2017年7月21日金曜日

梅雨明け


関西はあまり雨も降らずに梅雨明けとなり、いよいよ夏到来。と言っても既に猛暑日が続いているので、季節の変わり目を感じることも希薄となっている。蝉の鳴き声にも何かしら元気がないような気もするのは自分の気持ちの表れか。 暫く整形外科医にお世話になっていたが、それも終了で本格的に真夏モードへ。

 
臓器移植法制定から20年の節目に、兵庫県の移植関係者が集まる協議会(兵庫県臓器移植推進協議会)から兵庫県(県知事)と神戸市(市長)へ要望書を出している。内容は、いまだ低迷している脳死での臓器移植の課題解決として、ドナーコーデイネーターの充実と小児からの臓器提供への支援、などである。県立病院や市民病院などの臓器提供施設の負担軽減策を地方行政として取り上げて欲しいというもの。特に、各病院や救命センター内でのドナーコーデイネーターの専従(専任)がキーポイントと思っている。これは人件費がらみであるので行政としてはそう簡単に受け入れることは難しいが、現場からの要望が出るきっかけになればと思う。勿論、かかるコーデイネーターは専門の教育と経験が必要で、予算だけで片付く問題ではないが、そういう人材は育ちつつあることは間違いない。

こういった要望書提出を契機に、行政もこれまでより突っ込んだ実態把握を進めながら対応して欲しいが、行うとしても暫くは臓器提供で実績のある中核施設への重点配備になればと思っている。因みに、都道府県単位でこれまでの脳死での臓器提供数をみると、実数では東京都が突出していて、兵庫県もまあまあの所(15例)であるが、人口単位での提供数をみると和歌山県が突出している。その背景の分析は確認できていないが、おそらく高度の救急医療が大学病院や日赤医療センターなど一部に集約されているのではないかと思われる。集約化で救急救命医療での救命率が上がる中で、脳死となる症例も増えてくる、という背景があるのではないか。和歌山県の対応や施策について、兵庫県も参考にすべきことがあるのではないか。長崎県も臓器提供推進には積極的であり、その報告書は手元にあるが、和歌山県の取り組みについては調べないといけない。

さて、この法制定20周年を迎えながら幾つかのマスメディアの記者さんと話す機会もあり、共同通信の配信で幾つかの地方紙に心臓移植再開時のことが出ている。その中で言わせてもらったのが、20年経っても臓器提供が年間50例程度の状況では個人的には全く満足していない、ということである。自分には再開時にくらべ現状への不満が反って強くなっている。こういう状況について、最近の投稿で書いている幾つかのキーワードがあるので、再度紹介する。

 
① 日本の臓器移植(脳死での)は世界の中でガラパゴス化している。

② 「和田移植の呪縛」はまだ解かれていない。

③ 一点の曇りもなく、の新たな呪縛が続いている。

④ 性善説である臓器移植に性悪説を無理に入れようとしている。

⑤ 小さな子供さんへの心臓移植はいまだに殆どが海外に頼っている。

 

①-④は私特有の独善的な見方かもしれないが、要点は突いていると思っている。 

これらのキーワードで示される特殊な状況を払拭させるのが移植関係者の役割であって、広報にも努めながら移植医療の成果を広くしてもらうことの重要性をこの節目の20年で改めて肝に銘じる必要があるのではないか。

2017年7月13日木曜日

大学設置審査



 7月に入ってから台風3号に続き、九州北部地区は集中豪雨により想像を絶する大きな被害が出ました。尊い命を奪われた方々に心よりご冥福をお祈りし、また甚大な被害にあった多くに方々にお見舞いと一刻も早い安寧、復旧を願わずにはおられません。地震、津波、洪水、土砂災害、と我が国は自然災害から逃れられない宿命的な所もありますが、大災害が予想される時の緊急防災、緊急避難、そしてそのための的確な情報伝達、が改めて重要なことが分かります。情報化時代の中で、SNSの活用も現実となった今回の災害でもあったと思われます。また、今回の九州地区では5年前の水害の経験が生かされての素早い避難が多くの方を救った、という報道もあります。山と川に囲まれた我が国における災害対策において、今回の経験は決して忘れず、今後に生かすことが一人ひとりにとって大事でありますが、やはり国の大きな使命は、救助活動とともに防災へのさらなる取り組みがないと大災害は繰り返すのではと思います。ここで現場から離れた一個人が軽々にこんなことを言うのは憚られますが、阪神淡路大震災を身近に経験したものとして、被災者の方々の苦痛は共有できると思います。安部首相が外遊から帰って来てからのメッセージに、「安倍内閣が一丸となって対応する」と言われていましたが、国の危機管理体制において自分の名前を強調した内閣云々というおっしゃり方に違和感を覚えるのは昨今の政治的問題に洗脳されているのでしょうか。首相が不在の時に、幹事長がいちいち首相の了解やメッセージを披露しながら対応している様は、それこそ官邸の危機管理のお粗末さが露呈した感じです。副総理が率先して陣頭指揮をとるのが普通でしょう。阪神淡路大地震では、地震発生後、政府官邸は情報不足で対応が遅れたことは記憶に新しいです。大災害時には都道府県の長の対応(意見)は最優先され、それを迅速に国が補助する、という構図が今回はやや緩慢ではなかったでしょうか。

 

さて、災害の話はこれ位にして、国会での話題である獣医学部新設について、感じたことを書かせてもらいます。私は、大阪大学退職後、学校法人兵庫医科大学にお世話になり、医科大の懸案であった新たな学部作りに関わりました。兵庫医科大学は医学科だけの単科大学ですが、社会の医療系人材養成の要望もあり、薬学部、看護学部、リハビリテーション学部、の3つの学部新設計画を立てていました。特に薬学部は6年制が始まった所で、チーム医療推進を掲げる大学の方針から加えることになったようです。ただ、6年制薬学部は既に認可作業が進んでいて、老舗の薬科大学が既に開設準備にあり、1年遅れで厳しい学生集めになりますが医科大学を持つ強みで薬学部新設も機関決定されました。因みに、学部新設ではなく新大学として設置申請することになり、学長予定者として2年余りで人集めと申請作業を進めました。ここで出て来るのは、文科省の大学設置・学校法人審議会(設置審)、という許認可権を持っている行政の窓口です。獣医学部新設ではドリルで穴をあけられた所です。あらかじめ何度もお伺いをしながらの申請ですが、6年制薬学部については新制度申請初年度で既に旧薬科大学や新設校が認可され、もはや過剰ではないか、という中での我々の申請でした。この薬学部6年制設置は、文科省の規制改革の路線上にあり、どんどん作りなさい、潰れても知りませんよ、という雰囲気でした。申請最終段階で文科省の高等教育局長に挨拶に行ったら、薬学部新設は自由にどうぞと言ったけど、お宅もですか、これからどうなりますか、と笑われておられたのを思い出します。一方、何しろ一度に3学部を持つ大学の設置申請なので、文科省もずいぶん慎重な対応でした。学部3つも同時に申請なんて何を考えているのか、とも言われました。教官の陣容や実習病院、校舎、採算性(法人財務)となかなか厳しい中、開設1年半前にはもう校舎の建築も始まりました。設置審の現地調査は開設前年の秋ごろだったと思いますが、若い審査担当官が建築現場の視察で、ここまで出来ているのに今更不許可には出来ないですね、とつぶやいておられました。加計学園もそうでしょうね。我々はその後許可され、4月開学を向けることが出来ました。もう開学10年が経ちましたが、昔を思いだしながらの、加計学園劇場の観戦です。

と言ったことを、昨今の獣医学新設での文科省の対応をみて思い出しています。文科省の設置審については、以前田中真貴子議員が文科大臣であったとき(2012)、3つの新設大学認可についての設置審承認を、大学は多すぎるとクレームを入れ、ノー、といって物議を醸したことがあります。結局すぐに撤回したのですが、かっての学長ブログでも取り上げ、設置審の種々の問題に言及したこともあります。膠着した委員体制や考え方は、今の論争にも関係するものかもしれません。

話題は文科省の告示で、医学部、歯学部、獣医学部、もう一つあります、の新規申請は認めないというものですが、今回獣医学部でこの告示を突き崩すため特区制度が活用されていますし、全体の印象は、文科省の古い体質が問われています。今は違っているでしょうが、以前の設置審は決め事が時代に合わなくなっているのにそれを金科玉条のごとく忠実に守る、という印象が強かったのを思い出します。しかし、今回の騒動では、やはり穴のあけ方には問題があったと思われます。無理を通すのが国家戦略特区だ、ではないと思われます。プロセスは大事です。因みに、前回書いた「一点の曇りもない」、ですが、やはりこれは言う側の主観的な表現であると思います。

医学部新設も最近、東北と成田に続いて許可されました。私立医科大学病院が経営危機に陥いっていることも報道されています。質の高い医療の提供が進む中で、医師の働く環境劣化、医療への消費税負荷、高齢者医療での高額医療、そして専門医制度への反発、など、医療を取り巻く環境は決して良くなっていません。獣医師問題は医師の診療科偏在、地域医療崩壊、質の低下、大学教官の処遇、など、我が身を振り返る絶好の機会と思いますが、如何でしょうか。

2017年7月1日土曜日

一点の曇りもない


   早いものでもう7月です。関西でも梅雨明け宣言がないまま猛暑が来ています。夏休みまでもう一息、踏ん張りましょう。
 
さて、最近の国会は、国家戦略特区による愛媛県の獣医学部新設で姦しい。その決定のプロセスについての疑惑ありとの野党側の攻勢が、国会閉会後も続いている。そういう中で、「決定プロセスに一点の曇りもない」との総理の発言があり、それ呼応するかの如く戦略特区の諮問会議の民間議員メンバーから、はたま担当の地方創生担当大臣、さらに官房長官まで、一点の曇りもない、と右へ倣え、の発言である。この言葉は政治の世界でこれほど多用され、注目を集めるのは珍しい。しかし、問答無用に似た感じがして何か違和感を覚える。

この言葉は私にとっても曰くつきの言葉である。一点の曇りもない、という結果説明ではなく、一点の曇りもなく、という前もっての言葉であるが。それは、前にも書いたと思うが、臓器移植法か出来て脳死からの臓器移植が可能となった頃、担当行政官はドナーの脳死判定へのプロセスや診断、そしてレシピエント選択の場において、この言葉をもって関係者への警告をする傾向にあった。和田移植の轍を踏まないようにと睨みを利かしているのである。厳しい法律のもとで、また新た出発において、それこそ曇ったことや不信を抱かせることをするわけがない。法成立後20年間、関係者は性善説で守られながら、最大の努力をしてきた。しかし、時に性悪説が顔を出す。その時の言葉が、一点の曇りもなく、であると思っている。

現在の移植現場でも何か議論のある事態があると、「一点の曇りもなく」が出てくる。法律の運用においていまだに行政が口にする言葉である。私に言わせれば、和田移植の呪縛がまだ生きている、ということである。心臓移植が円滑に再開されて、此の呪縛は消えたはずではないか。しかし、移植医療の新たな展開になるのではという議論の場面でこの言葉が使われることが問題なのである。大事な局面で、恰も水戸黄門の御朱印のごとく登場する。また医療者側がそれをあたり前と思ってしまっていないか。まさに上位下達方式で、移植医療が萎縮してしまう。

何故これに拘るか。移植医療の第三の展開をしようとする現在、この言葉は現場を萎縮させ、新たな進歩を阻む恐れがあると思う。何も法律違反、条例違反、をしろ、勝手にさせろ、とは決して言ってはいないいし、そういうことは出来ないしない。しかし、此の膠着した移植医療の現場を何とか変えていこうとするならば、前向きの議論も欲しい時がある。その時に此の呪縛的な一言をあえてお役人に言わせない、というのが移植に関わる専門医療者の矜持ではないか。 

政治の場面で今目立っているこの言葉はこれから更に頻回に使われて、本当の議論が疎かになりはしないか危惧しながら、臓器移植での使われ方についても気になっているので紹介した。ない、と、なく、の違いはあるが、私見を書かせてもらった。