2014年9月30日火曜日

心臓リハビリテーション


    福岡での日本胸部外科学会が終わりましたが、表記について考える機会にもなりました。これまで医師の専門医制度や看護師や薬剤師の生涯教育など何回か取り上げたテーマですが、最近少し考えることもあり、取り上げてみます。このテーマは医療の質の担保や安全管理、そして何よりも医療にかかわる社会的資産(リソース)の有効活用に対する社会の関心や期待にも関わることです。ということですが、まずは医師の専門医制度から入ります。ポイントに絞って書くようにします。
医療専門職に限らず弁護士でもそうですが、国家資格を取ったとたんに生涯教育が始まります。医療専門職では臨床現場で患者さんの診断治療やケアをしながら先輩から教えてもらうオンジョブトレーニングが基本になっています。徒弟制度的なところもある中での自己研鑚です。しかし、基本は出来てある程度任されるようになっても、ある一定レベル以上の専門分野を任せられる能力や資質を育てるには限界があります。そこで、第三者が関わる認定制度といったものが必要になっているわけです。専門医やその他の職種でもそうですが、我が国では認定制度で括られています。しかし、米国や欧州ではそのバックに生涯教育、継続教育、という名称がしっかり出てきています。その視点が我が国では薄いと言わざるを得ません。
まず医師についての専門医制度改革です。ここ数年で認証(認定)制度が変わろうとしていますが、後に悔いを残しかねない大事な節目になっています。今回の改定の主旨はまず学会や医師会を中心としたギルド意識からの脱皮です。そして論点としては、①自分たちの領域の発展を専門医制度を通して考えるという視野でなく、医師初期臨床研修後に長く続く連続(生涯)教育の制度を作るという大きな目標が基盤にあるのか、②資格をとれば何らかの処遇改善や健康保険制度でのメリットが付くことを将来的に約束できるのか(インセンティブ)、③基本となる専門領域(内科外科では2階も含みます)では地域医療の充実にも貢献する視点を持っているのか(国主導の医師の地域配分へ反発して自分たちの都合で地域医療の問題を返って悪くしないか)、④国際的標準(グローバル)を考慮するのか、そして最後に⑤プロフェショナルオートノミー(学会の見識)を名前だけでなく自己評価を含めて適切に発揮できるのか、といったことかと思います。
すべてなおざりには出来ないことなのですが、ここまで目標を掲げるには今となっては議論や準備不足で、先に新制度開始年度が決まり本質的な議論や学会側のコンセンサス作りが出来ないままに進んでいるのが現状と思います。とはいえ、新たな制度作りに個人的に関わったことですが、トレーニング(後期研修)を指導責任者が病院群を作って計画的かつ実のある内容にする、所謂プログラム制、が曲がりなりにも始まることは大きな進歩と思います。このプログラム制を形だけにしないよう、特に最初の教育部分(認定プログラム)を充実させながら、それに外れた施設は更新制度(まさに継続教育です)で分担してもらう、など病院の役割分担(棲み分け)も必要でしょう。更新制度の柔軟な扱いや充実が専門医が臨床現場で信頼される道と思います。
身近なところでは心臓血管外科専門医や呼吸器外科専門医のことが今回の福岡の学会で議論されました。といっても自身はあまり参加する時間がなく、いろんな大学の先生とのお話で得たのがきっかけです。 新たなプログラム制はいわば旧来の大学医局制度の刷り直しでもあります。初期臨床研修制度で医師の配分制度が半ば崩壊し、地域医療にも影響が出ているのは明らかです。学生教育は文科省、医師になれば厚労省が、というふうに臨床研修制度を使って継続性のない医師育成制度にしたことの功罪が議論されてきました。医師を育て医学の発展に絶対的な役割を果たして来た、また果たすべき大学医学部や附属病院の役割が弱体化し、若手医師に人気がなくなり、ひいては必要悪?(私自身も関わってきた責任がありますが)でもあった医局制度(関連病院への人事権)がかなり崩壊したわけです。このままでは医療は崩壊する、という危惧もあり、新制度でのプログラム制はある意味、大学医学部講座(あえて医局とは言いませんが)の頑張りを期待(復権)してのことであると私は大きな声では言えませんが思っています。
ただ、ここでまたぞろ旧態依然とした医局体制が復活してはいけなのです。プログラム制認定基準の基本は示されていますが、各制度はこれをどう組み込むかが注目されます。外科系では研修医(レジデント、卒後3年以降)にしっかり手術経験をさせるために、一つのプログラム(病院群)で必要な手術総数があり(指導者数も大事です)大凡の受入数が決まってきます。これがある意味外科系のプログラムの基本になります。しかし、この数に捉われて、無理に病院を集める(まとめる)という、あるいは巨大なプログラムを作ってしまっては、悪い意味での古い医局制度を復活させてしまう危険があります。
医学部の外科系教授はこれから大変苦労すると思いますが、いくら風呂敷を広げても全国で来る人数(心臓外科ではせいぜい200人位)は大体決まっています。3-5年後に検証が始まったときに、その内容が問われることのないように、具体性のある計画がいります。こういう苦労を積み重ねて行くことで外科系志望者が増え、地方にも若い外科医が行くようになっていくことを願うわけです。そういう意味からも、第三者機関や各制度のプログラム認定委員会の役割は大きいと思います。現状の医療を混乱させないことも大事ですが、それがために何も変わらなかったではそれこそこの制度改革は失敗します。

大学の指導者も、最初の論点の①をよく考えて欲しいし(これは国の問題ですが)、プログラム作りで大学間の無駄な軋轢を生まないよう、地方大学(こういう表現は使いたくないのですが)で外科医の育成に頑張っている教授やスタッフの意見をよく聞いて、都会主導ではない制度作りを是非して欲しと思います。現実離れしていると言われそうですが、敢えて老婆心としてのまとめとメッセージです。

2014年9月25日木曜日

慢性心不全の動向

 我々の体の中で生命維持はもととり普段の生活で大きな役割をしているのが心臓であります。何をするにも心臓がしっかり脈を刻んで血液を肺と体に途切れなく送ってもらわないといけません。この心臓の機能が落ちた状態で心拍出量(体に送られる血液量)が代償できていない状態を心不全と言いますが、階段や普段の歩行で息切れがする、尿が少なくなり体がむくむ(浮腫)、脈が速くなって苦しくなる(失神することがある)、ベッドに平らになって寝られない、などの症状が出た状態です。急性心不全は心筋梗塞や大動脈解離、弁膜症、などで起こってくる急に発症し迅速な対応が必要なもので、循環器分野や救急医療でよくお目にかかります。これに対して心臓機能低下が長期にかつ進行性になり、生活が制限され何らかの治療が必要になってくるのが慢性心不全です。
最近、この慢性心不全が循環器の分野で関心が高くなっています。慢性心不全の特徴は年齢が高くなると発症しやすくなることです。背景には、動脈硬化による冠動脈狭窄(虚血性心疾患)や高血圧、心臓移植で関心が高くなった心筋症、弁膜症(高齢者では大動脈弁狭窄が増える)、それに糖尿病などの生活習慣病があり、食事療法では対応できないので、どうしても利尿剤や種々の薬物が必要になり、調子が悪くなると一時的な入院が必要になってきます。急に動けなくなり呼吸困難になって入院したら心不全であった、ということがよくあるのですが、最初の検査や治療法の選択で症状は改善し、外科手術が必要な時もあれば薬物治療や生活指導、あるいはリハビリテーションで経過をみることになります。しかし、退院してもしばしば再入院が必要になります。この再入院が医療費はもとより生活の質を考えると問題で、これをどうして減らすかが医療現場での大きな課題です。
米国の心臓病協会(AHA)のHPEmory大学)では次にようになっています。
l  約500万人が慢性心不全をもって生活している。
l  約55万人が毎年新たに心不全と診断されている。
l  年齢が上がるについて頻度は高くなる(65歳以降では1%)。
l  慢性心不全は87万位人ほどの入院患者の診断名で第1位であり、65歳以上の入院患者での最も一般的な病気である。
l  慢性心不全を発症したら半数以上が5年以内に死亡する。
米国の背景には、慢性心不全治療で2兆円を超え、再入院や薬代で医療経済を圧迫していることが社会問題になっていますし、働き手が減るという視点もあります。慢性心不全をどう予防するかが学会の大きな目標になっていて、Heart Walk Superheroes、といったキャンペーンもみられます。禁煙とともに歩いたりする運動することを積極的に勧めています。
心不全への医療費を減らすことが重要という視点ではと日本ではまだ甘いわけですが今後米国と同じ問題が生じてきます。それは人口の高齢化です。60歳を超えてくると心不全の発症が増えてきている、という大規調査の結果が出てきているからです。我が国では心臓病での死亡が悪性腫瘍に次いで第2位にあります。慢性心不全の統計は北海道大学循環器内科筒井教授らのグループの研究があります(JCARE-CARD)。約2600人の慢性心不全患者の登録調査では平均年齢が71歳、虚血性が32%、登録時の年齢は男性が7079歳がピーク、女性は8089歳がピークと、なっています。また、再入院率は最初の入院治療半年で27%、1年でみると35%と高くなっています。これが問題です。医療費削減、医療の社会資源の有効活用、そして患者さんのQOLを考えないといけません。我が国の事情では入院ベッドが多いこともありますが、今後は在宅の心不全管理が大事です。再入院を減らそうと薬剤師や看護師も交えたチーム医療の実践も進んできています。
最後になりましたが外科医の役割はどうかです。心筋症では心臓移植と補助人工心臓が施設や数は限られますがかなり現実的になってきています。また植込み型補助人工心臓の進歩が著しいですが、心臓移植への橋渡しのみが保険適応であり、慢性心不全患者への対応としては限界があります。心臓への再生医療はまだまだ先ですし、心臓移植登録(適応判定)が65歳以下という大きな縛りがあり、65歳や70歳を超えた慢性心不全には先進医療は現状では困難です。65歳を超えた心不全患者への植込み型補助人工心臓適応は海外ではDestination Therapyが進んでいますが、我が国ではどうするのか。近々開催される日本心不全学会や日本人工臓器学会での検討が待たれます。
最近の心臓外科の話題は虚血性心筋症による僧房弁閉鎖不全への取り組みがあります。心不全の原因が弁の逆流によるところが大きいからです。人工弁置換でなく自己弁を温存する弁形成もよく行われています。また、大きく膨れ上がった心臓壁の一部(瘢痕となったところ)を縫縮(縫い縮じめる)する左室形成術も行われます。かって話題になった心筋を切り取るバティスタ手術自体はあまり行われませんが、それから進歩した術式も出てきています。しかし、外科治療が進んでも、ある限界を超えるとその効果は限られます。腎臓が悪い、肝臓が悪い、あまり動けない、など悪すぎる状態にならないまでに治療が必要です。もう何も打つ手がないから外科へ、ではその効果も十分発揮できませんし、かえって予後が悪くなる危険があります。心筋梗塞や弁膜症で心不全になったら、早いうちに適切な治療法の選択がなされると予後も良くなります。薬物治療もずいぶん進むなかで、心臓リハビリも最近注目されています。適切な運動療法で心機能(運動耐用能)が改善することも明らかになってきているからです。


このように慢性心不全治療(予防)は、心不全への早期の適切な治療の導入とともに、循環器内科と心臓血管外科、加えて心臓リハビリ、薬剤師、看護師をも交えたチーム医療での対応が求められている、ということで終わりにします。長くなりましたが、最後まで読んで頂き感謝です。  写真は何か考えます。

2014年9月20日土曜日

移植医療の現場もようやく自立の時代に


  昨日は厚生労働省で第32回の移植関連学会合同委員会なる会議が開かれました。私は日本心臓研究会の代表として参加でしたが、主要メンバーは移植学会や救急医学会、脳外科学会、循環器や腎臓病や肝臓病などの基幹学会など何の通り移植に関係する学会多数が参加しますが、研究会はオブザーバー参加です。この委員会は臓器移植、特に脳死からの移植に関する諸々の決まり事を審議して承認するところで、臓器移植の円滑な推進に向けて国が管轄する委員会で、日本医学会の会頭が議長で、行政の所掌は厚労省です。

さて、この委員会のこれまでを振り返ってみないと昨日の決定の意義が分かり難いので少しおさらいをします。脳死からの臓器が長らく封印されたなかで、何とか道をつけるべく政府の所謂脳死臨調が出来て、19921月にその最終答申が出ました。これは脳死からの臓器移植を概ね是とすることで、あとは法整備ととともに仕組み作りが始まったわけです。臓器移植は脳死判定や適応基準、そして施設認定、など複雑かつ重要なことをしっかり決めておかないと社会不信をもたらす危惧があり、関係する学会が一堂に会して議論し道をつけていく、という流れになった訳です。この委員会は、近く出されるであろう臓器移植法案を見据えて、適応基準や施設基準を早急に纏める必要があり、19925月に第1回が開かれています(議長は当時日本医学会会頭であった森亘氏)。議論が白熱したのは心臓や肝臓の最初の実施施設をどう認定するかでした。毎月委員会が開かれ、1年少しの間に10数回開かれ、1993年には心臓移植では学会や研究会が推薦した8施設が特定されるに至りました。その間、内科系と外科系、文部省と厚生省、の間でずいぶんやり取りがありました。また、この時点では最初の数例はこの中の代表的な数施設で行うべきである、ということも合意されていたようです。

その後、レシピエントの適応基準やドナーの条件も決められて行き、省令という形で通知が出されて行きましたが、だいぶ時間が掛かって1997年にやっと法律ができました。そしてその直後のこの委員会で、心臓移植実施施設は東は東京女子医科大学、西は阪大と国立循環器センター合同チームが認めらました。もっと自由度を求めていた心臓外科学会関係者もやむ得終えない判断として受け入れたわけです。ただ、再開の数例を、とおうことがドナー不足もあって追加認定は何年も掛かったしいました。移植に関連する諸々の決め事が、本来は学術団体主導(プロフェッショナル)で決めていくべきところが、関係学会合同委員会という名目上は学会を大事にしているが、後ろでは厚生省(現在厚労省)が付いるお上主導となったわけです。こと脳死移植については社会的要素が多いことから、官のお墨付きがないと何も動けなかったわけですが。

とういうころで脳死臓器移植において行政がこの合同委員会を足掛かりにして20年以上も管理(あるいはサポートかもしれませんね)してきたわけです。勿論、小児の脳死判定や臓器提供については学会だけで出来ないところを行政のサポートもあって前に進んだことも否定できませんが、一方で臓器移植が成長する中で、現場の実情に合わない取り決めも目立つようになりました。例えばある患者さんに心臓移植の適応があると移植施設で判断しても、循環器学会の承認の手続きに時間が掛かり、補助人工心臓の装着が遅れて亡くなる方も増えてきたり、何事にも大そうな仕組みであり、その簡素化や現場の判断優先主義でいいのでは、という意見が醸成されてきました。

昨日の委員会で決まったことは、移植施設認定をこの合同委員会が決めるという規定を見直す時期であるという考えが出されたことと、もう一つ重要なのはレシピエントの適応評価(判定)をこれまで学会の組織を通して決定するとう決まりを見直すと決定したことです。後者では、適応評価基準の見直し等は学会で決めてこの委員会には報告でいい、ということと、施設の実績で学会がある一定基準を満たしている判断した移植施設では、施設内だけの判定で移植ネットワークに登録してもいい仕組みに変えたことです。この恩恵を受けるのは多分、国立循環器、阪大、東大に3施設ですが、大きな進歩でしょう。

具体的な事項は別にして、かかる決定は再開以来15年近くに亘って積み重ねてきた実績がやっと認められ、本来のあるべき学術集団主導になってきたと考えられます。脳死臨調以来の、マスコミは別にして、行政主導の縛りがとれてきたことを意味しています。移植関係学会合同委員会も今では年一回も開かれなくなり、持ち回りしたりしていることで、その役割も終わりつつあるとも言えます。とはいえ、最も大事なドナーを増やしていく、という意味で臓器移植ネットワークへの支援を含め、啓発に力を入れていって欲しいと思います。ということで、表題の意味がお分かりになったでしょうか。
  敬老の日は淡路島のサイクリングイベント(150キロ一周)に参加、10時間の制限がありますが、今年も完走出来ました。
 
 

 

2014年9月17日水曜日

iPS細胞移植の世界初の臨床応用


 少し遅れてしまいましたが、iPS細胞の世界初の臨床応用が神戸で行われました。理化学研究所と先端医療振興財団先端医療センター病院が連携して実現した再生医療の新たな道を開く輝かしい一歩と思います。網膜の難病である加齢黄斑変性症に対するiPS細胞から作った網膜色素細胞移植の臨床研究で、昨年6月に国の審査機関が承認してから約1年で実現されました。理研の高橋政代プロジェクトリーダーと神戸中央市民病院栗本康夫眼科部(先端医療センター病院統括眼科部長)とタッグを組んで第一例の手術を無事成功させたことは素晴らしことと思います。患者さんの皮膚細胞からまずiPS細胞を作ること、そしてそこからから網膜の細胞を誘導して培養、さらにがんになる可能性を最大限少なくしてここまで来た高橋線先生チームの努力も素晴らしいですが、細心の手術が求められる網膜への移植手術を難なくこなされた栗本部長の手腕にも敬意を表します。

記者会見では、栗本部長が淡々と報告する一方で高橋リーダーは女性らしさを見せながら今後への意気込みを話されるなど、京大同級生同士のいい雰囲気を出されていました。STAP問題で揺れた理研の一員である高橋リーダーとしても、理研の再興につながって欲しいという気持ちも表れていました。本当に良かったと思います。

iPS細胞の開発者でノーベル賞受賞者である京都大学の山中伸弥教授の協力による快挙ですが、山中教授も記者会見ではこれからが大事であると厳しい表情の中でうれしそうな一面も見せておられました。細胞が生着し網膜細胞として機能するのか、効果はどうか、そしてがん化の副作用はどうか、これからが注目されます。第二例、第三例が行われ、この臨床研究が安全性の検証という大きな目標があるとはいえ、やはり患者さんの視力がどう回復していくのかも当然ながら注目されるわけで、安全性も含めて成果が期待されます。
   iPS細胞の臨床応用はこの神戸での網膜への移植を皮切りに、今後は神経や心臓などへの応用が続くわけで、新聞記事でもその予想を熱く書いています。心不全を対象として阪大の澤教授のiPS心筋細胞シート移植が注目度も高く、また神経系ではパーキンソン病や脊髄損傷、目では角膜再生、も期待されています。今回の移植手術成功は再生医療への期待を一気に高めていますが、関係者の発言の通り、これからが大事であり、一つ一つ検証しながら進まれることと思います。

いつもながらの視野の狭いコメント?締めたいと思います。社会やマスコミが再生医療へ大きな期待を寄せる中で、心臓や肺の病気で明日をも知れない患者さんには臓器移植しかないという現実もあります。先週は日本移植学会が開催され、学会としては50年の節目であり、これまでの回顧と次の50年を考える企画がありました。臓器移植は肝臓や腎臓では生体移植がありますが、それでも多くは他人の臓器(亡くなった方からの提供)を頂かなくては成り立たない医療です。今回の         iPS細胞移植の成功をお祝いし再生医療これからに期待する中で、臓器移植のことも忘れないようにして欲しいと思います。脳死からの臓器提供はまだ年間50例に届くかどうかという状況です。50年先には再生医療と人工臓器が中心になるとは思いますが、今の現実も直視することが大事と感じました。

いずれにせよ、神戸の医療クラスターの一員としても(公益財団法人神戸国際交流財団)、今回の世界初のiPS細胞移植手術成功は素晴らしく、大変嬉しかったです。繰り返しますが、高橋プロジェクトリーダーと栗本部長による記者会見は、熱くならず何となく爽やかで、良かったです。

2014年9月10日水曜日

終末期医療,救急・集中医療では

  最近は悪性腫瘍だけではなく他の種々の終末期の医療に関心が高まっている。尊厳死が未だ法制化されていない状況で人工呼吸器を意図的に外せるかは司法も絡む問題である。身近なところでは意思疎通の出来ない慢性透析患者さんに動脈瘤が見つかった時にステント治療を行うのか,といったことも出てきている。また重症心不全患者さんもこの終末期医療の対象となって来ている。終末期医療では決してないはずの補助人工心臓も絡んでくる状況が出てきていて、緩和ケアとも相通じる問題でもある。
この5月であるが、救急医療と終末期医療に関連する学会がガイドラインの案を出した。日本集中治療学会、日本循環器学会、そして日本救急医が集まってまとめたもので、「救急・集中医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」案、である。急性期の重症患者を対象とする学会としては一部ではあるが、終末期医療の問題が山積しているなかで、ある意味大事なボールが投げられたのではないか。3学会に循環器学会が入っているのにはある意味驚きではあるが、重症心不全患者さんには種々の先進的な医療が行われ,一方で万策尽きた後の最後はどうするかが臨床現場で問題になっているからであろう。この話題は、日経メディカルの9月号に、「患者の最後のどう向き合う」という特集版にうまく纏められているので、概要を紹介させてもらう。

このガイドラインの趣旨を見ると、まず、救急・集中治療における終末期の判断やその後の対応について考える道筋を示していて、救急初療室で搬送された心肺停止状態の患者や瀕死の重症患者に関して蘇生行為や救命治療を行う判断などは想定していない,とされている。また、本提言の使用を強制するものではなく、どのように使用するかは各施設の選択に委ねられている,というものである。とはいえ、終末期とは、そしてどういうプロセスで考え判断していくか具体的に示されていて、各施設でこの問題の対応をシステム化する上で大事になってくると思われる。終末期患者といえば癌の末期が多く想定されるが、悪性腫瘍患者については既に関係学会で取り組まれ,緩和ケアが進んでいることからここでは敢えて加わらなかったのかもしれない。纏められた方のコメントとして、全ての医学界で一つに纏めるのが理想と述べられているが、まずは急性期の重症患者さんを対象にして纏めたもので、他の学会が加わっても大きな方向性は変わらない(岡山大氏家教授)ということである。また、意識のない患者の思いを尊重する,というコンセプトで、「家族の希望を最大の決定因子にするのではなく、患者の最善の利益を考える」という大前提が掲げられている所に大きな意義があると思われる。

この提言に対して学会員の意見(パブリックコメント)をもとにこの秋に最終版を出すとのことである。
 
さて、提言の大事なところは終末期の定義である。以下、引用すると、1)不可逆的な全脳機能不全であると十分な時間をかけて診断された場合  2)生命が人工的な装置に依存し、生命維持に必須な臓器の機能不全が不可逆的であり移植などの代替手段もない場合、3)その時点で行われている治療に加えて、さらに行うべき治療方法がなく、現状の治療を継続しても近いうちに死亡することが予測される場、 そして4)回復不可能な疾病の末期、例えば悪性疾患の末期であることが、積極的治療の開始後に判明した場合、である。

ここでは1にあるようにいわゆる脳死状態を第1に掲げ、2にあるように生命維持装置がついているが各臓器も末期的状態であり、移植などの代替手段もない,とされている。一部の臓器を移植しても延命が得られないし、その対象にもならない、ということである。3では、最大限の治療を行っているが、それでも死が近づいている,という状況である。4は癌の末期を示している。ということで、終末期とは何かを考える上での今後の指標となるものではないかと思われる。
 
全部紹介することは出来ないがガイドラインの要点として、延命措置への対応があり、患者に意思決定能力がある場合とそうでない場合に分け、具体的なプロセスが示されている。また、延命治療を中止する方法についても選択肢が上げられている。そして重要なのは,終末期医療における医療者の役割が書かれていることである。
 
プロセスに関することでは、ツールとして、日本集中治療学会の出している「臨床倫理4分割法」も紹介されている。A Jonsenらが1982年に出したものが基本であるが、①医学的適応、②患者の意向、③QOL、④周囲の状況、の4つである。個々の症例についてこの方法で分析し,思考を進めることを推奨している。こういう考え方の共通するツールがあることは大事である。こういう手法を提言に加えたことは意義が大きい。

日経メディカルの解説として、プロセス、ということを強調している。すなわち、医療チームを構築することと、ガイドラインに沿ったプロセスを取ることが肝要としている。引用すると、「例えば人工呼吸器の中止も、かろうじて適法と言う線を探るのではなく、余裕を持って適法と呼べるだけの要件を示している(慶応大井田氏)」となっている。かなり思い切ったコメントであるが、法律を作ったり変えたりするのではなく、関係学会の合意というガイドラインの重みが今後増えてくることが予想される。後は、患者さん側の団体や医療倫理に専門家、法曹界がどういう反応をするのか、気掛かりではある。しかし、厚労省は既にこの4月に終末期医療に関する意識調査を行い,次の施策としてモデル事業もスタートされていることから、大きな動きが始まっていると感じられる。ただ、モデル事業も、かっての医療事故のように、何年もかかっていてはこの提言の意味が薄れていくのではないか。あるいは並行して進むということならよく理解できる。

循環器系では重症心不全が取り上げられている。入退院を繰り返す重症(末期的)心不全が多くなってきていて、高度医療や外科治療,移植や補助心臓も適応されない,例えば70歳以上(私見)、患者さんを抱える循環器内科医として悩む事態が多くなっている。ここでは兵庫県立姫路循環器病センター大石先生が具体例を踏まえて解説している。この中で,モルヒネ導入も紹介されている。癌ではない心不全でもこういう対応が求められる状況が少なくないことが分かる。

心不全では話題としては些かずれるが、個人的な印象を書かせてもらう。テーマが異なるとは言え大事なのは、心不全でかかる終末期にならないようにする上で我が国の心不全治療はどうか、と言うことである。慢性心不全治療が標準化されているか、例えば65歳以下で心臓移植の説明がされてきたか、などのこれまで最善の治療が行われた上での終末期か,を考えることも大事ではないかと思ってしまう。ガイドラインを作られた方には投げても仕方ない話しであるが。
この特集では、癌末期とともに人工透析患者の見合わせ(非導入、継続中止)も紹介されているが、ここで書くのは控えておく。

ということで紹介はこれ位にしておきます。個人的には、終末期というとどうしても脳死との絡みで考えてしまうのですが、この提言は最初に断られているように救急医療の入り口でのことではないので、臓器の提供というシチュエーションは生じないわけです。ただ定義には、不可逆的な全脳機能不全でかつ十分な時間をかけて診断、という説明が加えられていいます。まさに脳死のことなのですが、何故か脳死という言葉の使用は避けています。脳死は臓器提供がされる(考えられる)状況で初めて使われるからなのでしょうか。人工呼吸器を外す,といった状況では,臨床的にせよ脳死判定が必要な訳で、十分な時間を掛けて診断と敢えて書かれている趣旨が分かりかねるわけです。

   言い換えれば、ことほどかように、脳死,あるいは脳死判定、ということが特殊状況なのかと思わずにおられません。

   救急医療における患者や家族の意思決定の難しさや、尊厳死とは何かを改めて考えさせられた次第です。