2016年10月12日水曜日

医療事故調、統一基準作成へ

本日の毎日新聞朝刊第1面に「医療事故届け出基準統一」、という大きな見出しが目2入った。医療(診療関連)死亡事例の第三者機関への報告義務を新たな医療法で定めた医療事故調査制度が昨年10月に始まって1年になる。しかし届け出件数が相変わらず低迷していて、対策として日本医師会などが現場で頭を悩ましている届け出基準を整理し統一する作業を始めた、ということのようである。この医療(死亡)事故調については何度もここで取り上げている。146月には、いよいよ始まる医療事故調査制度で書かせてもらい、本年525日の投稿は、制度が出来て半年の時点で届出数が低迷していることから予期せぬ死亡の解釈を含めた届け出の統一基準作りを始めた、と言うことへのコメントであった。特に前回は我が国の医療事故届け出制度の背景にある問題点を整理している。

そして今回、その統一作業が進む中で日本医師会が指針を纏めた、ということである。届け出の解釈のバラツキをなくすべく本年6月に施行規則の一部を改訂した訳であるが、その内容はというと中央と各都道府県に届出制度を支援する団体(医師会、病院協会、学会など)を纏める協議会を設けると言うものである。そして、統一基準の作成作業が進み、日本医師会が主導して、その手引きを作ったと言うことで、その内容を毎日新聞が一部明らかにした。その骨子思われる文言は、「遺族が疑義を挟まなかったことを理由に届け出をためらうと、医療安全体制強化の機会を失いかねない」と書かれている。そして、対象かどうか迷う場合には、届け出るのが望ましい」という医師会理事の発言もある。毎日新聞はNews Wordという社説めいたコラムでも、この制度をしっかり構築して医療事故について医療界が自らの手で原因究明と再発防止に責任を持つ、という制度の目標を強調している。

確かに医療界が医療事故(死亡事故)を減らすべく自ら努力することは当然であるが、それこそ各病院の日々の診療の中で各職種が一体となり取り組み、医師も医療安全と質の向上に自らの使命を自覚して取り組んでいることに疑いの余地はない訳である。しかし、残念ながら、医療行為の結果は全て計画通り、予想通り、にはいかないという、医療の不確実性、が背景にある。そういう中で、医療側が家族とも話し合って難度の高い手術を万全を期して行っても、結果が死亡に繋がることもある。勿論、いわゆる医療事故の範疇に入るものもあるであろう。そういう多様性のある医療において、予期せぬ死亡、と言う定義で括ってしまうこの制度は、統一指針が出来てもそう簡単に進むとは思えない。
その訳は前回に述べた通りである。以前から関係者には良く分かっている根幹の所を触らず、課題を曖昧なままにしていないか、ということである。繰り返しになるが、私なりの論点は以下になる。

  日本法医学会の提唱した異常死の定義である「予期せぬ死亡」をそのまま引用して使うことで良いのか。この法医学会の見解に対して、我が国の医学会での合意は得られていないと思っている。言い換えれば、予期せぬ死亡、という言葉が問題を生じさせているのではないか。
  異常死体、ということが横に置かれているようであるが、医師法21(異常死の届け出)がそのままである限り、医療(診療)関連死の報告制度は政府が思うようには進まない。
  上記に関連するが、報告書の警察への届け出義務はないとするが、実際の現場ではそれでは済まない事態が生じる。遺族との共通の理解を得るのはそもそも難しい場合が多い。
  遺族の疑義がないと言うことは、ある意味で予期せぬ死亡ではない、と言うことにもなる。こういうものまで全て届け出ろ、というのでは現場は困惑する。医療安全のためのデーターとするなら、別口の集約をした方が良いのでは。
  最後は、我が国では医療過誤疑いという死亡事例で医師が刑法上の業務上過失傷害罪の対象になり、警察の判断で拘留される、という先進国では考えられない状況にあることも忘れてはいけない。何とか患者さんを助けようとした頑張った医師が、突然警察が来てお縄付きとなるリスクが存在する。これを社会は本当に臨んでいるのでしょうか。裁判で無罪となったからいいでしょう、ではない。

色々述べたが、まとめると医療事故(過誤との違い)とは何か、診療関連死との関係、そして根幹の予期せぬ死亡とは、等への社会(医療現場も)の共通の理解が得られていない。新たな統一基準ではその辺りを明確にして欲しい。しかし大事なのは、届出数を増やすのが本来の目的ではないはずである。数ではなく何をしっかり集めるのか、の論点整理が要る。


補足であるが、届け出の第三者機関は将来は解散して、欧州系で歴史のあるコロナー制度(検死官制度)の充実に切り替えて行く道も探るべきである。

毎日新聞より


2016年10月6日木曜日

ノーベル医学・生理学賞、オートファジーで大隅良典博士が受賞


今年もノーベル賞週間がやってきた。3年連続の日本人受賞者が出るか社会も大きな期待を持って見守っていたが、医学・生理学賞(正式には生理学・医学賞)は2年連続で日本人が獲得した。受賞者は御承知の様に東京工業大学栄誉教授の大隅良典博士である。昨年の大山智博士は薬学博士・理学博士であり、大隅博士も理学博士である。医学・生理学賞(日本では)は本当の名称分野は生理学or医学、となっているので、どちらでも良い訳で医師が良よく受賞するということでもなもなく、ノーベル賞となると基礎研究がやはり対象となることが多い。

大隅教授が今回の受賞された対象はオートファジーである。自食作用、と言われ、核を持つ細胞がその機能を維持し生存していく上で不可欠の機能の一つである。細胞がその構成因子の一つであるタンパク質を再利用する仕組みで、飢餓状態でも暫く細胞が生きていけるのはこの機能があるからとされている。博士のお仕事はその分子機構と生理学的機能の解明である。オートファジーという現象があることは古く1960年代に発見されているが、その後この現象は長らくあまり注目されなかった。しかし、大隅博士がそのメカニズムの解明の扉を開けたのである。 

東京大学教養学部を卒業され理学部で蛋白質の研究を始められた大隅博士は細胞生物学の研究のなかで、皆があまり関わっていないこの現象に興味を持たれ、米国留学の後に東京大学で酵母(イースト)での観察を始め、1988年にそれを証明した。その後1990年代に関連遺伝子をいくつも見つけ、この分野では独壇場の仕事をされている。その後、基礎生物学研究所(岡崎)では水島昇博士(医師)、吉森保博士(理学博士)も加わって、更に研究が発展させこの現象が哺乳動物の細胞でも生じていていることも突き止めて行った。人の受精から種々の疾患において関連することが見つかり、今やこの分野は医学研究で花を咲かせつつあるといっていい。

 糖尿病やアルツハイマー病、ガン、など調べていくと全てと言ってもいいがこの現象が基礎にあるというのである。米国では既にこのオートファジーを制御する薬剤の黒色腫における臨床治験が始まっている。このようなことで、今回の受賞も種々の難治性疾患の原因解明や治療に繋がるようになったことが大きなことである。新聞でも見出しに、ガンへの応用も、と書かれている。

面白いのはこの自食作用は見つかってからもう50年を越えている。19501960年代に米国のロックフェラー大学でde Duve博士等が哺乳動物の細胞で発見していたが、詳しいことは研究されずにいた。de Duve博士等は関連するリゾゾームの発見でノーベル賞を受賞している。もう亡くなられているが、大隅教授もロックフェラー大学に留学していたことは今回の受賞にもそこでのスタートがあったということである。

話しはオートファジーに戻るが、細胞が死んでいく過程には虚血などの障害で予期せず死んでいく壊死ではなく、もとも運命付けられた死(プログラム死、枯れ葉が落ちていくように)がある。このなかにオートファジーが関与するタイプがある。このプログラム死をコントロール出来れば臨床で疾患の治療に応用出来る、ということでさらに世界は広まった。オートファジーについては私の身近なところでも研究が進んでいた。阪大時代には臓器保存や虚血障害の研究で細胞死(アポトーシス)が脚光を浴びていて、教室の何人かはこれで学位を取っている。外科臨床で細胞死をオートファジーとして研究を始めたのは後になってからで、当時の外科の仲間の清水重臣先生が東京医科歯科大学教授になって(水島昇先生が東大の前におられた)、今はオートファジー研究に専念している。今回のノーベル賞に水島先生が加わらなかったことで残念に思っている一人でしょう。 

大隅教授の受賞の陰に二人の日本人がいる。一人は現在東京大学教授の水島昇博士(医師)で、岡崎時代からの共同研究者であり哺乳類での研究を発展させている。もう一人はやはり岡崎での共同研究者である吉森保博士である。現在大阪大学医学系研究科におられ、生命機能研究科教授として臨床と連携を進めるオートファジーセンターを既に昨年立ち上げている。吉森教授は阪大の細胞工学センターを立ち上げられた細胞融合で世界的に有名な岡田善雄先生のお弟子さんである。阪大も先見の明があり、既に臨床系とのコラボが始まっている訳である。このお二人は共同受賞とはならなかったが、素晴らしい仕事をされ、私が言うのはおこがましいが、大隅博士を支えてこられたことに最大の敬意を表したい。
 

最後は、今回は異例とも言える単独受賞のことである。3人枠があるのに一人、と言うことは大隅博士が如何に追随を許さない素晴らしい研究をされ、リーダーとしてこの分野を新しいパラダイムとして構築されてきたことにノーベル賞財団がお墨付きを与えたことになる。米国の科学通信(STAT)に記事が出ている(私のFB仲間が紹介したものの受け売りです)。ここでは、大隅博士は異論なく有力受賞候補であったとし、共同受賞トリオとすれば後の二人は米国のD.Klionsky教授(ミシガン大学)と水島昇東大教授という予想であった、と書かれている。しかし、大隅博士の業績は一人受賞を云々する意見が到底届かないくらい素晴らしいものであって異論を挟む余地はない、という趣旨が書かれていた。

 
大隅栄誉教授と共に日本のお二人のご貢献にも拍手を送ります。