2017年10月31日火曜日

日本人と英語力

最近の新聞記事には海外からの旅行者向けに簡単な説明用の英語を知っておこうという動や、日本の英語教育についての課題、といった内容の記事が目に付く。日本人はなぜ英語が話せないということで様々な意見や学習広告が目に付く。この点について少し私見を述べてみる。特に目新しいことはないのであまり期待しないで頂きたい。
英語教育現場ではなく一般社会での話でいうと、新聞やTVなどのマスメディアの問題が大きいと思う。まずTVでは、ニュースや特集番組での海外の方の話を字幕ではなく日本語に吹き替えることが常態となっている。少しでも外国語、特に英語に馴染もうとすることには逆効果である。字幕が見難い方もおられるとは思うが、若い人たちには勿体ない話ではある。映画も、吹き替えでなく字幕版をもっと増やせばいいと思う。こういう吹替文化は、若い人の外国語力を低下させているのではないのか。
NHKニュースでの英語の吹き替えはそう多くないかもしれないが、一般的にNHKとしてのスタンスにも問題があるのではないか。公共放送だからと言って、英語教室ではなく一般の放送での話であるが、nativeの英語の話に親しむ機会を少なくしてはいないか。TVではニュース以外にも特集番組があるが、先日はNHKで金融工学の話があった。一つのサンプルと思うので紹介する。米国のこの分野の先駆的人物の紹介があったが、名前はカタカナが多く、英語併記が少なかった。呼び方も従って日本語である。後で述べる新聞もそうであるが、カタカナと英語は全く違う言葉で、特に名前の発音では日本のTVで聞いた名前では海外では通じない。 その番組でのキーワードにtruthがった。 画面では英語で書かれているが、ナレーターはツルース、という。 thの発音相当するものがないから仕方がないが、これくらいは正確に言ってほしい。発音、イントネーションでは、フロリダのOrland も最初のオーを強調するか後のランドのラをそうするのかで全く違うことになる。前者では通じないわけで、海外のニュース担当者も英語ではそう言っていないが日本語となると日本人しか通じない発音にしてしまう。発想が、英単語はまず日本語に直す、ということであって、英語で伝えるという考えがない。マクドナルド、コープ、インターネット、しかりである。若い人で海外に出かけよとする人たちは、その違いを知っておくべきである。
新聞もこういう意味では弊害になりかねない。海外の方の紹介では、名前の英語併記はごく限られている。それは字数の問題よりも縦書きにあると思う。何故日本は縦書きと横書きが並列して行われているのか。学校の教科書では国語や社会では縦書きである。無論、漢字文化であるからしょうがないといえばそうであるが、中国(台湾は縦書きらしい)は横書きを採用している。但し、英語名はアルファベットではないようである。日本の一流紙も部分的には横書きのコーナーもあって、ここでは英語表記は容易である。縦書きの英語は意味がないのでやらない、で済ましているのでは。米国大統領も、トランプ、では通じない。名前だけではなく、国際的なニュースでの英語表記は、いつもではないが、時に書くことも大事であろう。ニュース等での注目される言葉の解説は横書きコーナーにしているから、心配ご無用、というかもしれない。しかし、要は、英語(外国語)に親しむ、という視点がメディアには欠けているのではないか。我が国の縦書き文化と海外の横書き文化との違いは大きいと思う。伝統文化は別にして、情報伝達としては考える余地があるのでは。どこかの新聞が、10年後には横書きにする、と宣言してくれないか期待しているところである。勿論、日本特有の文芸・文化は縦書きでないと話にならないが。

こんな戯言が若い人には通じない、とすればそれが問題か。最近、英語力が落ちている中で、海外映画も字幕版を見るようにして儚い努力をしているが、日本文化にどっぷりと浸かってしまっている頭の中では英語力の退化は避けられないと自覚している。

2017年10月25日水曜日

神戸で臓器移植についての市民公開講座が開かれました

台風21号が近畿地方に接近するなかの22日(日曜日)は衆議院選挙と神戸市長選挙とも重なりましたが、予定通り三宮にて臓器移植市民公開講座を行いました。夕方には交通機関の間引き運転も報道されていましたが、70人を超える沢山の方に集まってもらい、予定通り開催できました。日本移植学会理事長の東京女子大教授(肝臓移植)の江川裕人教授もご多忙の中駆けつけてくれましたし、神戸大学の泌尿器科の石村武志先生、そして移植を受けた患者さんにもご協力頂きました。3名の講演の後、総合討論では神戸大学腎臓内科の吉川美喜子先生と兵庫県ドナーコーデイネ-ターの今村友紀さんの司会で、参加者からの質問もあり有意義な意見交換が出来ました。また、兵庫県の行政の方にもご参加頂きました。

参加の皆さんは殆どが臓器移植に関係する方々(移植を受けた方、ドナー家族の方など)のようで、一般の方々の参加は少なかったのではと思われます。天候や選挙などが影響したのかも知れませんが、何時ものことかと思っています。しかし、神戸新聞の記者さんも選挙で忙しい中取材に来られていましたので、何らかの報道があるのでは期待しています。

江川移植学会理事長には我が国の臓器移植の抱える諸問題とそれに対する学会の取り組みを熱く語ってもらいました。人口百万に当たりの年間の臓器提供数が、欧米やお隣の韓国では15-25例というなかで0.7(1以下)という我が国の現状はまさに後進国どころか未開発国のようなものです。その背景には臓器提供を支える仕組みの不備が大きいとのお話しでした。国もいろいろな施策を講じていますが、まだまだ歯がゆい感じがします。

私の話しも、脳死移植しかない心臓移植では補助人工心臓の進歩のなかでも多くの方が希望が叶えられずに亡くなっていることや、小さな子どもさんが海外に多額の募金でもって出かけている現状も紹介しました。講演中に会場や皆さんの携帯のアラームが一斉に鳴り出しびっくりしました。避難勧告だったようですが、何とかかその後2時間ほど、参加の皆さんには我慢して頂きました。

纏めとして、折角の機会(法制定後20)でしたので、社会へのメッセージとして、「兵庫宣言」という格好で発表させて頂きました。こういう共通の目標をしっかり社会と共有することが大事と思います。また、提供施設の負担軽減は大事で、最後に提供施設の方々のご努力に感謝しつつ、そのための施策の実行を行政に願いすると言う趣旨で、院内ドナーコーデイネ-ターとは直接触れていませんが、最後に纏めてあります。



さて、最後はかねてから懸案の(私にとって)、移植を受けた方と提供者の情報が相互に繋がらない様にするということについてです。移植者とドナー家族との面会は、という趣旨で少し意見が出ました。心臓移植を受けた方からは、直接おお会いしたり情報が来ると言うことは、自分の心の持ち方として、ない方がいいとの意見でした。これはそうだと思いますが、お互いに直接の情報が伝わる云々と言うより、そういう縛りでもって移植を受けた方やドナー家族が社会に出にくくしているのではないか、と言う視点での議論が残っていると思っています。これはガイドライン違反とはならない話しであると思うからです。
会場にはドナー家族の方も来られていて、総合討論の最後にご意見を述べて頂きました。臓器提供が進まない社会の仕組みや行政のスタンスへの厳しいご意見でした。ドナーファミリーの会も近々ありますが、その方々のご意見を社会はもっと共有すべきと思います。神戸宣言にある、社会が共有する、と言うことの大事さを改めて感じました。


今月はいろいろな場面で法制定20周年の記念イベントが行われましたが、これが一時の取り組みではなく、継続して行われることが大事であることを関係者やマスメデイアに理解して欲しいと思いながら帰途に着きましたが、もう周りは暴風圏内でした。

2017年10月16日月曜日

臓器移植法制定20周年


 20年前(1997年)の1015日は脳死からの臓器移植を可能にした臓器移植法が制定された日で、これに合わせて全国でいろいろな取り組みが行われている。昨日は東京で日本臓器移植ネットワーク主催のものもあり、今日の読売新聞は臓器移植を取り巻く諸問題を大きく取り上げている。振り返ると、和田心臓移植から30年近く経っていたが我が国らしく法律で道を開いたのが1997年。実際の脳死からの移植は19992月の高知赤十字病院での法律の下での脳死判定がなされ心臓と肝臓がそれぞれ大阪と松本に送られたのが始まりであった。その後、臓器提供が少なく移植希望患者さんには厳しい時期が続いたが、実質的に臓器移植が身近になったのは2010年の法律改正がなされてからである。当初の法律下では年間10例に満たない少ない臓器提供を、救急医療や移植医療関係者の努力でもって社会の移植医療への不信や危惧を払拭する結果を出し、その結果それまでの本人の書面での提供の意思と家族の承諾という厳しい条件が法改正で家族の承諾でも可能とする緩和に繋がり、現在の年間50例以上の提供になっている。
さて、法改正で臓器提供も年間50例を越えるようになったとは言え、欧米やアジア諸国の人口100万に当たりの年間臓器提供(脳死および脳死後心停止)は20-30件であるのに対し日本は0.6という50倍以下である。これは宗教や文化という背景以上に制度上の問題があることを物語っている。これまでも指摘しているが、法律で守られている(制限されているというより)臓器提供を医療関係者はもっと知るべきであり、また救急医や脳神経外科医、小児科医などの負担を軽減させる施策をもっと進めるべきであろう。患者さんが死に至るようになったときに、医師は脳死に限らず臓器や組織の提供という選択肢を提示する役割を持っているという認識がいる。法律で義務付ける前に普段からでも出来ることではないか。しかし、その前提は国民が広く臓器移植を良く理解していなければならない。そこが今後も課題であり、今回の節目の年に関係者は努力すべきである。移植を受けた子どもさんや大人の方の元気な様子を見てもらうのが、移植医が色々言うことより何倍も説得力がある。また、施策のなかの提供側の負担軽減の具体策に向けては、国家議員連の先生方も選挙が終わったらまた活動を再開して頂きたい。
さて、兵庫県の移植医療関係者の行政への提案については8月末に書かせてもらった。その後の経過報告であるが、救急病院の臓器提供への負担軽減の要は院内ドナーコーデイネーター充実である。しかし、専任や増員は人件費の増加になり病院管理側はまず無理という回答である。また、その資格付与も関係学会等ではそう積極的ではない。ということで関係者と意見を纏めているが、どうも院内ドナーコーデイネ-ターの方は問題が多く、まずは都道府県ドナーコーデイネ-ターの増員とか補佐役のコーデイネーターの配置が作戦上重要であるということになって来た。近々、県と神戸市に再度訪問する予定である。
臓器移植の啓発活動では、今度の日曜日、22日、総選挙と重なったが、神戸市内で公開講座を開く。移植を受けた患者さんにも登場してもらう予定である。チラシ参照。ここで社会への何かメッセージが出せればと思う。そのためには、公開講座の最後に、神戸宣言2017、を出すべく準備中であるが、メディアが取り上げてくれるのを願っている。
先週は秋田市で日本心不全学会と日本心臓移植研究会が開催された。高齢者の心不全が大きなトピックスで、チーム医療ということで盛り上がっていた。一方の心臓移植研究会では、川島国循名誉総長のこれまでの50年にわたる心臓移植への取り組みの総括があった。心臓移植にはそういう歴史の重みもある。歴史認識を大事にしながらこれからの心臓移植を進める方々は、これまでの外科医主導から、内科医、小児科、救急医、脳外科医、そしてコメディカルと連携した総合戦略を立てるべきと思っている。勿論最近はこの仕組みは進みつつあるが、10年後に心臓移植を年間200例達成すると、いう目標を再確認して進んで欲しい。人工臓器、再生医療も大事だが、移植医療は世界で臓器不全治療のゴールデンスタンダードとなって久しいことを再確認してほしい。
心臓移植研究会で問題提起したのは、心臓と腎臓の同時移植、心臓と肝臓の同時移植、である。この分野には現状で全く道を開こうとしていない(少なくとも私にはそう思える)ことへの危惧である。成人先天性心疾患への心臓移植のことで述べたと思うが、待機期間が何年も無理で、また人工心臓の適用も困難な患者さんをどうするのか。ドナー不足だから今は無理、と言うことは移植医療に関わるものには禁句であると思っている。何年も待たないと臓器移植の恩恵は受けられない現実は異常であると言う社会認識がまず必要で、また長期の待機が出来ない方への救済策システム(臓器配分システムの改変)を作ることが行政と関係者の急務である。準備しても何年もかかるのではその間に多くの方が亡くなるのである。
上記の課題と共に、臓器移植推進のために今何を行うべきか既に整理されている。それは提供病院の負担軽減であり、臓器配分システムの再考である。特に前者ではこれを集約的にまず進めることである。救急関係の学会も、臓器提供の選択提示をクリニカルパスに入れようとしている。5年後に、今の取り組みがどう成果を上げているか楽しみである。


2017年10月9日月曜日

チーム医療再考

1週間ほど前になりますが、以前勤めていた兵庫医療大学の開学10周年の記念会がありました。初代学長という大役を6年間務めさせてもらった大学が今年10年(実際は11年)目を迎えたので参加してきました。兵庫医科大学の姉妹大学としてポートアイランドに薬学、看護学、リハビリテーション学(理学療法、作業療法)の3学部でオープンしたのが2007年でした。ボーダレス、チーム医療を旗印に掲げてのスタートでしたが、私が退職後も次期学長や教職員、そして法人(兵庫医科大学)の多大な支援により、新設ながら立派に成長しているのを見るのは嬉しいことです。チーム医療は医療現場では当たり前になってきていますが、医療系の学部教育でこれを掲げられたのは兵庫医科大との連携があってのことで、学部教育での合同チュウトリアルも軌道に乗っていて安心しました。かっの医学部出身の教員は、医学部学生と混成させた演習なんかうまくいかないのではと危惧していたが、見事に花を咲かせましたね、と感慨深く話していました。

さて、医療界ではチーム医療という言葉が氾濫しています。健康保険でチーム医療加算というのが続々出来てきて、また介護や先進医療での複雑な医療の展開が進む中でチーム医療をどう進めるか真剣に議論されています。先日も、日本手術医学会という学会が東京であったのですが、理事を務めている関係で参加してきました。この学会は、手術という場での沢山の課題を、多職種が集まって議論する学会で、外科医以外に麻酔科医、そして看護師、臨床工学技士、薬剤師、など多彩です。今回は東海大学の麻酔科の教授が会長でしたが、盛り沢山の内容のなかで、チーム医療や多職種連携、という名がついたものが目につきました。まさのチーム医療オンパレードで結構面白かったのですが、些か食傷気味の処もありました。

というのは、何か新たな医療を始めるにあたり、あるいは質の向上を目指す上、何か踏み絵みたいな使い方がされている所もあり、ちょっと待って、本質は別でしょう、と言いたくなる場面もあります。ひねくれた人間ですいませんが、本質は何かの議論が薄いまま(失礼します)で時代の流れで進んでいるようなことが多いのではと思います。そこで、本質云々でいうと、手術医学ではやはり外科医がどう思っているか、どう行動しいているかです。例えば、最近注目されている認定看護師や特定看護師制度、周術期管理では麻酔学会主導の周術期管理チーム制度、など手術がらみの新たな取り組みがあって、シンポジウムでも取り上げられました。演者は、日本看護協会代表、先進的病院の看護部長、そして麻酔科学会の重鎮、がそろっての議論でした。新たな手術管理認定看護師制度や特定看護師制度もあり、それなりに面白かったのですが、肝心の外科医がそこにはいなかったのです。そもそもこの学会はプロパーの外科医の参加は少ないのですが、何か物足りない結果に終わった感じでした。究極のチーム医療の場である手術における種々の課題を解決していくには、手術をする外科系医師の理解と協力がないと進まない現実があり、そこにはもう問題がないのか、という疑問が出てきます。大学病院や優れた教育的病院はいいでしょうが、一般の病院ではどうかでしょう。

多職種が関与する医療で、職種間、医師間のコミュニケーションが十分とれているか、それこそチーム医療がうまく動いているかの要と思います。今回の学会でも、この職種間のコミュニケーション、言うべきことしっかり言う、これが大事という教育講演もありました。チーム医療体制は保険加算を取るためのものか、という問題提議もありました。時代に流されてチーム医療!で浮足立つのではなく、例えば手術の現場では外科医(外科系)がどう対応すべきか、他職種の意見をしかり聞けるか、という本質の議論をもっと進めることが大事ではないか、というのが外科医としての感想でした。

最後に、医療者がチーム医療に積極的に参画するためには、それぞれの専門分野で自己研鑽が必要であると共に、チーム医療とは何かを各自が考え、自己の意見をしっかり言えるようにすることが今さらながら大事と思った次第です。何か、学長時代の卒業式の挨拶みたいになってしまいました。

兵庫医療大学の大学祭に行ってきたのでその写真を紹介します。大学のシンボルであるフクロウと目の前の神戸の海を取って、海梟際という名前です。