2015年5月16日土曜日

神戸のこと


しばらくご無沙汰しておりました。4月は海外も含め学会シーズンで落ち着かなかったと共に、神戸のポートアイランドでの生体肝移植に関するニュースもあり、なかなか筆が進まなかったという状況です。とはいえ、5月の連休はのんびり過ごしましたので、そろそろ復帰、という所です。

さて、あまり取り上げたくない話題ですが、世間を賑わしている神戸ポートアイランドの生体肝移植に関して少しは述べておきたいと思います。私の所属する公益財団も神戸医療クラスターの一員でそもそも田中紘一先生が立ち上げた財団であったこともあり、無関心ではおれません。近くでもあり国際交流や人材育成では協力することも視野にいれて来ましたので、背景を分析するスタンスでコメントすることとしました。

ここで取り上げるとなると、どうしても医療ツーリズムと生体臓器移植、となってしまいます。この二つは我が国の医療、特に移植医療にとって長年の懸案事項でありとても大きな課題です。あえて申し上げると、私は脳死移植しかない心臓移植に関与してきましたので、生体移植に依存している我が国の肝臓移植(この表現は適切でないという意見もあるでしょうが)との間には社会啓発という点で考えると若干隔たりがあることは否めません。

ここでイスランブール宣言も復習しておく必要があります。この宣言は、国際的に認められた移植医療に関する拠り所であります。2008年にイスタンブールで国際移植学会が中心となって採択したもので、臓器売買・移植ツーリズムの禁止、自国での臓器移植(死体からを原則)の推進、生体ドナーの保護、が骨格です。WHOも承認しているものですが、各国は死体臓器移植を進める努力をすること謳われ、これが後押しして我が国では2009年に臓器移植法の改正法が実現した経緯があります。もともとは発展途上国などで臓器売買が絡んだ渡航移植が広がっていたことが出発点で、その結果で移植ツーリズムをなくそうとする意図があったわけです。生体臓器移植は行うにしてもドナーの保護が重要課題にされています。これを基本の各国は体制整備や啓発を行うことが求められています。

移植に関わる専門職者達はこのイスタンブール宣言の意味を再度考える必要があるように感じるのは私だけではないでしょう。一方では、移植でしか助からない患者さんへの救命的な支援も必要であることは言うまでもないでしょう。心筋症の子供さんが補助人工心臓を付けて米国に渡っている、またそのための募金活動が行われている、という現実も認めないといけません。移植医療が進んでいない国の患者さんを我が国で治療することは、お金が絡まなければ所謂医療(移植)ツーリズムではないのかもしれません。では、脳死移植が進まない国から我が国に脳死移植を受けに来ることはどうか、といえば100%不可能です。しかし、医療技術が進んでいる我が国に生体臓器移植目的に家族で揃って来られたら、これはツーリズムとは別次元かもしれません。複雑な問題です。

神戸は今、特に医療産業都市構想(メディカルクラスター)として、先進医療とそれに関係してくる医療ツーリズム、という二つの課題への的確な対応が求められていると思います。関係者の努力で早く落ち着いてくれることを願っています。