2014年8月31日日曜日

北陸ツアー


もう8月も終わりですがこの月のテーマも再生医療ばかりでもう一つ元気が出なかったな、という感じです。夏枯れというか、夏バテというか、何とも締まらないは月でした。ということですが最後は身の回りを少し振り返ってみます。
まず、夏休みはどうしたかですが、遠出ということではお盆前に北陸に出かけました。自動車で行ける範囲が前提でしたが、第一条件は温泉で、しかもまだ行ったことのないところ、ということで富山方面としました。立山は大町側も富山側(室堂側)も昔からとすれば行ったことがあるので、今回は黒部にしました。宇奈月温泉とトロッコ電車がお目当てです。山に登るわけではないですが、黒部峡谷の夏もいいかと思ったのです。
黒部までのドライブは結構遠いので、途中でどこか観光地に寄ることにして、名神から北陸道への抜ける途中にある、合唱造りで世界遺産となっている白川郷と五箇山に寄りました。天気は良かったのですが、その代わり結構な暑さでした。白川郷は結構の人が来られていました。中国のかたも多かったようです。合唱造りの集落は実際に側でみるとその重厚な佇まいに吸い込まれ、しばし都会の喧騒を忘れられたひと時でした。まずは皆さんが行く白川郷を一通り見たわけですが、暑いことと結構な人でもあって、あまり落ち着かなかったので、次の五箇山にも行ってきました。
金沢に抜ける道の先にあるので、せっかくだからということで寄ったわけですが、菅沼集落でしたがこちらは人も少なく、落ち着いた雰囲気で、まさに小さな世界遺産の村 (ホームページから)でした。人が少ないこともありますが、ゆったりした集落で合唱造りのお家がきれいに保存されていました。正直、ここに来てほっとしましたし、ゆっくり出来て、何故世界遺産なのかも分かったような気がしました。菅沼地区が全面禁煙地区にされていることも良かったことの一つですが。 さて、「五箇山民俗館」では昔からの生活の様子が分かり、「塩硝の館」ではかつての当地の一大産業であった鉄砲の火薬作りも理解しました。「加賀藩の火薬庫」として塩硝の「秘密工場」だったというのです。塩硝(煙硝のこと)の作りかたが良く説明されていました。なんと、すべて身近の植物や蚕の繭、等から作っていたのです。山や岩を掘るのではないのです。すごい化学研究所と工場がここにあったということです。人里離れたこの地で、加賀藩を支えるすごい仕事をされていたわけです。山の中の豪雪地で人がどのように生活していたかをタイムスリップしながら垣間見ました。人の知恵や力はすごい、と驚かずにはいられませんでした。とはいえ、次回の訪問は真冬です
   後は黒部ですが、丁度北陸新幹線の試験列車が通った日でもあり、地元は歓迎ムードでした。黒部・宇奈月という駅が出来るそうです。宇奈月では欅平までのトロッコ列車に乗って、素晴らしい峡谷に圧倒されながら、黒部第三ダム建設のための黒部峡谷ルート作りの壮烈な歴史を感じてきました。帰ってから吉村昭の「高熱隧道」を読み直ましたが、私が生まれる少し前のころの話です。自然を残しながらの壮絶な計画で、多くの犠牲者を出しながらの完成であったわけです。そしてその後の黒四ダム建設につながった、我が国の土木事業の大きな哩石です。黒部峡谷を眺めながらのトロッコ列車、なかなか良かったです。

もう一つ、今回の北陸ツアーで歴史のお勉強で紹介したいものがあるのですが(一乗谷朝倉氏遺跡です)、別に書こうと思います。今日はこれで失礼します。 皆様、夏のお疲れが出ませんように。
  写真は五箇山です。いい雰囲気でした。


あとは黒部峡谷です。




  



2014年8月28日木曜日

再生医療 その後


    暑い夏もいよいよ終盤ですが、今年は暑いというよりゲリラ豪雨に苦しめられた夏、と言った方が良いでしょうか。本当に大変な夏でした。台風11号が近畿を直撃したと思ったら、先週は広島市北部で大規模な土砂災害が起こりました。集中的に土石流が発生し、深夜であったこともあり多数の死者と行方不明者を出す大惨事となりました。山だらけの我が国では同じような山に沿った住宅地は何処にもあるわけで、どうしたらこういう自然災害を防ぎ,人災が加わらないようにするか、国は英知を集めながら,また国民の理解も求めながら災害予防対策を進めて欲しいと思います。かって中国では洪水を防ぐのが国を治める基本でしたが、我が国はその先にある山の治水がこれからの課題と言えそうです。 大地震の時もそうですが、暫くしたら防災や災害への準備がおろそかになっていきます。また自分の所は大丈夫という、勝手な思い込みも気をつけないといけないと思います。それにしても本当にこれからの夏はどうなっていくのか、気がかりです。

さて表題の再生医療です。前回はマスメデイアへの注文のような論点でしたが、今回はSTAP細胞関係のその後の報道がありましたので感じたことを書いてみます。まず、理研野依理事長から理研発生再生科学総合センターCDBの組織をどうするかの提案が紹介されていました。新聞でのまとめを見ると、アクションプランという名前で大規模な組織改編がなされるようです。その中にはCDBの解体的な出直し、理研のガバナンスの強化、研究不正防止策の強化、第三者によるアクションプランのモニタリング,とあります。また、同じ日にSTAP細胞の検証実験の中間報告がありました。それによりますと、STAP細胞の存在を示唆する結果が得られなかったが、さらに検討を進めるということでした。
CDBの解体的な出直しということについては、今後の研究活動がどなるのか現場や他の研究者から心配する意見もあります。今どうして解体というような言葉が出てくるのか分かりにくいです。何が悪かったのかの整理が曖昧のままで,国や周囲の声に押されているような気がします。部外者の気楽な無責任なコメントかも知れませんが、そう思っている方がかなり多いのではないかと思われます。検証実験もそうですが、論文が全てという原点に帰って振り返ってみても、もうこの関連の論文は取り下げられているのです。サイエンスの世界ではこの現象があるかどうかの議論はもう終わっているのではないでしょうか。今さら検証実験が何故必要か疑問ですし、論文不正への処分等の対応をもっと迅速に行っていれば、解体的改組といった拡大した影響は防げたのでは思ってしまいます。

同じ神戸で仕事をしているものとして早く結論つけて、新たな出発にして欲しいと感じています。関係者のご尽力に敬意を表しながら、コメントさせてもらいもらいました。

2014年8月15日金曜日

再生医療について考える


 再生医療が社会の脚光をあびる中で、STAP細胞(現象)研究はいろいろな意味で社会に問題を投げかけました。その科学的検証や評価が定まらないかなで、メディアも本質からはずれた視点で何時までも大きくとりあげ、結局は笹井副センター長の悲劇的な結末を迎えてしまいました。偉大な研究者を志半ばで失ったことは、生命科学や再生医療のこれからを考えると、本当に残念ですし、何といってもご遺族の悲しみは想像に絶するものでしょう。本当に悲しいことです。衝撃的なニュースからしばらく頭を冷やして、丁度終戦記念日ですが、思うところを書かせてもらいます。

私自身も、再生医療は臓器不全治療のこれからの希望の星であるということで、少し関わってきたのですが、科学的(基礎的)なことの展開と社会の期待とのギャップが大きいことに戸惑ってきた一人です。トランスレーショナルリサーチ(ベンチからベッドサイドへ)は時代の脚光をあび、確かに臨床応用が現実なったケースも少なくありません。しかし、再生医療が臨床で成果を上げるにはまだまだ壁があるのです。      iPS細胞の発見で大きな期待がかけられていますが、当面は薬の評価や疾患モデル研究があって臨床はまだまだ先である、と当の山中教授もおっしゃっておられます。iPS細胞による網膜疾患治療が神戸で始まりますが、まだ安全性に評価の段階です。勿論、神経損傷や心筋疾患にもこれから応用が期待されますので、多くの方が希望を持っておられます。

そういうなかで、科学者の発表の仕方とともに、マスメディアの対応も科学先進国として慎重なスタンスが求められると思います。マスメデイアはスクープが大事であることと、新規性、話題性(社会が喜ぶいい意味で)で日々動いています。ここで言いたいのは、社会が理解する再生医療と科学者(医学研究者)が考えている再生医療(再生医学)とが本当にマッチしているかどうかです。再生医療とは、ということで日本再生医療学会のHPからその定義を引用しますと、「再生医療」とは、機能障害や機能不全に陥った生体組織・臓器に対して、細胞を積極的に利用して、その機能の再生をはかるもの、と書かれています。また、米国の国立衛生研究所(NIH)によると、生きた機能を持つ組織で種々の原因で機能を失った組織や臓器を修復したり置換するもの、としています(2006年)。一方日本では、従来の薬や外科治療、臓器移植や人工臓器ではない新しい治療という点が強調されているようで、再生医療とは、という点ではやや混沌としているのではないでしょうか。

論点がぼやけてきたかもしれませんが、再生医療というからには手段は別にして、自己組織が修復されたり失っていた自己細胞が新たなに増えたり、といった正に再生、が起こっていないといけないと思います。その検証が大事です。再生医療の現実では細胞移植療法が多くありますが、これらがイコール再生医療と言えるかどうか、科学的検証がないままにマスメディアが再生医療として飛びついてはいないか危惧されます。勿論、多くの素晴らしい、先駆的な研究成果や臨床研究のことをどうこう言うつもりはなく、その発展を期待しているのですが、問題点は老婆心ながらマスメディアとの付き合い方ではないかと思いますし、マスメディア自身も考えて欲しいと思います。今回の笹井先生の悔やまれる出来事を垣間見て感じました。拙いコメントでしたが、笹井先生のご冥福をお祈りいたします。