2016年4月26日火曜日

熊本地震に思う

暫くご無沙汰しております。4月に入って、日本外科学会が大阪で開催されていましたが、その最中に熊本の地震が起こって、世の中は慌ただしくなりました。阪神淡路大震災では地元で深度7を経験したのですが、当時の神戸市や周辺の悲惨な光景とライフラインが途切れた不自由さを思い出しています。まずは、熊本地震で犠牲になった方々のご冥福をお祈りし、また被災された多くの方々に心よりお見舞いを申し上げます。
熊本や大分の被災地への支援は国も率先して関わり、自衛隊始め救助関係の皆様の献身的な仕事に敬意を表します。遠くから見ているだけの自分が何を言っても、TV番組で賑わっている無責任なコメントと変わりないのかもしれません。現場に行っていないでコメントすることは避けるべきですが、神戸での震災を経験し、東日本大震災では学生ボランテイアー派遣の下調べにいって何が大事かを見てきたものとして、色々感じるところがあります。やはりこれまでの経験がどう生かされたのか、今後検証されるべきと感じています。
震災対応という意味で神戸と熊本の違いというと、前者は兵庫県が故貝原知事の陣頭指揮で、市役所とともに対応するなかで、国、東京、の対応が遅かったり情報が迅速に伝わらなかったことがありました。一方、今回の熊本では逆に国が安倍首相を前面に出して指揮を執った中で、対称的に地元である熊本県が実態では大変な頑張りがあるなかであまり表に顔が見えて来なかった、という印象です。今回は官邸主導型対応であったようですが、大きな命令系統は良いでしょうが、細かな気配りが出来るのは地元であるわけで、そこの支援をしっかりしければいろいろな課題が出てくる、ということではないかと情報不足の中ですが思ってしまいます。

医療としては、最初の救急救命の出番から長期支援になっていく中で、エコノミークラス(EC)症候群のことや高齢者・障害者へのサポートへとシフトして行っています。EC症候群については2004年新潟中越地震での経験が生かされているのでしょうが、何人か発症し死亡してからではやや遅い様な気もします。現在進められています関係学会や地元病院の先生方の努力に敬意を表しながらこれからに期待したいと思います。慢性透析患者への支援は関係学会や団体でのリードでうまく進んでいるようですが、感染症、心筋梗塞、脳卒中、などの発生が今後危惧されます。医療関係者が今後も総力を挙げて予防と治療に当たって欲しいと思います。無責任で気楽なことばかり言うとお叱りを受けることと思いますが、自分が何も動けないなかで応援の気持ちがあってのことなのでお許し下さい。

まとめですが、今回の震災の大きな特徴は最初の414日の地震が前震で2日後が本震という異例の大地震であったことと、その後10日経ってもかなりきつい余震が続くということが大きな特徴です。この長く続く地震活動が障碍になり、人命救助や支援が速やかに出来なかったと思われます。でありますから、これまではどうだった、これまでの経験は、という話しは通じないことも理解しないといけませんし、よく分かっているつもりです。仮設住宅設置や医療支援、介護支援、メンタルケア、そして流通支援、経済支援、など神戸でもそうでしたが、長期の支援活動が必要です。それぞれ出来ることがあれば助けあいましょう。最後に、改めて被災された方々にお見舞いを申し上げ、これからも頑張って頂きたいと思います。神戸の震災経験者として書かせてもらいしたが、医療関係者の皆様の活動に微力ですが応援させて頂きたいと思っています。



追記:EC症候群への学会関係の対応としては、日本循環器学会が厚労省と熊本県から要請を受け、熊本大学病院循環器科教授をリーダーとして418日より現地でEC症候群対策チームヺ立ち上げ活動をされていることを紹介させて頂きます。

2016年4月8日金曜日

新たな専門医制度にブレーキか

  
暫く専門医制度の話題は避けていたが、いよいよ来年度開始という段階でかなり紛糾していることが報じられている。医師のネット世界でもかなりの反新専門医制の意見が飛び交っている。国レベルでも見直しや開始延期論が出ている。制度作りの一部ではあるが関与したものとして放置できないところもあり部外者の勝手な意見であるが少し書かせてもらうことにした。
ことの発端は2016325日に開催された、「第1回 社会保障審議会 医療部会 専門医養成の在り方に関する専門委員会」のようだ。病院団体などから「養成プログラムを見ると、連携施設となる基準が厳しすぎる。これでは地域医療の現場から、専門医を目指す若い医師が離脱してしまい、地域の医師偏在が拡大してしまう」との指摘が出てきました、とある。しかも、25日に開かれた専門委員会の初会合では、厚労省から「医師偏在を生じさせないための調整方針」が報告され、大学病院などから申請された養成プログラムについて(1)日本専門医機構(2)都道府県(3)厚労省―の3層構造で「地域の医師偏在の有無」を検証し、調整することが明確にされた、とある。これでは新機構の面目丸つぶれである。何故こんなことになったのか。機構に問題があるとはいえ参加学会に大きな責任があるのではないか。プロフェッシナルオートノミーが無しくずしになり、医師(学会)のプロフェッション自体が崩壊していると感じる。
そもそもこの「社会保障審議会で専門医養成に在り方に関する委員会」が現れたことにも驚きである。今回の制度改革の出発点が、厚労省主導で始まり専門医制度在り方検討委員会が2013年にまとめを報告しているわけで、5年経って開始と言うときにまた同じような名前の委員会、しかも行政として上位にある大臣が関与するところでの話しである。しかも新しい機構の進めてきた路線をかなり批判し、後戻りさせるような意見が出ている。その結果、この部会の下に「専門委員会」を設置し、課題解決に向けた議論を行うことになった、という。これまでの10年近い機構での議論と作業が何であったのか、大いに戸惑うものである。なぜこの様な事態になったのか。
私自身は旧専門医機構の最後の時期に関与し、特に研修プログラム制度の骨作りにかなりコミットした。しかし新機構のメンバーではないので、ここでは大きな流れの中で少し冷めた見方が出来るのではと思う。幾つかの論点で話しを進めるが、新機構の進め方を全面擁護するつもりも無く、また審議会で出された意見をその通りと言うつもりも無い。
さて、機構の池田理事長の弁明(説明)は総論的にはその通りである。しかし、これだけ日本の医療の土台作りを担う制度の開始に当たっては、きめ細かい配慮や制度設計と説明が必要であるが、先に開始時期ありきで作業が進み、各学会、就中基本領域の学会全てが一枚板になっていないのではないか。そうとすれば、これは機構執行部のガバナンスが問われるのではないか。その背景には、新制度の根幹である学会のプロフェッショナルオートノミー、というカタカナ用語でもって肝心のことが整理できずに課題を先送りして何となく進んでしまっていると感じる。一方、新機構は予算措置も乏しく、人もいない、学会首脳陣の手弁当での参加、などこれだけの大きなことをするにはそもそも無理がある。国からお金をもらうと厚労省の言いなりになるからそれは受け入れられない、という学会の意見。ではどうしたら良いか。専門医の認定料や施設認定料で賄うしか無い。という機構が貧弱な財政の基で仕事していることへの社会の理解がないし、それを得ようとする努力も見られない。お上の言うことには従いたくない、と粋がっていたが、今はそれが逆転しようとしている。
専門医養成に当たって、これまでのカリキュラムはあるがプログラムが無い我が国の制度を、米国流ではあるがプログラム自体を認定していきながら専門医の質の担保と向上を図ろうとした経緯がある。米国の制度では保健機構からレジデントの給与が賄われているので、同じことは出来ないがコンセプトだけでも変えていかないとグロ-バルに見て立ち後れていくわけである。一方で、新制度導入でもって医療現場が混乱してはいけないという合意の基に、プログラム制を各学会や大学に理解してもらって、徐々に進めるよう準備されたと思う。地域医療の崩壊や医師の偏在を助長させることは制度の失敗に繋がるわけで、そこをプログラムの認定でカバーしようというものであった。私の記憶では、新たな制度はある意味で新臨床研修制度で崩壊した地方大学医局を活気づけて、関連病院人事を元に戻せないか、という目論見もあった。当初、厚労省は新制度で医師偏在の是正、診療科の偏り改善を狙っていたが、この官のやり方に学会が猛反対し、厚労省に口出しされない制度にした。それはそれで良いのだが、国の意向を自分たちで主体的に取り組む姿勢が希薄ではなかったのか。その結果、基本領域(全てではないが)ですらふたを開けてみると、学会会員確保、大学医局員確保が袈裟の下から見えてくる。そこを審議会の委員や病院団体から突かれてしまっていると思われる。
当初よりこのような反対意見は予想されていたが、学会員自体からも不満が渦巻いた状態で進んで来てしまっている。何故今更面倒くさいことをまたするのか、今の何が悪い、またお金が掛かる、といったことである。そこは各学会執行部が新制度の何が大事かを学会員によく説明しなければならないが、それが出来ていないのではないか。私はかってどこかの雑誌の巻頭言に、新制度でもって医師偏在を改善、と書いたことがある。医師というプロフェッショナル集団が自助努力をしないで現状を放置すればいずれ地域医療崩壊は身勝手な医師集団の責任だ、といった社会的バッシングが起こるかも知れない。その前に自分たちでこの機会に我が国の医療の課題を改善していこうという気概を待って欲しい、という趣旨であった。それをすれば医師のプロフェッションの自由度を妨げるという批判もあった。しかし、今の審議会の議論を見ていると、このような心配(社会が黙っていない)が現実になって来たのではないかと考えてしまう。提出された養成プログラムを機構だけではなく、都道府県、厚労省が入って検証、調整するということで、日本医学会も日本医師会も蚊帳の外である。

論点を追加すると、専門医制度を医師の卒後教育制度の根幹となるということへの理解が医師側も国にも薄く、そういう視点での制度作りであるというところへの配慮があまり見られない。ここが米国と違うところである。そもそも2004年に始まった新卒後臨床研修制度(卒後2年間、専門医研修の前)は今や予想通り形骸化していて、これを放置したままでの専門医制度作りはそもそも無理があると指摘してきた。しかし、臨床研修制度は法律で2年とされているので国は変える気はないし、それでもって地域医療が確保され、大学医局が仕切っていた医師配置に楔を入れたとされている。背景に、文科省、厚労省、病院団体、などが纏まっていなこともある。医学部卒業生を専門医研修(後期研修)に早く引き入れたいから、基本領域(内科、外科に総合診療も加わって19ある)専門医研修プログラムは実質卒後2年目からの研修開始を容認している(脳外科など一部は3年目から)。研修期間も短くして人気を取ろうとする学会(制度)もあるのではないか。基本領域ではそれこそ根幹であるから横並びをしっかり整えて、新制度の目標の一つである標準化に歪みがないようにすべきである。
いろいろ述べたが、やや脇道に逸れて混乱してきたのでここでまとめる。①審議会の議論はある意味、的を得ている*、②新機構のガバナンスには危惧されるところがある(ロードマップ作りは万全であったのか)が、予算措置もあまりなく人的にも組織が脆弱であることへの理解が乏しい、③基本領域で準備が進んでいないところ(学会等)があることが大きな問題である、④地域医療が崩壊するというが、専門医制度だけで改善するわけではなく、医療全体のことであるという視点がいる、⑤基本領域はそれなりに制度が出来ているので現状維持を主体に進めて肝腎の2階より上のことが放置されていることが危惧される(かなり遅れている)、補足であるが⑥更新制度をなおざりにしては医師の生涯教育に課題を残し、それこそ地域医療の崩壊を助長させる、といったことではないか。
そして、新制度では認定を学会が仕切るのではなく第三者で行うという理想論が、今となっては如何に現実離れであったかも示している。新専門医機構のそれこそ在り方が問われて肝腎な制度作りにブレーキが掛かり、官主導であらたな在り方委員会ができとことは、医師サイドのプロフェッションとしての社会的評価が如何に脆弱であったかも物語っている、というのが今の傍観者としての勝手な感想である。専門医制度を若手医師の取り合いに使うのではなく、これからの日本の医療を担う医師の育成事業であって、それが日本の医療をよくする、そしてそれには社会的投資がいる、と愚考するものである。

* 後日追記: ①は少し誤解を生むかもしれません。本来、審議会で出た意見は的外れでしかるべきなのですが、現状の基本領域のプログラム構築において地方への配慮が足らないという現実があるとすれば、そうであるということです。実際、各制度がどのようなプログラムでどう地域医療への配慮や大学外の病院を組み込んでいるか私には定かではありません。従って、ここはよくフォローすべきで、機構もそれが杞憂ならしっかり説明したらいいと思います。こういう危惧が、実際はそう深刻ではないないことを願っています。