2017年5月30日火曜日

DNAR(DNR), 蘇生術をしないということの誤解。


 最近の循環器系診療においては他疾患と同様に高齢者にどう向き合うかが課題である。先進的な治療法、特に低侵襲手術の普及に加えてデバイス治療(体内植込み型医療機器)の発展も急速に進んでいて、日々治療法の選択において苦慮する場面が多くなっている。高齢者の循環器医療では心臓発作、なかでも心停止での来院や経過中の心停止発生は少なくない。これはある意味で終末期医療に関連することである。
また、補助人工心臓の普及と高齢者の問題は323日の投稿で少し触れさせてもらった。補助人工心臓植込み後に脳障害を来してしまった症例への対応では、別の意味での終末期医療が待ち構えている。薬や治療の中止や軽減などの緩和対応は補助人工心臓患者さんでは難しい。それは心臓の代わりの人工ポンプは電気と機械で駆動しているので、電源が入っている限り打ち続ける(働き続けるが正しい)ということで、これまでなかった事態が出てくる。
そういう中で、循環器救急医療に関係する学会関係の動きで注目されるものがある。今回は日本集中治療医学会[ICU学会]の話題にさせてもらう。それは、DNARである。
DNARとは(Do not Attempt Resuscitation) の略で、心停止時に心肺蘇生(cardiopulmonary resuscitation, CPR) を試みない(行わない)ことを意味する。一般にはDNR(Do Not Resuscitate 心肺蘇生をしない)として知られているが、そこに潜在する救急医療や医療倫理での問題に正面から取り組んでこなかった我が国の事情があるようだ。特に救急現場でのDNR,治療撤退、の判断は現場任せである。このことは、最近の医学界新聞(3224 , 2017/5/22) に詳しく記載されているので、そこからのエッセンスをピックアップし紹介する。

前段では、米国医師会(医学会)が1991年に公表した指針で、「DNARは医師のみならず関連するすべての者がその妥当性を繰り返して評価すべきであり、心停止時のCPR以外の治療内容に影響を与えてはいけない」というものである。なお、DNARは当初はDNR(Do Not Resuscitate 心肺蘇生をしない)とされていたものである(我が国では一般にDNRとして使われている)。
DNAR( DNR)は心肺蘇生(CPR)を試みない、即ち、高齢者や活動性の悪い患者さんなど予後不良と判断される場合には心肺停止時に胸骨圧迫や人工呼吸はやめましょう、というものである。しかし、そこには、CPR以外のICU入室や薬剤、点滴、などをDNAR指示により自動的にこれらを不開始、差し控え、中止すべきではない、ということである。救命延命処置すべてを放棄するものではないということである。我が国ではDNRが一般臨床に導入されて30年以上になるが、この背景が理解されず、蘇生措置を最大限行うことの弊害を考えて、しない選択も大事ということになったように私は思っていた。加えて、裁判事例では終末期医療で人工呼吸中止の是非に法律論が強く出て、その本来の趣旨が理解されないまま、危険な世界には入らないという風潮が強くなったように思われる。しかし、集中治療関係の医師は、心停止時に即断でDNARと判断し、その結果安易な終末期医療が実践され、本来すべき究明の努力が放棄されているという危惧が持たれていた。なお、現場の調査では、心停止時に救命措置を行わないとする判断根拠には、高齢、日常の活動低下、認知症、身寄りがない、寝たきり、などである。なお、これは入院治療中の患者さんないし家族がサインするDNRとは違って、そういう意思表示が前もってない緊急の患者さんが対象と理解される。(後述;これは私の誤解で、まさに入院患者さんのことが想定されていて、事前指示でDNRが記載されている場合が主な想定場面です。)
さて、今回、日本集中治療医学会が出した勧告(DNAR指示のあり方についての勧告)の要旨を紹介する。
1)     DNARの指示(担当医が出す)は心停止時のみに有効である。心肺蘇生不開始以外は集中治療室入室を含め通常の医療・看護については別に議論すべきである。自動的にその他の措置や治療を差し控えてはいけない。
2)     DNAR指示と終末期医療は同義ではない。それぞれ別個に行う。
3)     DNAR指示にかかわる合意形成は終末期医療ガイドライン(厚労省)に準じて行うべきである。
4)     DNARの指示の妥当性を患者と医療ケアチームが繰り返して話し合い評価すべきである。(皆で学習し、自己点検して改善していく)
5)     部分DNARは行うべきではない。心肺蘇生手段の一部のみ行うが他はしない(胸骨圧迫は行うが気管内挿管は行わない)、といったことは理念に反する。
6)     米国で使用され我が国で日本語版が出ている、生命維持治療における医師の指示(POLST)について。内容にDNARを含んでいるが、日本臨床倫理学会が作成しているもので、これに準拠して行うべきではない。我が国の急性期医療では合意形成がない。
7)     DNAR指示の実践を行う施設は、臨床倫理を扱う独立した病院倫理委員会を設置するよう推奨する。なお、学会の調査では671.%の施設が設置しているとのことである。
最後のコメントで、この学会では「法的制裁をおそれるあまりに患者の尊厳を無視した延命治療が行われていないか」という問いに対しての回答を模索し、2014年に3学会(日本集中治療医学会、日本救急医学会、日本循環器学会)からの、救急・集中治療における終末期医療に関するガイドラインを出していている。その過程で、尊厳死、延命医療拒否の錦の御旗のもとに救命の努力が放棄されているのでは、との危惧があると問いかけたが、これが現実のものになっている、というのがこのアナウンスの背景にあるようだ。
なお、1)2)について、緊急時にあって、そこまで議論や判断がチームで出来るかは率直な疑問である。

以上、この心肺蘇生をするな(DNAR)は今さらであるが複雑な問題を提起している。この勧告は現在の複雑な医療現場でどう活用されるのか。これまで施設の担当医の判断で心肺蘇生を行っていなかった症例が、数年後にはどう変化していくのか。救命率とともに終末期医療となった症例がどのくらいになったか、フォローが必要であろう。尊厳死が認められていない状況で、補助人工心臓での緩和医療も法的なところで行き詰ってしまう。超高齢者の心筋梗塞や大動脈瘤破裂、が頻繁にくる循環器急性期医療での対応はどうなるか。この勧告にそって治療をすることに家族は納得しても、施設側はその後のケア、医療費、など問題が降りかかる。施設の倫理委員会で対応しても、今の我が国の医療の現場、医療構造、健康保健制度、では医療者や医療施設に負担が増える。スタッフの疲弊にもなるリスクがある。医療体制では救急医療とそのバックアップ体制が整備されないと、基幹施設での負担増が起こりはしないか、危惧されるところである。また、心停止例での救命措置の結果、歩いて退院できる、ないし自己管理が出来るようになる基本条件、即ちガイドライン等にある治療選択肢への信頼と実践なくしては進まない話であることは当然である。

諸刃の剣にならないようにするにはどうしたらいいか、というのが私の老婆心的感想である。

補足:最初は外来の緊急治療室での話で入りましたが、本題は病棟やICUにいる患者さんへの対応が主であったようです。補足説明しておきます。

日本集中治療医学会HP
http://www.jsicm.org/news-detail.html?id=7

参考になるもの
http://www.jikeimasuika.jp/icu_st/170314.pdf

2017年5月17日水曜日

成人先天性心疾患と心臓移植


 5月初めの大型連休も済んで世の中も落ち着いてきて、気候も爽やかな日が続いています。とはいえ、北朝鮮のミサイル発射、憲法改正、沖縄本土復帰45年、センター入試の改革、高齢者の自動車事故、などなど無視できないニュースが続いていて騒がしい所も相変わらずです。
さて、今日の話題は成人先天性心疾患です。生まれつきの心臓病は新生児や小児期に手術を必要とする場合が多く、難しい手術が多い中で成績も向上してきています。一方で、その子どもさんが大人になって心臓や重要臓器に色々問題が生じてきています。その成人になった患者さんを扱う専門医療分野が必要になっていているということです。この成人先天性心疾患のテーマはこれまで何度か取り上げて来ましたが、それは私の心臓外科医としての長い経験の中でかって手術をさせてもらった子どもさんが今は大人になって一部の方は継続してフォローし、治療しないといけないからです。これは私の今の臨床のなかで続いていて、また興味を持っている大事な分野の1つです。言い換えれば臓器移植と並んで今の私には大変大事なテーマです。
というのも、臓器移植と成人先天性心疾患は重要な関係があるからです。それは心臓移植です。成人先天性心疾患で心臓移植を必要とする重症の心不全が発生することが少ないとはいえ防ぎ得ない所があります。私が関わった方で補助人工心臓を付けて移植待ちの方もおられますし、適応が検討されている方もおられます。米国では年間100例ほどの方がこの疾患で心臓移植を受けています、と言っても成人全体の心臓移植の僅か3%くらいですから非常に限られています。しかし、ドナー不足が厳しいなか、海外では着実に成果が出てきていて、我が国でも避けては通れない問題です。
このテーマ、成人先天性心疾患と心臓移植、については我が国ではまだ専門集団のなかでもあまり認識されていません。このままではいけないと思って、論文にすることにしました。関係する学会誌、これは日本胸部外科学会になりますが、総説(レビュー)と言う形で、海外での成人先天性心疾患への心臓移植の現状を纏めました。文献集めや整理はすべて一人でしないといけない環境なのでなかなか大変な作業でした。幸い、先般、学会誌(英文誌、General Thoracic and Cardiovascular Surgery に採用され、今はOn-Lineでのみ閲覧できる状況です。(Heart transplantation for adults with congenital heart disease; current status and future prospect)

この海外で進んでいる状況を我が国で進めるためにはドナー不足だからとてもそんなところには、とういう雰囲気がありますが、それは患者さんに対して専門集団として責任逃れになってしまう危険があります。そいうことで、あえて現状認識という形で我が国の関係者に訴えるという所から出発しました。また自分なりには現状をまとめて何が出来るかを問う、ということも必要と思ったからです。我が国で先天性心疾患で心臓移植を受けた方は、子供さんですが海外で受けた方はおられるようです。大人では2人だけです。私が任期中に阪大病院で行った方と、最近国立循環器病研究センターで行われた1例のみでしょう。移植待機中の方は、先の私の関係する方以外には九州地区でおられるようですが、共に補助人工心臓を装着されている方です。心臓移植では待機期間が3年にもなると、補助人工心臓がないとまず難しい状況です。補助人工心臓が付けらなかったら優先度が下がって3年でも回ってこない状況です。このような中で、我が国では成人先天性心疾患の心臓移への対応は遅れていて、実際に移植を検討すること自体も難しい環境です。
この移植優先度が成人先天性心疾患患者さんでは低いという問題が米国でも指摘されています。最近そのシステムが少し変わったのですが補助人工心臓が付かない限りはやはり低いままです。わが国の優先度システムは基本的にはステータス1と2のままで、強心剤や補助人工心臓が付けられず、肝臓* や腎臓が機能不全になりQOLも著しく悪く予後不良となっていくこの疾患群への配慮はされないままです。この移植の優先度を変えるという作業は倫理的医学的にしっかりと実証しないと進まないのですが、成人先天性心疾患ではその数も少なく、検討対象にもなっていません。日本成人先天性心疾患学会や日本循環器学会などが頑張るしかないのです。
この成人先天性心疾患について学会専門集団(日本成人先天性心疾患学会)もセミナーを年2回開いてきていて、お互いに啓発活動を進めています。今年の前期のセミナーが6月に聖路加国際大学でありますが、そこで心臓移植の話をさせてもらう機会を作って頂いています。少しずつ認識が深まり、ひいては心臓移植の現状を知り、大きな課題であるドナー不足を少しでも解消できるよう世の中が動いてくれればと思います。という意味で、臓器移植法制定20周年を迎えて臓器提供について社会の認識を深め、提供の仕組みを変えていく機運がこの成人先天性心疾患での課題からも強まればと思います。
最後に、成人先天性心疾患の心臓移植は海外では当初は危険度が高かったのですが、選択基準の改善、医学的管理の向上などで、最近は先天性心疾患以外の心筋症と遜色ない結果が出てきています。とはいえ、早期は死亡率が高いのですが、遠隔期は他の心筋症に比べかえって良好であるということも分かってきました。この現象は、生存率の逆点現象, survival paradox と認識されています。それを示すグラフを紹介しておきます。実線が成人先天性心疾患、灰色がその他の一般の成人の成績です。初期は成人先天性心疾患の方が生存率が低いのですが、移植後8年ほどで交差して、15年では逆転しています。15年で半数近くの方が生存されています。




 *; 先天性心疾患、特にフォンタン手術後の肝障害〔肝硬変になっていく危険がある)は大きな課題になっています。