2015年6月30日火曜日

補助人工心臓の永久使用DTが始まろうとしている


 また補助人工心臓VADの話題ですが、先週末に面白い研究会がありましたので紹介します。これまでも紹介していますが、植込み型の永久治療Destination Therapy (DT)と云われているものがあり、ようやく我が国でも開始される日が近づいてきたようです。これが最後ですよ、もう後はないですが3年とか5年の社会復帰をVADで実現しようと言う治療法です。世界では最長8年を越えている人もいます。第1回DT研究会が阪大の澤教授が会長で大阪国際会議場で行われました。参加者は260人という発表がありましたが、会場は満員で熱気がこもっていました。看護師さんとMEの方も結構来られていました。
プログラムを一緒に紹介しますが、特別講演のお一人は米国からのオコーネル先生です。先生はこの分野のリーダー的循環器医で、今は米国のThoratec 社の副社長になっておられます。この会社はHeart Mate-IIHM-II)という植込み型では世界で最も多く使われているデバイスの会社です。HM-IIはDTで唯一米国で保険償還を取っているもので、移植へのブリッジと合わせてこれまで13,000台(最新では21,000で、現在オンゴーイングが8,000例でした)が使われています。講演では移植からVAD、そしてDTへと全体のレビューで、DTが如何に心不全治療のなかで重要な選択肢になっているかのお話でした。

日本の演者は、東京大学心臓外科の小野教授が我が国の植込み型VADが心臓移植のブリッジとして広くいきわたっていて、移植までの長期の待機状態から、DTを行う準備は十分できているというお話でした。もう一方は大阪大学で医療経済の分野の研究をされている田倉先生で、植込み型VADの費用対効果についての講演でした。質調整生存年(Quality Adjusted Life Years) を用いて費用対効果が検討されていて、維持透析などでは我が国では約600万円(1年間の医療費)が境目(1QALY)ということになるそうです。これを越えると費用対効果が悪いと判断できるのかと素人判断をしています。間違っているかも知れませんが。VADとなると米国でも23倍、我が国では1Qaly1が1千万円位になるそうですが、薬物治療や入院費、社会復帰による還元、などを考えてどれくらいが適当か検討しながら新たらしい治療の導入が必要とのお話でした。これから日本でDTを始めるとしたら、どのくらいの患者さんにどう医療費をかけるかを検討することが大事という話です。DTはまさに社会復帰が目標でしょうから、この視点で患者さん選択がされるようになるのかも知れません。
我が国のDTについては、関係学会が提案してHM-IIでの治験を始めることで行政(PMDAですが)と話がついたようで、この秋から幾つかの施設(10施設近いのか)始めるようです。適応は基本的に心臓移植と同じ心不全ですが、移植に適しない背景があり後5年くらいはVADでの生存(社会復帰)が望める患者さんとなっています。ここで、年齢制限は設けていません。移植登録ができない65歳以上でDT希望があれば該当するのでしょうが、年齢の上限はないとのことです。ドナーを必要としない医療ですから年齢制限をおくことはそれこそ憲法違反になりかねないわけです。とはいえ80歳にもなるとまず無理でしょうから、せいぜい75歳までではないでしょうか。とすると私が心筋梗塞でひどい心不全となったらあと数年内であれば受けられかもしれません。ただ治験の後の保険償還までは数年かかるので、一般に広まるのは大分先と思います。
さて、この研究会での目玉は、終末期医療の在り方、でした。今から新しい治療法を始めるのに重い話です。脳梗塞で意識が無く寝たきりになった時や腎臓や肝臓が悪くなり回復のめどが無くなったりした時に、人工心臓治療はもう意味がないからといってこれを止める(電気を切る)ことはで現実には出来ないわけです。しかしそういうことを想定して始めに意思確認がいるということでした。また経過中にもこれは変わってくので、適宜本人の意思確認がいるようです。これは終末期医療で使われているアドバンスト・ケアー・プラニング(ACP)の活用が大事と田中弥寿子先生が提案されていました。
あとのない最終治療の選択に際して、本来期待していた結果がもう明らかに得られないとか器械だけに依存する状態は望まない、といった意思表示をしておくことになるのですが、といっていま社会や法律では、器械を止める(人工呼吸器もそうですが)ことで死をもたらすことが明らかであれば、これは出来ないのです。殺人罪になりかねないわけです。いくら本人や家族が許可していてもです。尊厳死が法的に認められていないし、脳死になっても臓器提供がないのなら死亡診断書は書かれない現実があります。DTでも始めから終末期医療、緩和ケアのことも考えて始めないと、そういう事態になってからでは遅いですよ、ということがあって今回のテーマとなったようです。
生命維持に関わる新しい医療が始まるときの課題として終末期医療が取り上げられるようになりました。このブログでも昨年9月に紹介した、日本集中治療医学会、日本循環器学会、そして日本救急医学会の3学会が昨年5月にまとめた「救急・集中医療における終末期医療に関する提言(ガイドライン)」がここでも話題になりました。心不全治療だけでなく高齢者の医療ではこういう視点での対応をチーム医療の一環として実践されていくのかと思った次第です。心臓移植を準備する段階では、精神科医のコンサルテーションが求められましたが、終末期医療という言葉は出てこなかったと思います。20年近く経って医療も変わって来ていることを実感しました。
長くなりましたが、最後に学会が提唱しているDTの適応基準(昨年12月公表)について紹介しておきます。

http://www.jacvas.com/view_dt.html
心臓としては移植が必要(2 年以上の生命予後が期待できない、米国の CMS criteria(注1)を満たす)だが、心臓以外の理由により移植適応とならない成 人症例(18 歳以上)の内、以下の5条件を満たす症例は DT の適応として認める。
INTERMACS profile 3 が望ましい。ただし、profile 1 は除外する。 2. 年齢、腎機能、肝機能については J-HeartMate Risk Score (J-HMRS) high risk でないこと(注 2 3. 移植適応とならない他疾患がある場合、専門家によりその疾患による平均余 命が 5 年以上あると判断されること(注 3 4. 介護人がいること(同居が望ましい)。継続して介護できることが望ましい。 5. 患者及び家族が DT の終末期医療について理解し承諾していること。

ただし以下の条件に当てはまる症例は除外する 1. 慢性透析症例 2. 肝硬変症例 3. 重症感染症 4. 術後右心不全のため退院困難なことが予測される症例 5. 脳障害のためデバイスの自己管理が困難なことが予測される症例 6. その他医師が除外すべきと判断した症例。

2015年6月18日木曜日

小児用補助人工心臓


先般、かねて懸案であった小児用補助人工心臓、ベルリンハート社のExcor、の使用が国から認可されました。医師主導の臨床試験が4例で行われ、予定の植込みが終わった後、使用が出来なことで旧式の機種で脳梗塞から脳死となった心筋症の子供さんが出ました。移植を待っていた子供さんが脳死となってしまい御両親が臓器提供に同意されたことが話題になりました。御両親が手記で小児用機種の承認手続きの緩和を訴えていたものです。このブログでも取り上げていましたが、関連する学会協議会で先般、使用できる施設認定基準などをまとめ、厚労省に提出し専門部会で承認となったわけです。これで小児心臓移植への道が少し開けてきたという所でしょう。

さて、この話題では幾つか論点があります。①使用できる、安全に補助できる期間はどのくらいか、②その先のゴールである心臓移植は現実的にどれだけ近づいているのか、③どういう施設で実施できるのか、などと思います。

この人工心臓は一時的に使う体外設置式で、小児でもあり自宅管理は難しく、感染症や血栓塞栓症が起こる頻度も少なくなく、大人の植込み型のように数年の待機、というわけにはいきません。東京大学での1例は1年近く合併症もなく管理がされていることが報告されていますが、基本的には半年から1年が限界でしょう。従ってその間に移植が実現しないと治療のゴールに到達できないことになります。

一方、小児の脳死での臓器提供はいまだに限られ、6歳未満での臓器提供はこれまで2例に留まっています。また、10歳未満で国内での心臓移植に至った症例は2例です。ここ間、海外での移植のための渡航が続いていますし、最近は返って増えていて、募金活動している子供さんがいつも誰かいる、という状況です。この小児用人工心臓の装着が増えて行くと、その先はどうなるのか。渡航移植の募金活動が一層増えてしまう結果になるのか、大変危惧されるわけです。この機会に、小児の臓器提供について改めて対策を講じないと学会や行政もその姿勢が問われる事態になりかねません。

どこで使用可能かですが、植込み型では当初は心臓移植実施認定施設に限っていたものが、今は全国で30施設以上が認可されていますし、申請準備中の施設が続々と増えています。これは移植に限らず、重症心不全治療をしっかりやろうとすれば自施設で植込み型が使用できるようにしたい、と多くの施設が考えるようになってきました。小児ではどうかということで、今回の認定基準でもって小児心臓病を扱う全国の小児病院や小児センターにも多く参加してもらえるようにすることも大事な目標でした。これは小児の心臓移植への取り組みや、ひいては臓器提供に繋がることも期待されるからです。昨年の日本心臓移植研究会学術集会で小児循環器学会の会員へのExcorについてのアンケートの報告がありました。東京女子医大の清水美妃子先生からの発表でしたが、導入を希望している施設は20と多く、またその他の補助循環の使用経験も結構持っておられる17施設は新たな認定基準に合うのでは思われます。大学病院以外の小児専門病院でどれだけの施設が参加するか興味があります。5年間で3例の補助循環経験、という定番の数の縛りの影響がどうでるかも興味があります。

ということで、小児用補助循環装置の導入問題は一応の区切りが出来たわけです。さて、臓器提供されたご両親もほっとされていることと思います。一方、かかる先進医療器具の使用認可ですが、健康保険での対象にすることで多くのバリアーがあります。国民の皆様の保険料や税金で賄うことから、しっかりした審査が必要なことは言うまでもありません。一方では、海外で数百例、千例、といった実績があるものを、我が国で改めて患者さんで治験(試験)することの意義です。それも4例とか6例の数はどういう意味があるのかです。治験実施とその審査で少なくとも3年はかかります。多額の費用も掛かります。海外で実績があり、高い評価を得ていて、我が国もそれを行う体制があれば、この少数治験をスキップするというまさにデバイスラグの解消に繋がる英断は出ないのでしょうか。

「「関係学会(アカデミア)と行政・PMDAとのさらなる規制改革議論が求められます。医療費の問題でいうと、多くの無駄な医療費を削減したら、少数の小児心不全治療への新たなデバイス導入は小さなものでしょう。デバイスラグはまだまだ残っています。

2015年6月11日木曜日

神戸、その後


ポートアイランドでの生体肝移植騒動は残念ながらまだ続いています。横から意見を言う立場にないのは前回述べましたが、その後の事態は返って混乱してきているので、移植医(現役ではないですが)として少しコメントしておきます。

神戸市の立ち入り検査の結果がどう出るのかが当面の焦点です。再開後のレシピエントが術死となったことはがそもそも抱えている問題をまさに集約するものと思います。肝不全で死に直面した患者さんを最後の望みとして家族からの臓器提供で高いリスクの移植を行うことが妥当かですが、そこには医学的、倫理的問題のほかに、医療費(社会が支援する医療)の点をきちんと整理しておかないといけません。

医学的には学会が決めた生体肝移植の詳細な適応基準があります。これに準じて健康保険の適応がなされています。この適応と共に学会のガイドラインには施設基準があります。施設基準は体制に当たりますが、ガイドラインでは適応と共にかなり具体的なことが決められていて、これに沿わないと健康保険での支払いはされません。この問題は神戸市の調査で明らかになるのではと思います。

悩ましいのは、「藁をもすがる、一縷の助かる望み」、といったマスコミに出てくる言葉です。心臓外科でも心臓移植でも同じような場面は幾らでもありました。患者さんを何とか助けたい、ということでその医療が成長してきた、ともいえます。しかし、臓器移植は臓器提供者がいます。外科医と患者さんの一対一ではなく、臓器提供者なくては成り立たない医療です。脳死移植では提供される臓器は社会からの贈り物です。社会的説明責任がないと出来ないようになっています。しかし生体移植となるとこのことが家族との問題にすり替わっていきます。医学的、倫理的な歯止めが緩くなる危険があるのでは思います。

生体移植ではドナーが健康体であることを踏まえて、適応を脳死移植以上に厳格にすべきでしょう。言い換えれば、この事態の収拾には、関係学会が集まって生体肝移植の適応基準を再検討して欲しいと思います。より安全で信頼される医療を目指して、これまでの素晴らしい成果に影を残さないように、適応や施設基準を厳しくすることも視野に入れることが社会的には受け入れられるのではと愚考します。助けられる可能性がある患者さんを見捨てるのか、という意見も出てくるでしょうが、ここはしっかり議論をしたらいいと思います。脳死移植はドナーが少ないから生体移植が大事なのだ、という意見もありますが、改めて脳死移植の役割をよく考える時期だと思います。日本肝移植研究会の会長の神戸大学の具教授がコメントしていますが、脳死肝移植の推進、という言葉は的を突いていると思いますし、今後の肝不全治療への大事なメッセージと思います。

蛇足ですが、誰かやらないといけない、という点では生体肝移植の我が国での第一例をされた島根医科大の当時の永末教授がおられます。パイオニア―はどこの世界でも必要で、それがないと先駆的医療は進まないともいえます。このパイオニア―精神と勇気ある行動も社会が受け入れないと単なる冒険になるでしょう。改めて考えると、生体ドナーを必要とする医療は特別の倫理的支えがないと長続きしないと思います。一方で目の前の死に直面した患者さんをどうしたらいいのか、医療の原点の問題もあります。人工臓器(人工肝臓)の助けが望めない肝不全医療の難しさも理解できます。我が国の移植医療での課題、脳死ドナー不足、がここでも重要な背景にあることを改めて浮き彫りになっていると思います。

いろいろ意見はあると思いますが、このコメントが事態の収拾に何らかのお役立てればと思います。

 サイクリングですが先週は丹後半島でした。日本海を見渡す素晴らし海岸沿いの道で一服。


2015年6月3日水曜日

コントロール(対照)とは


 今年も6月に入ってしまいました。梅雨入りのニュースも聞こえるようになり、いよいよ暑い夏が目の前にきている、という感じです。5月は結局のところ1回の投稿のみで終わりました。月間最小記録です。自分の置かれている医療現場の立ち位置から、また年齢からもこうなっていくのは避けられなのですが、実際は何か書こうとする気持ち強くても筆作業(パソコンですが)とのマッチングがもう一つ合わなかったというのが正直なところです。書くぞ、という意欲の問題かもしれません。
5月は先に報告したように身近の問題が悩ましい状況にあって、その後もブログ書きは停滞しています。そこで今日は学会関係の話題とします。今日から横浜で日本血管学会が、来週は岡山で関西胸部外科学会があり忙しくなります。私自身が学会に呼ばれて何かを話すという機会はほぼ無くなってきていますが、勤務している病院の若手の学会発表の共同演者としては参加出来るということになります。ここで学会発表について少し持論を述べさせてもらいます。
若い外科医にとっては自分を磨く上で手術がうまく出来るようになることが最大の関心事でしょうが、学術的な素養を育むうえで学会発表は大変重要です。一例(症例)報告から始まって大きな学会での臨床のまとめの発表へと進歩していくわけです。症例報告は簡単という印象がありますが、これをきちんと出来ないと学術発表や論文書きへ繋がりません。私自身のことでは外科医になりたての時の最初の症例報告では、論文にするのに数年かかった記憶があります。症例報告にしろ臨床研究にしろ、発表する前提をしかり捉えないと何を言いたいのか分からなくなり、単にこんな経験をしました、となってしまいます。発表に当たってその意義は何か、何が新しいのか、なにを訴えたいのか(新規性とか臨床的重要度など)をきちんと自分のものにしておかないと発表は浮ついてしまいます。
最近よく言っていることは、臨床報告に限らず実験研究もそうですが、対照、コントロール、は何ですか、です。対象を分析して結論を出すには適切な対照がいるということです。比較する元をしっかり把握しないとその発表の意義は弱くなります。臨床の纏めでもその手技だけ対象の纏めをしてしまいますが、比較の元となるコントロールが無いといけませんし、適切なコントロールを持ってこないと結論も適格性を欠きます。
最近は研究発表の具体的内容まで議論するのは難しいですが、スタディデザイン(研究計画)がしかりしているか、その前提となる作業仮説(ハイポセシス)はどうか、即ちおコントロールはどうか、と言う視点で見てしまいます。一例報告や臨床報告では文献的考察がこれを支えます。先行研究とも言われています。私の最近の口癖は、コントロールはどうなっている、でということで今回の話しは終わりにしておきます。

さて、神戸のことですが、先般の日本肝移植研究会での緊急企画、生体肝移植における国際貢献の在り方、賀行われましたが、その内容について研究会としてしっかり公表して欲しいと思います。言い換えれば、これもコントロールかも知れません。

写真は先日参加してきた、奈良盆地を回るサイクリングの出発地点の様子です。結果は差し控えます。