2016年11月29日火曜日

リビングウイル


  早いものでもう12月が目の前に来てしまいました。関西も寒い日が続くようになり、いよいよ冬が近くに来ているという感じです。北海道は既に大雪の模様でこれも困ったことですが、信州からもそろそろスキー場開きが聞こえて来そうです。先週は鳥取県米子市に行ってきました。日本人工臓器学会という学会があって、阪大の教室の後輩の鳥取大学医学部の西村元延教授が会長でした。丁度寒波が訪れていた時期ですが米子市では雪は降っていませんでした。大山は晴れ間に頂上辺りが見えましたが、雪を被った名峰の姿を少し見ることが出来ました。
写真は夕方の市内からの大山です。かろうじて見えています。

 
 
    さて、学会からの話題としては表題のリビングウイルとしました。人工臓器学会で何故、ということですが、この学会は人工腎臓や人工心臓、人工血管、人工肺など人の臓器や器官、組織を人工物で補おうと研究者や医師、企業が集まります。最近は、植込型補助人工心臓の臨床応用が進む中で、これを実施する施設が全国で40以上と増え、学会中にセミナーもありそこには心臓外科医だけでなく循環器内科医、そして看護師、ME技士の方々も沢山集まって来て、最近はこの学会も大変賑やかになっています。因みに、会長の西村教授は心臓外科医ですが阪大時代に心臓移植や補助人工心臓の研究・臨床に携わってこられました。阪大病院での心臓移植再開例で高知からのドナー心臓の入ったクーラーボックスを伊丹空港から病院までタクシーで運ぶ役割で、病院到着時に沢山のマスコミの写真ターゲットになっていました。

今回の学会の懇親会でサプライズがありました。西村教授が留学先のヒューストンで面倒を見た方(心臓移植を当地で受けられた二人)と阪大の移植患者さんで植込型補助人工心臓(当時は拍動型で大きなもの)で長期待機後に移植を無事受けられた患者さん、計3人が来られていました。私にとってはサプライズで皆さん移植後15年や20年以上になりますがお元気でした。西村教授と共に私も再会を喜んだ次第です。

さて、リビングウイルですが、何故これがこの学会で話題になっているかということです。植込型補助人工心臓の普及が我が国で急速に進むなか、心臓移植への繋ぎで保険適応となっているのですが、海外では移植には向かわない、これが最終の治療手段ですよ、という選択が増えています。永久使用、Destination Therapy (DT)と言われるものです。これを日本でも進めることとなり、既に治験が始まっています。心臓移植は末期的心不全への最終治療ですが、移植適応にならない方(例えば65歳以上の心筋症)にこの補助人工心臓で社会復帰や自宅での質の高い生活を送れるようにするものです。

DTの患者さんが補助中に例えば脳梗塞や脳出血を起こし、高度の脳機能の障害を来した場合、どういう終末期の医療を行うかが問題となるわけです。DTで補助人工心臓を装着するときに、終末期をどうするか、患者さんや家族とよく相談しておかないといけません。言い換えれば、人工心臓は動いているが体はもう反応しないか死に近い状況になっても、それでは人工心臓(生命維持装置)のスイッチ(電気駆動です)を切りますから宜しいですか、とは行かないのです。癌の末期でもう延命が出来ず衰弱するなかで、栄養や人工呼吸を、多分本人はこういう延命を望まないと思うから、中止出来るかということです。

これは尊厳死や安楽死、という話しです。この二つは全然違うことでうすが、日本では尊厳死を法的に認めてもらうよう尊厳死協会(12万人が会員)が以前から国に要望していて国家議員のなかでこれを実現しようというグループもありますが、未だ法整備は実現していません。宗教団体、弁護士、障害者の団体、そして日本医師会が強硬に反対してると言うことです。

学会中の一つのセッションは、終末期医療とリビングウイルをDTでどう扱うか、で議論がありました。尊厳死の法律がないので、終末期になっても人工心臓は基本的には止められない、と言うことですが、治療前に医療スタッフ(多職種が集まる)と患者さんと家族が集まって議論し、最終的に事前指示書なるものを揃えておきなさい、というのが法律関係者のアドバイスでした。そこに記載があれば倫理委員会等の了解は要りますが、終末期医療として(人工心臓のオフ)も不可能ではない、と言うことでした。でも家族関係のどなたが後で訴えたり、医療側が疑問を呈すれば、それこそ医師側は殺人罪で訴えられるという事態も当然予想されます。

終末期医療をどうするか、延命治療を中止出来るか、はなかなか悩ましい問題です。DTが最終治療であり、その先には緩和ケアや終末期医療が出てくるわけで、これにどう対応するか医療側も良く議論し準備しておかないといけないのです。ケースバイケースで最善を尽くすのですが、少なくとも植込み前に事前指示書(終末期になったときの対応)を取っておくことが大事ということでした。

さて、尊厳死法がない状況から見て思ったことは、日本では脳死が法律で認められているではないか、ということです。臓器移植の場合、脳死での臓器提供をするかどうかで生前の意思表示、即ちリビングウイル、が必要ですし有効です。ただ、今はそれがなければ家族が代諾することが出来ますが。勿論、臓器提供でない場合はリビングウイルがあろうとなかろうと、脳死は人の死ではなく、生命維持装置を切ることは出来ません。とはいえ、リビングウイルが一部でも法的に認められている、という認識を尊厳死議論の場ではどうなっているのか気になったわけです。臓器移植でのリビングウイルがすぐに終末期医療にも繋がるとは言えませんが、このことが何か突破口になるのでは、と思ったのでここに取り上げた次第です。それは関係ないよ、という声が聞こえて来そうですが、救急医療現場で二つの死が依然として存在している問題への対応と通じるところがあると思うからです。

心臓外科医が終末期医療にも関心を待たないといけない状況が増えています。普段の診療で高齢者も多くなっていますが、高度の先進医療が普及することで尊厳死の問題も身近になって来ています。これを支える倫理問題を扱う組織や人材が周囲に必要と感じています。

 

2016年11月10日木曜日

 臓器提供についての新聞記事から

  米国大統領選は大番狂わせでTrump氏が当選。米国のメディアの予想がこれほど外れた背景に、 一般の意見が充分くみ取れない米国のメディアの実態も浮かび上がってきた。それより、米国の国内情勢でかなり問題が鬱積していることも明らかになった。オバマ現大統領のキャッチフレーズChange!!が彼の在任中に不発に終わったのか、不完全燃焼であったのか、政治の難しさを露わにしているようだ。日本もこれを機会により主体性を持った政治を進める時期ではないか。因みに、我が国では首相は与党の総裁がなる仕組みであるが、この総裁の任期を自民党が延ばそうとしている。首相の任期は本来国民が決めることであるが、党の規約改正で決めてしまうという、なんとも井戸端政治的な話ではないか、と思っている。

 所で、今日(11月10日)の毎日新聞朝刊に久しぶりに臓器移植のまとまった記事があった。脳死での臓器提供が法改正後に増えたものの50例前後と低迷している。これを社会に知ってもらうことも大事であるが、なぜ低迷なのか、どうしたらいいかについては、救急医側の二人の意見に集約されてはいるが、論点整理と課題可決、という点では物足りない。これはものをはっきり言わない日本の新聞(記者)の宿命かもしれないが、FBに投稿したものをここに転載しておく。

 もう一つ、子供さんの渡航心臓移植への募金を募ったのが、実は子供さんは心臓病でも全くなく、親戚がお金に困ってうその記者会見と募金集めをしていた、いう記事がある。ある新聞はこれをしっかり検証せずに記事にしているという。渡航移植の莫大な額の募金については命を救うということが背景にあるが、海外へ臓器を貰いに行くという難しいまた悩ましい問題がある。これを安易に記事にする新聞社のスタンスはある意味で日本の臓器移植への社会の関心の裏の一面をさらけ出したようだ。


以下、FBでのコメントです。 記事は以下からお願いします。http://mainichi.jp/articles/20161110/ddm/016/040/019000c

「最近、脳死からの臓器移植への社会の関心が薄れているなかでこの記事は現状の脳死での臓器提供が法改正ご増えたとはいえ頭打ちの状況をきちんと紹介をしている。課題を現場の救急医側の意見を紹介しているが、新聞社としてのスタンスと具体的提案が読み取れないのは残念である。救急医が摘指しているように、問題は臓器提供以外は脳死の診断ができないことである。一般に救急現場では脳死は決して少なくないが、ここで臓器提供以外の場面でも脳死判定が出来、これに健康保険の点数を付けることで状況はかなり変わってくると、移植や救急医学の関係者の間で言われている。厚労省の規制緩和にこれを組み込むよう要望が出ているし、国会議員の中でも議論されている。ここまで踏み込んだ記事にして欲しいというのが感想である。」

2016年11月7日月曜日

那覇で学会がありました

11月に入って関西も急に冷え込んできましたが、そういうなかで暦は今日まさに立冬で言うこと無しです。北海道からはもう雪情報で、この夏の台風被害が収束されないままの冬突入で農家の方々の苦労が想像できます。
先週はまだ温かい沖縄に出かけました。でした。日本手術医学会が那覇(宜野湾)で行われ、役員をしている関係と南部のみですが久しぶりの沖縄もいいかと思って2泊3日で出かけてきました。私が阪大時代に会長をさせてもらったのが平成11年で、以来17年も経っています。当時は臓器移植における手術関連の話しが多かったのですが、最近はロボット手術や低侵襲手術、患者さんの高齢化、などがテーマになって来ているようです。学会の会長さんは琉球大学附属病院手術部教授の久田友治先生で、テーマは「手術医学・手術医療における私たちの役割;南の島で語り合おう」でした。ここでもチーム医療ですが、本土(こういう表現はいけなのでしょうが)とは歴史も風土も異なる沖縄で、ユニークな話も多いのではと、期待して行きました。報告と言うことでは二つあります。一つは学術的なことで、もう一つは余暇についてです。
始めの学術的なことですが、この学会は手術に関する諸問題を外科医、麻酔医、手術室看護師、臨床工学技士、などが集まって議論するもので、周術期管理、感染防御、機器管理、新技術などで、手術室におけるいろいろな課題が議論されます。私が参加したセッションは、東大病院からの周術期管理センターの話と救急医療分野として県立沖縄中部病院の現状、そして海外からの特別講演である医学教育の話でした。
周術期管理センターは大学病院や大規模中隔病院で関心が高まっている仕組みで、手術のための入院から手術までの流れをスムースにしながら手術の安全管理を目指し、医療者の連携を進めるものと理解されます。私自身の経験でも、手術前に麻酔科受診があって服薬状態や体調など手術の安全性に関するチェックと麻酔の説明を受けました。でも麻酔医が担当で、沢山の手術(いろんな麻酔が行われます)患者さんを引き受けるのは大変で、ここをシステム化しようというものです。まだこれからという印象ですが、私の見方では、全体(各診療科や手術部関係)をみながら動く専任コーディネーターが要るなあ、というところです。トップのコーディネーターに各診療科にサブのコーディネーターを置くことも必要でしょう。誰がするかでは看護師でもいいですが、やはり忙しいのでいっそのこと事務系での方を教育して育てればと思います。いずれにせよ病院がマンパワー不足のなかでどう対応するのか要注目です。
救急医療では県立中部病院のシステムの解説があり、素晴らしい活動でした。それを支えている医師チームですが、最初は初期研修医が見るが、後ないし同時に後期研修医や指導医が屋根瓦方式で対応しているのが特徴でした。マンパワーを分散させながら最適な医療を安全に進める方式です。大切なこととして言われたのが、沢山の近隣の島からの搬送では、それぞれの地区の医師に中部病院勤務経験者がいるということでした。不要な会話が要らず、迅速かつ的を付いた医療が出来ると言われていました。へき地医療や離島医療に生きがいを持つ多くの医師が育成され働いていることは実に素晴らしいことです。沖縄の救急医療の中核病院で医師の教育病院としても長年の歴史がある県立沖縄中部病院ならでの話でした。ちなみにこの病院で初期の修練を受けた沢山の医師がその後海外で研修し、国際的な医師となって我が国や海外で働いておられることも特徴でしょう。
医学教育の話は実は私が沖縄に出かけた一番の理由でした。それは、特別講演でハワイ大学外科教授の町淳二先生の「日本開国:医学教育と外科システムの国際標準化に向けての改善」を聞きたかったからです。抄録をみて、我が国でいま議論になっている新専門医制度に関する内容が盛り込まれていたからです。日本の専門医制度(卒後教育制度)の改革に関わってきたことと、課題についてすでに何度も書いています。新制度造りのステップで、国際標準化をキーワードにしないといけのでは、と理事会で提案したのですがほとんど無視された経緯がありました。そのほか、町教授が紹介された、トレーニングの内容と評価法の標準化(制度が異なってもある程度レベルや内容で横並びにすること)や6つのコアコンピテンシー(能力)を共通言語(目標)にしている米国の制度の紹介がありました。この仕組みは、その親の英国はもとより最近は東南アジアでも採用されている中で、日本はいまだに鎖国状態である、ということです。これに対して日本の関係者はどう考えているのか、というメッセージであり、米国の医学教育制度も国際版の骨格を作っているので、ハワイ大学などと連携して欲しい、という提案でした。
医学教育(学生)では我が国の各医学部も改善に努力されているとはいえ、まだまだ鎖国状態で、いい加減に開国したらというお話でした。例えて、黒船の代わりがTTP、ということでした。一方、卒後教育である専門医制度については、お役人や関係者に何度も呼ばれて米国の制度の良さを講演しても、いいですねという返事だけで今まで何も変わっていない、とも言われていました。講演の後で少し話をさせてもらい、私はこれまでの専門医制度改革で目指してきたことが間違いでなかったことも確信したのですが、それではでこれからどうするか、については私自身が専門医の新機構の中にいないこともあり何もできないので、町先生へのエールを送ることだけとなりました。気持ちが晴れないまま帰ってきたということですが、このブログでぼやいても仕方ないことです。
余暇についてですが、着いた日は那覇泊りで、午後3-4時間、そして翌日の学会初日の午前中をサイクリングで楽しみました。学会サボりました。那覇中心の南部をゆっくり回ろうと、那覇の自転車レンタル店にロードバイクを前もって予約し、ヘルメットとか服装などは持参するなど、どちらが主か疑わしい話です。天気も良く、気温は25度前後と風が強い以外は快適でした。初日は空港沿いから南へ下ってひめゆりの塔、平和記念公園へ行く往復コースで、20X2キロメーター、約3時間ののんびりライド。翌日は疲れもあり(前夜の懇親会で少々お酒も入ったせい?)学会も始まっているので近場ということで首里城周辺への往復でした。結構の坂でしたが高台からの景色は素晴らしく、やはり海と空がきれいな沖縄でした。自転車も楽しみ、学会での収穫もあり、そして怪我なく帰れてまずは良かったです。

補足です。:後期研修制度(専門医)への町教授の指導の下で米国方式を取り入れている病院があります。発足2年で60人の研修医 「米国式」取り入れた東京ベイの挑戦 -東京ベイ・浦安市川医療センターの記事を紹介します。私の勉強不足でした。
http://hpcase.jp/feature/tokyobay1/

 
以下写真です。