再生医療もこれから大事ですが、共に臓器移植を基盤にして発展するものであり、また存在するものであり、ドナー不足をまず解消する努力をしてほしい、という内容でした。会長の再開例をもう一度若い人に知ってもらうという意向とは異なったかもしれませんが、普段考えていることを聞いていただけたと思っています。 
    この学会は、数年前からですが、看護師の方の参加が増えています。これは移植コーディネーター制度が定着してきた証拠と思います。設立に関与した者として嬉しいことです。学会では看護系セッションも結構あり、その中の一つに阪大関係の発表と心肺移植の術後の患者さんの発表もあったので聞きに行ってきました。ミニ口演で、討論時間はあまりないのですが、フロアーからあまり質問もないので、というか対象が移植施設に限るのでしょうがないところもあるのですが、少しコメントと質問をしてきました。一つは、心臓移植と心臓リハについての東大病院理学療法士の方の発表であり、もうひとつは阪大移植医療部移植コーディネーターの心肺移植待機患者ケアの発表でした。何か、参考というか刺激になればと思ってのコメントでした。まだまだ話題は多いのですが、私の印象に残ったことを主に紹介しました。
     昨日、2020年のオリンピック開催地が東京に決まって日本中が湧いていました。本当に良かったと思います。決まると決まらないでは、日本の国際的信頼、わが国の経済発展、国民生活、そして震災復興、なかでも福島の汚染問題、に大きな影響が及ぶからです。原発汚染問題もオリンピック準備もこれからスタートでしょうが、皆で支えるのが大事でしょう。まあ、これで政治や経済の東京一極集中が益々進むのでしょうが、大阪とか関西はどうなるのか、という思いもあります。科学で頑張りますか。

 図の説明 左は我が国の脳死臓器提供の推移 法律が変わって増えているが年間50例に至ってていない。




  韓国の脳死下臓器提供数の推移 折れ線は提供総数、棒グラフは心臓移植数。